気づき

人生の目的

人生の目的 --- そのことについて、どう考えるか・何を思うかは人によってさまざま。

生きる目的が見出せず、その見出せない状況を自分の重荷にして苦しむこともありますね。人生の目的をもたなければ・・・そんな強迫観念みたいなものに縛られ、笑顔がなくなってしまうのならむしろそんなこと考えずにのんびり過ごしたほうがよっぽど楽しいのかもしれません。

私が『人生の目的』思考のスパイラルに初めて陥ったのは17歳のころでした。ちょうど大学受験を控えた、最も勉強に集中しなければならないときにまぁ、皮肉なものです。進路相談のための先生・親との三者面談の場で、受験校の話に入る前に「ワタシ、なんで生きてるのかわからないんです・・・」と泣きだしたっけ。。。でもその時の担任の先生は、私のその姿に「今は勉強しろ」とは言いませんでした。「お前、悩む時期が今来ちゃったんだなあ」としみじみ見つめられたのを覚えています。

あれから随分月日が経ちました。学生を終え、社会人生活を始め、そしてタロットの世界を知って・・・まだまだ未熟ですが、そうした様々な経験を通して今感じる「人生の目的」は、

『日常からの気づきで学ぶこと、成長してゆくこと』が、人生の目的であり、人生そのものだなあと感じています。

○○になりたい、というある一つのゴールに向かうことでなく、むしろそのプロセスで気づきを得て、それによって成長する・・・自分は大海を旅する船の操縦士であり、荒波でも嵐がきてもそれを上手に乗り越えながら、航海の知恵=生きる術をつけてゆく・・・ そんなイメージです。

ですので、非日常や今自分がいる場所以外に特別なものがあるわけでなく、夢があるわけでなく、自分の置かれたその時、その場所で何を気づいて学んでゆけるか、が人生の醍醐味なのではないでしょうか。

そう考えると、無理に体に力を入れて眉にしわを寄せて、人生の目的を考え込む必要はないわけですね・・・目の前のことに心をこめてゆけばそれで何かが変わってゆくのです。ま、あの悩みは若気のいたりだったかなあ・・・。

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剣と私 4

私にとって「朝」と「歩くこと」は、内的な気づきに欠かせない時間であり行為です。

よって、電車を降りた後の徒歩通勤の15分は、ハッとするインスピレーションを得る機会も多く、私にとってまさにゴールデンタイム。

神社で剣を眺めた翌日の月曜日。いつもの道を朝日を浴びながら歩いていると、昨日の剣が記憶に蘇ってきました。すると次の瞬間、ほとんど同時に下記の事柄(記憶・思考・出来事)が私の前に提示されたのです。

・剣は男性(男性性)の象徴であり、それはすなわち「陽」であること
・自分が人一倍、刃物に対して苦手意識(恐怖・嫌悪)を抱いていること
・過去に3回、刃物によって傷を受けている(怪我あるいは手術)が、それがすべて左手であること

あまりに驚いて、歩みがとまりそうになったほど。

なぜ今、剣が自分の前に現れていたのかを、そのとき一瞬にして悟ったのでした。それは、本を読んで知識として理解する、というものではなく、まさに心身と魂でしっかり受け止めた、という感触でした。

今、私にとって必要なのは、『剣』の表す真の意味を理解すること--- つまり、剣が表す象意のすべて--- 男性性、知識、英断など、とりあげるときりがありませんが、もっと掘り下げると、剣が属する「陽」の世界を理解し受け止めよ、ということだと。

自分がただ剣を「斬って(切って)傷つけるもの、裂くもの、そして痛みを伴うもの」、もしくは「力(武力)として振りかざし、支配するもの」と、むやみに嫌いそして怖がっているその誤った理解を正すこと、それが必要なのだと気がついたのです。

この世は陰と陽がどちらも正しく働いてこそ、動きそして栄えます。私は女性ですから、陰の世界に属するものの、私の中には陽もあります。誰もがそうです。私は、自分の中の陽の働き具合も含め、『陽』について、考え直す機会なのだと思いました。

自分の左手にある3つの傷についての気づきには本当に驚かされました。今まで考えたこともなかったのです。その傷は、10代・20代・30代で1回ずつ受けたものです。

体の左半身は、女性性を表します。つまり「陰」です。その陰が刃物(=陽)によって傷つくということは、自分の中での陽の用い方(つまり理解)に問題があるということです。そして、陽を理解していないから女性(陰)として陽の受け入れ方にも問題があるのではないかと。剣(陽)がおさまるべき鞘(陰)におさまらない=怪我をする といった現象です。このことは、パートナーシップの問題にも深い関係がある・・・とおのずと理解できたのでした。

この気づきは、内的にかなり痛みを伴っています。ここに書くのも辛く・・・あまり筆が進まず(キーボードが叩けず)・・・でしたが、こうして書くことによって、この気づきを問題解決へもってゆけるはずだから、と思いました。と同時に、自分で気づいてしまったので、痛みはあっても不思議と抵抗がありません。素直に受け入れられたことがむしろ嬉しく思っています。

剣とどう向き合うか・・・どのようにしたら剣の象意を本当の意味で理解できるか・・・これからの課題ができました。でも未来は明るいです。なぜって、自分でここまで気づくことができたから、この先も解決法はシンボルを通して見つかると確信しているからです。

私が剣を本当に理解したとき・・・私の刃物恐怖症は克服できるはずです。そしてパートナーシップにも変化がくるでしょう。

タロットや日常を通じて、自分で気づくシンボルからのメッセージは非常に大きいです。

そうそう。今朝いつもの氏神様へご挨拶に行くと、境内が妙に騒がしく、なにかしら?と鳥居をくぐると・・・。

なんと、大勢の子どもたちが『剣道』の稽古をしていました。・・・また「剣」が出た。ここ4年近く毎週お参りに行っていますが、その光景は今日が初めてで・・・氏神様からの激励ですね、きっと。

人生は「気づき」を増やせば実に面白いことだらけです。

というわけで 剣と私。長々綴りました。

おわり。

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剣と私 3

大きなガラスケースの中に納められ、私の目の前に広がる・・・、まさに"広がる"と表現してもよいぐらい、長く・大きな剣- 国宝にも指定されている、日本最古・最大の直刀がそこにありました。

ただでさえ、刃物嫌いの私。目をそむけ、その場から逃げだすかと思いきや、自分でも不思議なほど見入ってしまい・・・しばらくじっと動けずにいました。

その神社に祀られている神は、神代の昔に出雲国・大国主命との話し合いにより、乱れた世をひとつにまとめ国を平定した、と伝えられています。その話し合いの場に持参した剣が、韴霊剣(読み:ふつみたまのつるぎ 「布都御魂剣」と書かれることも)であり、その国宝の直刀も神宝としてその名で称されているそうです。

神話がどこまで「真実」なのかは誰ぞ知る、ではありますが、その場で私が感じようとしていたのは、古代の人々が剣に込めた想いです。

ご神体とするほど、剣という象徴に込めたもの・・・。

この神社に興味を持たせてくれたその人は著書の中で、剣は男性の象徴(男根)そのものだといっています。

古代の人々が信仰の対象にしたものは、すべて男性と女性を模倣したもの・・・それらは生命を生み出す元であるから・・・というわけです。ですから、そういう視点で神社の細部を観察すると、いたるところにそれらを見つけることができます。

ただ、なぜ今、自分の意識に「剣」がシンボルとして集まってきているのか。そのことが解けずにいました。結局、朝4時に起きて東のはずれ近くまで来てはみたものの、「剣」が発する自分へのメッセージについてはわからずじまいでした。

そして、翌月曜日。電車を降りた後の徒歩15分の間に、私に気づきのシャワーが降りだします。

・・・つづく。

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剣と私 2

友人とのタロット・リーディングは、腕を上げるための練習として、だったのですが、私の意識の矛先はそのリーディングによってますます「剣」に向けられました。

翌日曜日。私はある場所を訪れていました。そこは日本の東に位置する、由緒ある神社です。そこに祀られている神様の象徴-それは『剣』。

九州の旅から戻った私は、暦の勉強をしているうちに非常に興味深い本に出会ったのですが、著者が度々取り上げていたのがその神社です。

「今度訪ねてみようかな」 本を読んだとき、私がその神社に興味を抱いた理由は、綿密に計画されてその場所に建てられたのだ、という「位置」であって、剣には特に注目していませんでした。

ですが、そのうちに自分の周囲にどんどん剣が集まってくるのを感じ、土曜日のリーディングでますます剣を意識したその晩、

「よし、明日行ってみよう」

と決めたのでした。こういう決断も「縁」だと思ったからです。

東京からバスで90分。緑豊かな広大な敷地には、すがすがしい空気が流れていました。

境内を巡り、参拝を終えた私は宝物館に入りました。そこで、大きな大きな『剣』の実物を前にします。

・・・つづく。

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剣と私

子供のころから『刃物』が極端に苦手な私。包丁は人並みに使えますが、カッターは握るだけで結構アブラ汗をかきますし、斬り合いシーンが多い時代劇などは見ることさえ苦痛です。昔、映画館で主人公が指を切られる場面に遭遇した際はその場でうずくまってしまい、失神寸前でした。観客の中でそんなリアクションは私だけ。あのときは周囲にメイワクかけました・・・。

そういえば今年の春、外国の友人がどうしても鍛冶屋(昔は剣、今は包丁など刃物を扱っている店)の現場(作業場)を見学したいと言うので連れて行ったときも辛かったなあ。なんで見たいのかちっとも理解できない。あの渋く光る鋭利な物体を見ただけで・・・悪い意味でドキドキしました。感情的にも乱され、イライラしたのを覚えています。

実はこの恐怖症、かなりハードルの高い精神的障害物なのだということを昨日になってやっと自覚したのでした。

そのことに気づかせてくれたのが、『剣』の存在です。

実はここしばらく、私の周囲に『剣』にまつわる言葉、画像、しかも最後は実物まで集まってきました。そのピークがこの週末だったのです。

剣はタロットカードにも随所に登場します。剣の象意は様々ですが、四大元素の地水火風では「風」にあたります。大アルカナカードの中で剣と結び付く代表的なカードは、8番の『正義』。右手に大きな剣を持ち、正面を見据えています。

<http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/dd/Jean_Dodal_Tarot_trump_08.jpg>

また、小アルカナカードは4種で構成されていますが、そのうちの1つは「剣」です。

週末にタロットを通して知り合った友人とお互いリーディングをしました。その際も、剣がとても意味ありげにカードに出てきました。友人は私の質問に対し、大・小アルカナ78枚を使用してリーディングしてくれたのですが、地水火風4種すべてのカードがでてきたものの、「剣」のみ逆位置(逆位置ででるとそこに問題アリ)であらわれました。

また、非常に興味深いことに、私が友人の質問に対しリーディングしたときも、剣はしっかりと登場しました。カードは友人の質問に対しメッセージを送っているはずなのですが、同時にリーダーの私に対しても『モノ申す』的な展開ぶりでした。

世の中に何一つ偶然などないのです。すべては因果応報であり、縁で繋がっています。その日その場で、出会った人、交わした言葉、起こった出来事の中には、関わった人にとってそれぞれの『何か』が潜んでいると思えます。   

・・・つづく。

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蜘蛛の巣 その後

今朝、玄関をそっと開けて・・・ご近所蜘蛛サンをのぞいたら・・・

なんと

いなくなっていた。蜘蛛の巣の主がいない・・・あれえ?

というわけで、あるじのいなくなった巣をそっと触って壊しました。

蜘蛛サン、ありがとうね。

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蜘蛛の巣

先日、私の生活を楽しくさせてくれる「ウサギ」の存在について書きましたが、ウサギのように長期にわたってコチョコチョくすぐってくれるほどではなくとも、たまに単発的にメッセージをくれる生き物に出会います。

最近は「蜘蛛」の存在がそれでした。厳密に言うと蜘蛛が作る『巣』が大事なメッセージ・シンボルでした。

実は、私の部屋の玄関近くにいつの日からか蜘蛛さんが「巣」を作り始めていました。見つけたときは、「なんてこと!・・・ココは空き家じゃないんだけど・・・」と、すぐ壊したかった(=蜘蛛に引越ししてもらう)のですが、蜘蛛の巣に触ること自体イヤだったので、

「そのうち台風でも来て、大雨になってどこかへ消えるだろう」と放っておきました。・・・というわけで今も私の隣人です・・・(ちょっとコワイ)。

蜘蛛や蜘蛛の巣なんて、別にめずらしいことでもないのですが、そのうち出かけ先でもびっくりするところで、蜘蛛(の巣)に出会います。

このお彼岸でのお墓参りの際も、先祖のお墓に行くと、

「出たあ~」

・・・オバケじゃないです。立派な蜘蛛さんとそのお家がお墓の敷地内にドーン。

両親は頻繁にお墓をきれいにしていますし、私も何度もお参りしにいきますが、あんなに堂々と蜘蛛に迎えられたのは・・・初めて。しかも、近くにある親類のお墓にも・・・仲間が家を作ってました。

こりゃ、例のウサギみたいなもんだな。・・・と内心でひとり納得していた私。でもそれが何を意味するのかわからなかったのですが、昨晩帰宅して手を洗っているときにハッと気づきました。

蜘蛛は、自分を中心に周囲に網を張って家を作りますね。縦糸・横糸を紡ぎ、あの形は結構アートですよね。蜘蛛の巣=Webであり、ネットワークのシンボルともいえます。そして「縁」もWebから生まれます。

私は、人間も蜘蛛のように自分の周囲にWebを作っているのだと気づきました。見えない糸を使って。そのWebは自分で作ったものですから、自分に責任があります。

ということは、自分の周囲=環境も自分に責任があるということ、自分自身が作っているという自覚をせよ、ということだと悟ったのでした。

もちろん、玄関先の蜘蛛さんが私にそれを伝えるためにあそこに網張っているわけじゃないですけどネ(笑)。でもそのことを通してひとつ学びを得たのは確かなのです。

日常の景色を通じてハッと気づかされることがあると、私はそこに神仏の存在を感じます。そして、いつでも、いたるところに神の顕現はあるものなのです。

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気づきを促すリーディング

人を助けるということはどういうことでしょうか。

このことについて、よく考えます。

助けるといっても色々ですね。怪我や病気の人に対して医師が治療で助ける、貧困で苦しんでいる人に物理的な援助をする、心の悩みを抱えている人を癒す・・・

タロットリーディングでは、どのような「助けること」が可能でしょうか。

それは、質問者本人が自分の心に気づくことを促す(=助ける)、これに尽きます。・・・と思ってリーディングをやっています。その延長には、心の自立があります。

質問者の方とタロットと自分の3者が繋がっている・・・カードを展開する前、つまり質問者が相談内容を話している最中にこの感覚が得られるときは、リーディングが非常にスムーズです。実は答えはすでに悩みを抱えている質問者の最初の話の中に含まれており、それを展開カードで確認するといった感じです。

タロットを学び始めたころ、先生から『最初に質問者に相談を聞く時間はリーディングのトータル時間の半分以上をかけるように』とよく言われました。心情的にはすぐカードに聞きたいところですが、リーディング経験を積んでゆくとその大切さを痛感します。

答えはすでに自分自身の中にあった、このことに気づくこと自体も大きな財産となります。悩みの解決は"いつも"占いに頼る・・・という陥りがちな危険を避けられます。

~あなたが何も言わずとも運命をお伝えしましょう~ そういうアプローチももちろんアリ、でしょうし、そういう特殊な能力をもった人も存在しますが、自分のリーディングは対話重視で進めてゆきたいなと思っています。

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自然体の感謝

自分を動かす一番の原動力は・・・自分の心の奥の奥の奥・・・源にある元気のエネルギーみたいなもの、と表現しましょうか、それは

『感謝』のこころ。それも、「~だから感謝しないと」などという、何か押しつけがましい、自らを無理やり説得するようなものではなく、自分の内側からふと自然に湧きあがってくる「有難い」という感覚です。

最近、ごくたま~にですがこの感覚を味わうことがあります。それはふいにやってきます。そしてその瞬間は、自分と周囲が一体になった感じがします。そしてすべてOKなのだという安心感があります。

これがいつまでも続けばいいなあと思うのですが・・・そう強く願うことが逆に執着となるので手放します。でもその一瞬は本当に、シアワセな感覚です。

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ポジティブ・ニュートラル

春ごろから、月の周期に合わせて月間目標を設定しています。目標といっても物理的に何かを成し遂げるということより、心の矛先をどこに向けるかや意識の在り方に重きを置いた設定です。

先日20日の新月からは

『ポジティブ・ニュートラルでいこう』と決めました。

具体的には、自分の心が何かの影響でまっすぐ整っていないと感じたら、体を振り子のように揺らして最後は中心へ(ニュートラルに)戻す・・・と同時に心も真ん中に戻ってくるように意識しよう、という目標です。

心は、例えばある出来事や誰かの行動・発言で自分の感情が乱されたときに傾きやすいです。傾いた心に気づかないと、その傾いたまま行動に移してしまうので、結果も傾く・・・ということですね。不快なスパイラルに陥ってしまいます。

ニュートラルになぜ「ポジティブ」をつけたかというと、心が傾いたときに、自分のことを責めないようにしよう、と思ったからです。人間ひとりでは生きていません。周囲から影響を受けるのは当たり前です。1日のうちですら、いろんな人に出会い、そしていろんなことが起きます。24時間ずっとニュートラルを保つのは難しい。

なので、心が傾いたと感じたら、『いけない、アカン、また傾いた』と自分を否定するような意識で真ん中に戻すのではなく、『ほ~ら、そこじゃなくて真ん中に戻ろうね~ よっこらしょ』と明るい調子で自分を整えるのです。そのときに、まず体を揺り動かすと、あまりネガティブな意識にならないので(と、私は感じてます)、肉体も巻き込んで真ん中に戻ります。

以前、易学の先生から『易学の世界では、偏りを非常に嫌う』と聞いたことを思い出しました。なるほど・・・心もそうだし、体もそうだなあ。あ、食べ物もそうだ。みんな同じことだ。

ポジティブ・ニュートラルでいこう。

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こころを込める

週末、「瞑想会」に参加しました。

普段、ひとりで瞑想はしますが、グループでの瞑想の機会は久しぶりでした。瞑想に入る前に、主催者の人を囲んで様々な話をしました。一緒に参加した友人を除いては全員が初対面。こういう出会いも不思議だなと思います。

話の中で、主催者の人が

「自我を取り除いてゆくには、普段の生活の中で、何事もこころを込めてやるとよいですよ」

とおっしゃったことが、その日最も私の内側に響いた言葉でした。

こころを込める・・・24時間のうち、どれだけのことに対してこれができているかなぁ・・・

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ありがたい言葉

先日、不思議なおじさんに会いました。詳細は省きますが、そのおじさんからの言葉。

「ま~、なんだな。精神世界にいる人は自分ばっかり神様拝んでそれで終わりっていう人多いからな。よくこの世は架空の世界なんていう人もいるが、あの世とこの世は表裏一体だからな~。この世で普通の生活して、なるべく『自我』は少なくして、ま~、なんだな。自分もちょっとは人さまのお役に立つことがあれば、という気持ちで普通に生活するのが一番じゃろ~」

ありがたいお言葉でした。

タロットやってるとですね・・・ありがちなんです。いるんです。こちらの世界を捨ててしまってあっちに飛んでしまう人。それでは意味がない。現実の世界にしっかり根ざしながらもう一つの世界と繋がる・・・それが難しいからこそ真のタロットは「秘伝・口伝」だったのかもしれません。

それにしても印象的だったのは、言葉だけではなく、おじさんの「方言」です。方言って・・・独特の温かみがありますね。

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自然の存在

昨日の会社帰りのときのこと。

「やれやれ、今週も無事一週間が終わった~」

体は疲れが溜まっていても気持ちはなぜか晴れ晴れとする金曜日。会社勤めしている人ならこの気持ち、皆さん共感できますよね。

電車で座りながらただぼ~っと前を見ていたのですが、ふと右肩方向から誰かに呼ばれた気がして振り返ると、窓の向こうに それはそれは まんまるとした太陽が。

あまりの大きさとその橙色(あえてオレンジではなく橙色と表現)の輝かしさに、釘づけになった私。

次の瞬間、景色はすぐ都会のビル群にさえぎられてしまい、太陽と見つめあえた時間はほんの数秒だったでしょうか。ですが実に圧倒される時間でした。

自分が何かに呼ばれるように振り返ってこそ味わえた瞬間ですが、私が気づこうが気づくまいが、太陽はそのときそこに同じようにあったわけで。周囲の景色、特に自然界はいつもそうなんですよね。一定のリズムで刻々と変化しながら、常に美しい存在としてそこにあるのです。

明日の日曜日は「夏至」を迎えます。あの太陽に会えてよかった。そんな金曜日の帰り道でした。

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ミツバチの伝言

前回、シンボルについて書きましたが、ひとつエピソードをお話しますと、今年の2月ごろからつい最近まで、自分にとって興味深い存在のひとつが「ミツバチ」でした。

最初に「あれ」と思ったきっかけは、瞑想中にそれが浮かんだからだったと記憶しています。そのあと、いろんな形でミツバチの存在が私の前に現れましたが、先日ようやく、『このことだったんだ』 と、ジグソーパズルの最後のピースをはめるあの快感(?)を味わいました。

ミツバチからの伝言は、長いこと抱えていた私の健康上の悩みをひとつ解決してくれたのです。

不思議なことに、解読が終わると次のシンボルがやってくるんですね。それは・・・解答が得られたらブログに載せたい、と思っています。

日常の気づきは誰にでもできること。いつもより少し注意深く周りを見渡すと・・・あなたへのメッセージがすぐそこに見つかるはずです。

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シンボルを追う日々

タロットカードには様々なシンボルが描かれています。それは偶然ではなく、意味をもたせる描き方です。リーディングにおいて、シンボルに着目し、展開された複数のカードが共通にもつシンボルに気づくことはとても大切です。

これを繰り返ししていると、日常にも反映されるようです。私の場合、自分に対してメッセージを発しているシンボルが最初にやってくるのは、主に夢や瞑想、もしくは散歩中に自然を眺めているときです。よくわからないけれど突然、前後の関連性なく、あれ?という感じです。思いつきに似たような感覚。

1度やってきただけではさして気にとめず、忘れてしまうのですが、「あれ?」と思うのは、2度以上あるときです。まったく異なるシチュエーションで同じ対象(形、音、言葉、記号などなど形態は様々)に出会うと、そこからシンボルを追う日が始まります。

そこに何か自分へのメッセージが込められていると知っているからです。これはタロットが教えてくれたことです。

かといってあまりそれに固執すると、シンボルの意味はかえって読めなくなります。少し遠くからぼ~っと眺めるように心のどこかにとどめておく、そしてたまに近寄ってみる。するとあるとき「あっ そうか」と膝を叩く瞬間が訪れるのです。

その期間はまちまちです。数日でわかったこともありますが、数年かかったこともあります。

これはきっと誰にでもあるのだと思っています。ただ気づくか否か、それだけ。私はこの数年、そのシンボルを追う日々を経て感じたのですが、人は自分で思っている以上に、心身ともに自己治癒力が備わっていると思うのです。なぜなら、「どうしたらよいか?」のヒントは、日常にちりばめられている「シンボル」が教えてくれるからです。

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感情は誰のもの?

再び「感情」がテーマです。無性に書き記したい心境です。

昨日、タロットの「月」のカードに描かれている『水面』について触れました。感情が波立つとこの水面が揺れ、濁り、水面下が見えなくなります。水面下には魂が存在します。

考えてみると、私たちは一日のうちに、泣いたり怒ったり笑ったり・・・目まぐるしく感情が変化しますね。そんなことない・・・と思ったらチェックしてみてください。一日どころか、一時間、いや10分のうちにも変化します。感情とは自分の外側の何かに反応し、水面が揺れている状態です。

この始終変化(へんげ)する水面=感情そのものが自分である、と思っている人が多いように思います。しかし、自分の魂は水面下、波に影響を受けない奥底に存在しています。魂が本来の自分の姿であり、水面に当たる表面は、外界から影響を受けているだけの外殻みたいなものです。

と思ったことありませんか?わたしだけ?

感情=本当の自分 なわけではないのです。感情を表現してはいけない、と主張したいわけではありません。ただ、感情にひどく支配されてしまうと、本来の自分を見失う危険がある、と思うのです。月のカードはそれをよく物語っています。

水面下の本当の自分さえ忘れなければ、むしろよりよく感情の変化とつきあってゆけるはずです。

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感情という名の波

能やミュージカル鑑賞体験を通して、「感情」についての雑感を記しました。昔から、月と人の感情は密接な関係があるといわれています。タロットカードでも「月」には月の下に水が描かれており、その水面は感情という波がざわつくたびに濁り、水面下が見えなくなってしまいます。

水面下には人の魂にあたる部分が隠れています。それをよく観るためには水面が静かで透明になっていなければなりません。つまり感情の波に反応していたら魂の景色は見えない、ということです。

最近、自分の感覚が鋭く、そして敏感になってきていることを自覚しています。そうするとメリットもありますが、デメリットもあるわけで。周囲の人を無意識に観察してしまうのですが、と同時に影響も受けやすく、いろんなものを吸収してしまうのです。

知人からの面白い表現をこの場で借りると、「易者というのは、部屋を掃除するように人を観るのだけれど、やらなきゃいいのに無意識に天井裏まで掃除しちゃうから疲れるんだ」

まさにそんな感じ。でもまてよ。自分の感情が乱される(その人から影響を受ける)ということは、自分も感情のという海の表面にある波に埋もれているのであり、その波よりもっと奥底にある魂の存在をしっかりと認識することこそが大切なのではないか?と気がついたのです。

同じステージにいるから、反応するのです。ステージが違えば、見える世界も異なり、同じ位置には属さなくなります。

何かに影響されて疲れてしまったら、自分の内側に共通した因子がある・・・自分は感情という波間にいるのでは・・・と自己を見つめなおす努力をしたいと思います。

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体験の瞬間に気づくとき

つい先日、母親におもいっきりムカつくことを指摘されました。

指摘されました、が。

ムカついたその同じ瞬間に、「あ、コレ、私自身もそう思ってることだった」と気づいたのです。これは結構オドロキな体験でした。

というのは、何か言われてカァ~っと頭にきたときは「相手」のほうにムカつく要因がある、と思い込んでいるのですが、実は自分もそう思っているからそこを突かれて感情が乱されたといったほうが事実に近いと思うのです。

でもその瞬間はそうは思えない。。。そりゃそうだ・・・。

でも・・・でもが続きますが、その「ムカつき感情」と「気づき」が同時にやってきた経験をすると、「あ、そっか」で終わってしまうのです。「私もソコ、気にしてるんだわ」という気づきで。

人間、泣いたり笑ったり、怒ったり喜んだりで忙し生き物ですが、感情ってどうしてこう波のように揺れ動くものなのでしょうね。そして感情とは一体何者なのでしょうか。

タロットでは「月」のカードが感情と深くつながっているといわれます。月は解釈が難しいカードのひとつです。カードに描かれる月下の水面も揺れ動いています・・・。

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コトバでの表現

今週はたてつづけになつかしい友人と会う機会に恵まれました。

月曜日は8年ほど前に色彩心理学を共に学んだ仲間二人と数年ぶりの再会、そして昨日は以前勤めていた会社の後輩とでした。

偶然ですが、3人ともそれぞれのアプローチで「心理」を学び、日常にいかしています。そして私もタロットという媒体を通して人の心に触れています。

久しぶりの再会を果たし、思い出話から今想うことまで、とにかくしゃべりっぱなし。あっという間の時間でした。面白いことに、月曜と昨日に共通して体験したことなのですが、

・自分が昔言ったことを覚えていない。聞いた側はしっかり覚えている
・同じ体験をシェアしたはずなのに、思い出の景色(もしくはそれをどう言葉に表現するか)が人によって違う

これをひしひしと感じました。ひしひしと感じた・・・というのは、もっと突き詰めて言うと、

『言葉がもたらすものは 事実そのものではない』--- コトバには悲しいけれど、限界がある  ということです。

最近、自分のブログのペースが落ちてきた理由と重なったのでこうして書いてみました。タロットを学び、そのことを通して日常から感じとるものは劇的に増えたものの、増えれば増えるほど、内側に積み上がったそれを言葉として表現することが難しくなっています。

自分の文章能力の問題なのか・・・とも思いましたが(それもおおいにありますが)、それだけではない、自分の気づきを「言葉で表現する」ということにおいて、限界のようなものを感じているのです。気づいたというその事実と、それを言葉に置き換える作業の間に『溝』のようなものがでてきているのです。

反面、何かを伝えたい気持ちは高まってゆきます。・・・ではどうしたらよいか。これからの課題です。

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料理上手は生き方上手?

「ありあわせのものだけれど・・・」

そう言いながら、いま冷蔵庫にあるものだけでパパっと美味しい料理を作れる人、最高ですね。

ここに生き方上手な人に共通するヒントがあるように思います。

冷蔵庫の中身は今自分が持っているすべて。それを使っていかに食卓へ美味しい形でもってゆけるか・・・食卓は人生劇場の舞台。

ないものねだりより、今自分が持てるすべてのもので楽しく勝負する・・・これが何より大事ですね。

あ、もっと大事なことに気がついた・・・。

もともと冷蔵庫がカラッポだったら、こりゃ大変!

普段から、欠かせない必須アイテムを仕入れておくことと、継続的に自炊を続けることが前提ですね。つまり、普段料理してないのに急には美味しいもの作れないってことです・・・。

さ、料理上手になりましょう。生き方上手に繋がるやもしれません★

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ここ数年、私の中で大きな興味となっているのが

『母系のルーツ』です。

母の母、そのまた母、さらにその母の母・・・これをたどるのは至難のわざです。私は、母の母の母がどのあたりに住んでいたのか(どのあたりの家の出なのか)というところまでしか、今のところ辿れていません。

ミトコンドリア・イブという言葉がありますね。人類のルーツを遡ると、最終的にはアフリカ大陸にいた、何人かの(ひとりという説もあり)お母さんになるそうです。

通常は、女性が結婚すると男性の家へ「嫁ぐ」ことになっていますので、母系を追うのは非常に難しいのです。

どんなに偉人でも、どんなに聖人でも、私たち人間は母親の体内で命を得て、そして生まれてきます。それを考えると、『母から子へ』のルートが一回たりとも途切れることなく私まで届いているからこそ、今こうしてここに『私』がいるわけです。

家長がなぜ男性、となっているのかよくわかりません。。。いつからなんでしょうか。別にそれを否定して『女性万歳』をするつもりで書いているわけではありませんが、

命のリレーを思ったときに、『母系』の尊さを感じたわけです。

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大切なコト

週末、タロットを通じて知り合った友人と、電話をしていたときのこと。

『大切なのはさぁ、その人がどこの大学出たかってことじゃなくて、

その人がユリが好きなのか、それともバラが好きなのかを 知ることじゃない?』

ここ数日、彼女の言葉が じ~んと、私を包んでいます。

そう、大切なコトってそういうコト。そういうコトなんです。

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役割を演じきる

唐招提寺についての番組を見ていました。昨年の再放送のようです。

金堂の三尊など、痛みの激しい国宝級の文化遺産を最新の技術を使って修復するプロジェクトが進み、もうすぐ終わるそうです。

番組にはその修復に関わる様々な分野の「達人」「職人」が登場しました。

漆の木から樹液をとる職人、仏像修復のために必要な釘を作る鍛冶屋職人、等々。どの方々もその道を極めているプロ。

こういう仕事に携わっている人もいるのだ、こういう仕事がそもそもあるのだ・・・と驚くことばかりでした。

"修復"というひとつの目的に向かって、多くの人が集まり、関わり、それぞれ自分に与えられた仕事をやり遂げてゆきます。そのプロジェクトの成功は、皆が自分の役割をしっかり果たすことにかかっているわけです。

適材適所に人がいて、それがうまくワークして・・・物事がうまくゆくときって、そういう「整え」があることが基盤なのですね。

自分もいろんな世界に属していますが・・・どうかなぁ。

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人生キーワード

何となくアタマをよぎったこと・・・。よくわからないけれど思いついたこと・・・。ふと目にしたこと・・・。そんなことをもうちょっと掘り下げて考えたり、調べたり、人とシェアしたりすると思わぬ世界が広がります。それは、まるでこれから展開する自分の人生のキーワードを検索するといった感じ。

すべては縁で繋がっているのだな、とおもう瞬間でもあります。最近はそんなことが多いです。でも日常の雑多な諸々にうもれていると、そんな「よぎり」も拾って手に取ることもせず、次に行ってしまうのですね。

モチロン、全部拾ってたらきっと大変!私たちの脳は3%も使ってないそうです。全部拾える潜在能力はあっても、実際に全部拾って、吟味してそれを活用するにはこの体がしんどいのかもしれません。

でもちょっとした「あれ?」って少しでも拾おうかな、と意識するだけで、脳の活用度は3%に、いやそれ以上になるやもしれませんヨ。

幸運の女神は前髪しかないというし・・・ちょっとした気づきに目を向けて、ぐぐっと拾って(掴んで)みませんか。

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皆すべてもっている

昔、ある人に

『嫌なことをされたら、自分にもそういうところ(嫌なことを誰かにする気持ち)が無いかしら? と考えてみなさい』といわれたことを思い出しています。

人は皆すべてもっているんですね。天使の顔、悪魔の顔、光と闇、陰と陽・・・。その時に、真ん中の『主(あるじ)』の場所に誰が座って統御しているかで、変化してゆくのでしょう。

だから、今はニコニコ顔でも急に鬼の面をかぶることもありうるわけですし、その逆もまたしかり。願わくば、真ん中にはいつも"本当の"主人に座っていてもらいたいですね。

今のあなたの真ん中には・・・誰が座っていますか?

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ただそこにいるだけで・・・

朝はどんなに早起きしても、準備の最中はあわただしいもの。

いそいそとゴミを出しにゆき戻ってくると、玄関近くにある木の枝先に目が留まり・・・。

小さな小さな膨らみがいっぱい。そう、蕾(つぼみ)です。

まだ小さくて堅そうですが・・・確実に『春』のお知らせです。

一瞬にして私の中に元気なエネルギーが入ってきました。蕾たちは私のために生まれてきたわけではなく、ただそこにその木があってそして準備が出来たから芽生えてきただけなのですが・・・。

わたしがこれだけやってあげたでしょう? ばかり考えている人間とは全く違う、純な、無垢なその存在に圧倒されてしまいました。

今朝のほんの1,2分の出来事です。そうだ、今日は 『立春』 ですね。

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自分の中のヤギ

誰でも自分の中に『ヤギ』を飼っているそうです。

ヤギは、何か一生懸命目標に向かって努力している自分の耳元で

『ねえねえ、遊ぼうよ~♪』

『ちょっとソレ止めて、こっちでゆっくりしようよ~★』

と囁く存在だそうな。

私は今、その内なる ヤギ と必死になって闘っています。

いくつか期限付きで成し遂げたいことがあるのですが、日々『ヤギ』の囁きが聞こえます。で、どうしてもそちらへひきづられてしまう。敵はどこでもない、自分の内側におりました。

そうそう、タロットカードにも『ヤギ』を見つけることができます。

15番のカードに出てくる「悪魔」は、ヤギの角を持っているのです。キーワードのひとつに『誘惑』がありましたね・・・。そう、実に魅力的な声で囁くんですよ。う~、がんばれ、ワタシ!

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価値観の変容

今までどうしてこんなに大事にとっておいたのかしら?

そんなモノがクローゼットの一角から出てきました。きっとそれを大事にしていたときは、自分にとって価値があったのでしょう。今眺めると、そのときの気持ちさえ思い出せない状態。

よって、処分しました。

もともと荷物は少ないほうなのですが、昨年から続いている『そぎ落としモード』、まだまだ終わりそうもありません。

物質だけでなく、内面についても同じ作業を心がけたいものです。

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器(うつわ)

あの人は「器の大きい人だ」

器(うつわ)。この場合、人の見目形(みめかたち)ではなく、明らかに内面の大小を表す言葉です。

仕事でも、あるいはそれ以外の場でも、人の上に立つ存在は、特に『器の大きさ』が問われます。人の上に立つ、といいながら、器というものは底面にあっててその上に色んなものをのせる(=受け入れる)役割なのですね。その姿はまるで大きな船ともいえます。

自分の器がどの程度の船になれるのか、生まれながらに決まっているのでしょうか。それとも経験が船の大きさを決めてゆくのでしょうか。

人生とはわからないものですが、それぞれ自分に出来るうる限りの大きな船、安全な航海のできる船を作り上げてゆきたいですね。

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自然体

目に見えるすべてのことはメッセージ♪

ユーミンの歌の歌詞にもありますが、以前にも触れましたとおり、コレ、本当なんですね。

ですが、このことに固執しすぎて『あれもメッセージじゃないか、これにはどんな意味が隠されているのか』にやっきになると・・・なあんにもわからないわけで。

いつでも答えはそこにあることを認識しながら、そのことに執着せず、自然体で過ごすことこそが大切だなと思います。

たしかに、キャッチしやすい環境というのはある気がします。私の場合は、朝の通勤時、新鮮な空気を吸いながら木々や鳥の声の間を歩いているとき。もしくは、水と接しているときでしょうか。例えばお風呂とかトイレとか・・・。

ということはやはりリラックス=自然体が鍵であるといえますね。

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やる気の泉

どうも今日は(今は)やる気が起こらない・・・おっくうだなぁと思うときと、

何でも取り組んでみよう、すぐやろう!とやる気がみなぎっているときと、

同じ『私』なのに、いったい何が違うのでしょう?いったい何が作用しているのでしょうね?

どうも、自分の内側には『やる気の泉』があるようです。その泉の状態次第で変わってくるのかもしれません。

泉を直接のぞくことはできませんが・・・タロットを通じて泉を美しく保つことはできそうです。

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醜い部分も自分なのだ

スピリチュアルなことに関心がある人ほど陥りやすいパターン・・・

目指す『聖人像』になるために、いろんなハウツーをためし、そのメソッドに乗っかっていればそのままゴールにいけると信じ込む・・・

これって、自分に醜い部分があるということを全く自覚しないまま、いきなりピュアな存在になりきろうとする、はたまた特別な力を得ようとする危険な行為だと思います。

第一に必要なのが、まずは醜い自分も自分であることをまっすぐ正面から受け止めること。それは自分を蔑むためにやるのではなく、自分以外のところで起こっている醜さが実は自分の内側にもあるのだということに気づくため。

遠くで起こっている戦争がダメだ、と言いながら、自分が戦争にも匹敵するような行為を知らず知らずの間にやっていないかな・・・?その気づきこそ、はじめの一歩のような気がするのです。

まず、いまの自分をまっすぐに見つめていきましょう。

ダイレクトに見つめるのがキビシイなら・・・タロットに鏡になってもらいましょう。

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過去は今つくられる?

過ぎ去った事を思い出したり考えたりする場合、、実際に起こった出来事・事実そのものより、それが楽しかったか、悲しかったかという「どう感じたか」という部分に焦点をあてることがほとんどではないでしょうか。

例えば、○○の試験を受けて落ちた。という出来事・・・この事実は事実としてその時点も今も変わらないのですが、そのことより「だから落ち込んだ。悔しかった。△□だった・・・」というあとで色づけされた景色で思い出が描かれ、記憶の大部分を占めるのです。

つまり、起こった出来事そのものより、そのことを自分がどう受け止めたかで過去が作られているわけで・・・。そしてそれは時間とともに変化するのですね。3か月前の自分はその出来事に対して×というイメージを持っていたけれど、今はそうでもない、△かな。というように。

もしかしたら、過去は今自分が作っているものであり、過去は現在の産物なのでは?と思えます。

人間とはなんと複雑な生き物なのでしょうね。出来事そのものでなく、受け止めた感情で自分の歴史を作っているようなものです。。。そしてその感情は当てにならず、刻々と変わるのですから。

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背中を押してほしいとき

ありますよね・・・ポーン!と誰かに背中をおしてほしいとき。

この気持ちはナンなのでしょう?自分でこっちにいきたい、こうしたいとわかっているのに。その一歩が踏み出せないとき、誰かのほんのささやかな一言で目の前の信号が「青」になる。

結局は自分が決め、自分が行動するわけですが、やはり人はひとりでありながら、ひとりではないんだなと思いました。

タロットからの答えも心強いですが、周りの仲間の存在もなんと有難い・・・そんなことをしみじみと思った土曜の夜であります。

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続・受け取ること  ~カバラ~

「受信」に関連して、もうひとつ書きたいことがありました。

それは 特別な「受信」です。

ユダヤの神秘思想といわれている「カバラ」には

『受け取られたもの』という意味があるそうです。

以前、カバラを教わる機会に恵まれたことがありますが、正直まだ何のことなのか雲をつかむような感触しかもてませんでした。

ただ、こういうことははっきりと感じました。

それは、カバラとは 受け取る資格があるものだけが 受け取るもの ということです。

その受け取る資格、とは一体何でしょうか?コレがムズカシイ。。。正直わかりません。なので、むやみやたらに「つかみとるような受け取り方」が危険であると認識しています。

よく霊的に高いといわれている人に接して、その人に近づこうとする人々がいます。誰もがほかの人になれるわけがないのです。自分は自分にしかなれず、自分の人生しか生きられません。そこに、何かを無理やりに目指そうとすると、それは『欲望』そのものになりかねません。

叡智を目指し、真理を求める道にはこういった落とし穴が沢山ある気がします。タロットの道もまたしかり。

よって、いくらカメさんのように遅くなっても自分の器の範囲内で受け取ることが大切だと思っています。ただ、その歩みを止めないよう続けることこそが必要なのだと。

ゆっくり、ゆっくり、です。

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受け取ること

最近、「受信」について非常に敏感になっています。

私宛に送られてくるあらゆる送信物はもちろん、そうでなくとも目に見えるすべての視界にあるもの、これも映像として意識的に「受信」します。

人は同じものを見ても、聞いても、ほんとうに人それぞれの受け取り方をしていると気づかされます。自分には気づけなかったこと、あるいは自分しか気づかなかったこと、お互いに気づいたこと、様々です。その人がもつ「受信機」が違うのですね。

受信機の感度のよいときは、朝の通勤時の電車から見える風景でさえ、いろんなメッセージを運んできてくれます。オフィスでとなりの席の人との何気ない会話からも、深い意味を教わったりすることもあります。

昨日、久しぶりに母と会いました。お茶を飲みながら、母はいつも以上に多弁でした。本人はそれにちっとも気づいていません。とにかく話し続けます。その内容にもやはり、私が欲しかった答えが含まれていたりしました。

こういう時期はとにかく静かにしていて、ただただ「感謝」です。そして、理屈でなく、また無理もなく、自分を囲む環境に感謝できるから不思議です。

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帰依

年末から年明けにかけて、私の脳裏を幾度もよぎった言葉‐‐‐

それが『帰依』でした。

聞いたことはあっても、今まで特に意識して考えたこともなく、なぜこの言葉が何度も浮かんでくるのかわかりませんでした。年末サンフランシスコへ飛び立った直後、夕日に赤く染まった雲海を見つめたとき。年が明け、初めてタロットカードを引いたとき。そしてカリフォルニアの山で再び雲の上から雲海を眺めたとき---

手元の国語辞典で引いてみると、帰依とは「仏を信じ、その教えに従うこと」とあります。たしかに、帰依が仏教用語ということは知っていました。ただ、私が帰依という言葉に対して抱いた感覚はひとつの宗教で形づくられるものではなくて、何か"大いなるもの"に身を委ねて進みなさい、そんなことを言われている気がしました。

数年前、長年勤めた職場を離れ、その後タロットとの出会いがありました。これこそ自分がずっと探究してゆきたい道、そう思い歩き出しました。

何かを始めると、すぐ結果についてあれこれ考えてしまいます。
コレをやって成功するだろうか?うまくいくだろうか?私もタロットに対してそんな不安を抱いているように思います。その気持ちに対して、自分が信じたものに『帰依する』ことの大切さを告げられたのかもしれません。

自分でもまだよくわからないこの感覚ですが、結果にこだわらず「コレをやるんだ」という意志をもって前に進んでゆこうと思います。今年はスタート地点から何やら不思議な感じです。

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平等ではないけれど・・・

人は生まれた場所によって与えられる環境はそれぞれですね。どの国に生まれたかということもさることながら、どの家に生まれたかということでも。家とは血筋という意味でもあります。

そう思うと、人生のスタートラインで人間とは平等ではないわけで・・・悲しいかな、それが現実です。

しかしながら、一見、何もかも持っていて恵まれているはずなのにどこか満たされない人もいれば、ラッキーな環境ではないはずなのに、微笑みを絶やさない人もいます。

つまり「物質的な豊かさ」が「精神的な豊かさ」を保証してくれるわけではない、ということです。生まれた時点で与えられた恵みをうまく生かせない人、逆に、始まりは寒風が吹いていてもほんの一粒の種に懸命に光や水を与え、花を咲かせる人もいて、人生とはわからないものです。

大切なのは、自分の持っている種がどんな種なのか、どんな花を咲かせることができるのかをしっかりと見極めて、大きく育つ条件を自分で作っていくことなのかなと思います。

あ、まるでSMAPの『世界にひとつだけの花』そのものですね。

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ひとのマネで終わらない

何かを学ぶとき、書物から知識を得たり、人からハウツーを教えてもらったりしますね。自分が知らなかったことに出会うことは実に楽しいものです。

素晴らしい本と言われているから、それを読んでみる。よく理解した。ためになった。

素晴らしい人だから、その人の話を聞く。その人がやっていることを自分も真似てみる。私もあの人のようになれるかな。

なんかこれだけじゃダメなんだな、とつくづく思います。入口としては、もちろんよいのでしょうが、さらに一歩進んで、そのことを踏まえて『自分の体内でどう消化して、どう実践するか』をやってみてこそ、本当の理解が待っているのだと痛感しています。

ひとマネで終わらない人生にしたいものです。

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星占い

毎週、楽しみにしている星占いサイトがあります。

当たる、当たらないという観点ではなく、その人の文章表現が面白いので毎週チェックしているという感じでもう2年ほど経つでしょうか。

それがここ最近、彼女の星占いが妙に自分の行動や方向性とマッチするのです。そしてまるで追い風を吹かせてくれているかのような内容です。

そのユーモアたっぷりの前向きな表現が私を鼓舞してくれるのでしょう。自分の意志の強さも反応してやるべきこと、やりたいことがどんどん進んでゆきます。

師走なのであれこれ忙しいですがココロは元気です。

たかが面白い星占い、ではなかったのだ。ありがたや。

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インスピレーション

毎朝のオフィス最寄駅からの徒歩15分は私のゴールデンタイムです。

朝の冷たい空気、銀杏並木をはじめとした木々、濡れ落ち葉、鳥のさえずり・・・すべてを感じながら歩くその15分に「インスピレーション」が湧きます。

ニュートンがりんごが木から落ちるのを見て・・・

アルキメデスがお風呂に入った瞬間・・・

レベルは全く異なりますが、ごく平凡な私にも

「ああっ」という何かが降りてくる瞬間があるのです。

自然の恵みは素晴らしいです。都会にいても、あなた次第できっと感じられるはずです。

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知恵の源

よい知恵が出るのはどんな時でしょうか。

私の場合は主に下記の3パターンかな。

1.切羽詰まった(崖っぷちに立たされた)とき。
但し、感情に巻き込まれ、落着きをなくしているとダメ。ギリギリのところで、冷静にどうしたらよいのかを見つめられると「ふっ」と浮かびます。そこまで追いつめられないと知恵が出ないのも・・・?だったりして。

2.長い間徐々に蓄積された経験をもとに、ピコーンとひらめくもの。
根拠のないひらめきではないので、自信をもってその知恵を活用できます。

3.タロットカード。
これぞ、という感じです。ただ、1や2があってこその3だなぁと常々思います。

というわけで、何かピンチを迎えたり、足りなくて苦労したり、難題がやってきたりすることはそのこと自体が知恵を呼ぶ源になっているのですね。そう思えば、人生のハードルは「知恵の源」になってくれているのかも。

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今年の漢字

今年の世相を表す漢字が今日、京都の「清水寺」で発表される予定ですね。

自分にとっての2008年を一文字で表すとすると・・・どうでしょうか。今年一年の振り返る方法のひとつとして、やってみるとなかなか面白いと思います。

私も静かに自分の12か月を辿ってみました。すると『』という文字が浮かんできました。

「移」は"もとはいねの穂のゆれ動く意を表したが、転じて「うつる」意に用いる"と手元の漢和辞典(角川新字源)にあります。

ここ数年は私にとって非常に変化が激しい時期なのですが、変化する『変』というより、むしろ今年は"移行してゆく、徐々に移り変わってゆく"という意味で『移』を選びました。

なぜなら、仕事もタロットも依然と変わらず続けていますが、それらに対して自分が見る角度や景色が徐々に変化していることを実感しているからです。意識のシフト、といった感じでしょうか。

タロットカードで思い浮かぶのは、数をもたない「愚者」と14番の「節制」のカードの組み合わせです。徐々に、しかも慎重に微調整しながら、確実に自分を目指す場所へ移行させてゆく・・・現実的にも霊的にも。そんな感じです。

みなさんが選ぶ漢字はいかがでしょうか。それをもとに来年の目標や方向性を考えてみるのもいいですね。

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別世界から学ぶ

親しくしている人の中に、英語圏の人がいます。その人とのコミュニケーションは英語。流暢でないからこそ、考えや思いを伝えるときは真剣そのもの。

必死で対応しているとそれなりに慣れてくるものです。そして・・・あるとき、自分がいつも同じフレーズ、癖のような言い方を繰り返していることに気づきました。それは語彙力の乏しさが原因というより、明らかに自分の考え方や"思い癖"からくるものでした。

その人と会話をしながら「あっ 私またこういう思考パターンになっている。同じ反応だ」と感じたとき、別の世界の対象と関わると、見えなかった自分があらわになるものだなぁと気づいたのです。

別世界の存在は、何も言語に限ったことではなく、全く違う環境で育った人や世代が違う人、職業がお互い異なる場合などなど、思えば周りにたくさんある(いる)わけですね。

タロットもいわば別世界の存在との交流と言えます。そちらの世界から見た私はどうなのだろう?そちらの世界に足を踏み入れたら、自分はどう変化するだろう?タロットからも今まで数え切れないほどの自己の気づきを得ました。

そう思うと、すべての体験が自分が何者であるか?のヒントをいつも与えてくれているのだなと感じます。"自分対○○"の交流の中で自らを知ってゆくといえますね。

自分を囲むすべての別世界から学ぶことが楽しく思えたら・・・人生幾つになっても悪くないかも。

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前世

前世・・・この言葉をブログで触れるのは初めてです。

果たして私はこの世限りなのだろうか、もしくは前世があったのだろうか・・・

今の私には、イエスともノーとも言えません。頭から否定する気もなければ、前世の話を積極的にしたいとも思いません。冗談交じりに「前世でも友達だったかもね」ということはあるかもしれませんが、本気で思って言ったことは今のところないです。

タロットリーディングをしていると、前世の話も全面的にOKと思われがちなのですが、私のスタンスは少し違います。タロットは自分が実際に学び、日々触れた上で納得できる手ごたえがあるので、自分の想いを記せるのですが、前世については今のところそれがまるっきりないのです。きっと確信がもてる何らかの「体験」があれば考え方が変わるのかもしれません。

ただ、遺伝子に刻まれた「記憶」のようなものが遠い先祖からこの身に受け継がれているということは自覚しています。人類はとてつもなく昔に遡ると、皆、アフリカ大陸の数人のお母さんから生まれてきているそうです。そこから繋がっている遺伝子のバトンリレーがあるのですから、細胞レベルで何らかの記憶があれば、先祖が体験した何かが、まるで自分が前世で体験した事のように感じるのかもしれない・・・と想像します。

というわけで、タロットに対し自分がとことん向き合ってそこにある深遠な世界を感じたように、前世についても「そんな気がする」レベルでなく、自分が何らかの確信が持てる日がきたらアレコレ書いてみたいなぁと思っています。

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思いが未来を、自分をつくる

自分が心に思うこと・・・イメージすること。その力が自分の細胞ひとつひとつにどれほどの影響を与えているか考えたことはあるでしょうか。

何かを習得するときに、人は繰り返し覚えたり、実践したりすることで身につけてゆきます。それと同じで、「思い」も目にはみえずとも立派な行為です。繰り返すことで「身について」しまうのだと容易に納得できますね。

ならば、日々どんなことを思う自分でありたいかが、分かってきますね。迷いを決意へと導びいてくれるタロットは、自分の心を整える際に大きな力を貸してくれます。

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よい人生ってどんな人生?

「よい人生」とはどんな人生でしょうね。

誰にでもあてはまるよい人生なんてあるでしょうか?

ある人にとっては、家族に囲まれ何のハプニングもない平凡な毎日が人生の幸せであるでしょうし、またある人にとっては、いつまでも一人で自由に飛び回っていることが幸福と感じられたり。

もし「よい人生とは」を表現するのであれば、その人自身が、どれだけウソや葛藤のない道を歩いているか・・・といえるのではないでしょうか。

いつも思いどおりにコトが運ぶなんてありえません。不本意なことが向こうからやってくることもよくあります。でもその時点でどうするか、何を選択するかは「自由意思」つまり、自分で選択しているのです。

選んだのは私なんだ、そう自覚することで腹がすわり、目の前のことに真正面から取り組む勇気が出てくるのだと思います。その覚悟の連続が、ウソや葛藤のない人生を作り上げてゆくのでは・・・と思っています。

タロットをやっています、というと「ああ、占いね」もしくは「オカルト?」なんて、ある意味ポジティブじゃない反応が返ってくることもあります。でも、自分でその道への扉を開けてしまったのでもう進むしかありません。また、進む決意ができているので、いつの日か自分の人生に実がなる「タネ」を蒔けた実感があります。

私にとってはタロットが「タネ」であったわけですが・・・どの人にもその人ならではの魔法のタネがあり、蒔く意志と育てる決意さえあれば実りを得られるのだと思います。

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らせん

今日のブログは他のことを書くつもりでしたが・・・

作成ページを開けたとたん、

「らせん」という言葉がひらめきました。

らせんというと、何を連想するでしょうか。

DNAがらせん構造なのは、現在では周知の事実ですね。

私たちは毎年同じように四季を迎えますが、去年の春と今年の春は同じようで違う、来年の春もまた同じようで違う・・・巡る季節もまるで「らせん」のような動きをしているようです。

そして、タロットの大アルカナも、数をもっていない「愚者」から21番の「世界」まで、これまた「らせん」を表現しているといえます。「世界」は決して終わりではなく、また「愚者」に戻るのです。ただ、季節と同じように以前のものとは違う「愚者」の姿で・・・。

この世のすべては、それぞれの体系の中で「巡る」形をとりながら、少しずつ変化を遂げてゆくのでしょうか。

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ひらめく瞬間

ここ数日間、海外の友人が来日していたため、一緒にいる時間はほとんど「英語漬け」。いやあ、参った参った。ちょっとしたことを話すのに想像以上に時間がかかったり、うまく表現できずフラストレーションがたまったり。

あらかじめ予測できる会話内容は準備したものの、お互い生の人間ですからそんな準備が役に立つ話題は限られており・・・。

でも繰り返し、根気よく会話を続けていると、準備もしていなかったのにその場に必要な単語やフレーズがひらめく瞬間があるのです。もちろん、自分が学んでいない表現は浮かんでこないですが、以前アタマに一度でもインプットされたことのあるものであれば、まるでそれまで土に眠っていた種が芽を出すように"ひょこっと"。そんな瞬間が何度かありました。

それは、タロットのリーディングで時々おとずれる、「あっ」と降ってくる図像からのメッセージと似た感覚でした。

何事も、コツコツ続けることで、自分の内側に下地ができ、必要なときにそれが取り出せるようになるのかもしれないなと実感しました。

できないなあ、わからないなあと思いながらも、あきらめないで続けてゆくことは大切ですね。芽が出るその日まで。

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自分を笑う

自他共に認める「心配症」な私。

長年秘書をしているのでその影響も強く、いわゆる職業病かもしれません。

昨日、友人と一日行動を共にし、我ながらとにかく「心配の種」を探すのが得意だなぁと感心してしまいました。

何かを心配しているときは、「いま・ここ」という意識が抜けています。なぜなら心配というのはこれから起こりうる先のことを想像し、想定し、あれこれ沸き起こってくる感情なので。

こうだったらどうしよう、ああだったらどうしよう・・・

隣にいる友人はそんな私とは真逆。その人の「大丈夫だよ」を何度も聞きながら、思わず大声を出して自分を笑ってしまったのでした。

自分を笑えるということは一歩前進ですね。自分を少し遠くから見て「滑稽だなぁ」と気づけたということですから。気づきは何かの始まりなのです。

違う性質をもつ友達は有難いものですね。

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鳥のように

親しい人とのメールのやりとりで、「俯瞰」という言葉が出てきました。

俯瞰とは、こんな意味です。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BF%AF%E7%9E%B0

時には鳥の気分になって、この俯瞰的な意識で物事を見つめなければと思います。

そう、こんな景色を眺めてみる・・・

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BF%AF%E7%9E%B0%E5%9B%B3

特に、自分を客観的に見る必要があるときは・・・ですね。

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世界は何色?

女の子ならよく経験することではありませんか?

今朝は髪型がバッチリ決まったから、ルンルン♪

お化粧のノリがいいからハッピー♪

好きな人から話しかけられた。バラ色の人生♪

こんな気分の時に見えた世界と

今朝は髪型が決まらない。最悪。

肌のふきでもののせいで化粧が・・・。あーどこへも行きたくない。

好きな人が別の女性とデートしているのを目撃。ああ、アタシの人生暗し。

こんな気分の時に見えた世界。

それぞれまったく違った景色に見えるでしょうね。

でも、きっと鳥はどちらも同じようにさえずり、花はどちらも同じように美しく咲き、時間はどちらも同じように過ぎてゆく・・・。

そう、目の前に「どんな世界が見えるか」は、その人の意識が色をつけていることが多いのです。あなたの見る世界は何色ですか?

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暗号を解け

何気ない日常に、いかにメッセージがちりばめられているか・・・

10月を迎え、そんな気持ちが沸々とわいてきています。

人生はまるで、暗号を解くゲームのようです。私は子供のころから推理小説が大好きでした。名探偵が事件解決の鍵を発見するとき、事件とは直接関係のない誰かの発言であったり、出来事であったり景色であったり・・・そんなところから「あっ」と気づきを得たりしていたのを思い出しました。なぜなんだろう?どうしてなんだろう?と思っていたことが、意外なところから降ってきたりして、まさに名探偵の気分・・・です。

見ているようで見ていない、聞いているようで聞いていない。今までそんな日々がいかに多かったことか・・・。

まだまだ気づかぬ暗号はちりばめられているはず。今日も明日も明後日も・・・人生はその気になればワクワクなことだらけです。

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変わるものと変わらないもの

先月から、心揺さぶられる出来事が多いのですが、私自身の「ものの見方・考え方」、そして「心の在り方」について深く見つめなおす機会を与えられているようで、今のこの"心揺らぐ時間"をある意味とても感謝しながら過ごしています。

自分が「何に」心揺さぶられているかというと、○であったものが実は▲なことに気がついたり、今までもそしてこれからも◎の形のままであろうと信じていたものが、知らぬ間に■に変化していたり。具体的に記すことはできませんが、自分が「こうだ」と信じていたものが、実はそうではなかった・・・という気づきの連続があったということです。

こんなはずでは・・・とがっかりして、うなだれて、終わり。昔ならそれもありえますが、今はそんな私ではありません。心揺さぶられる原因は、「自分の中の思い込みにあった」ことに気づき、その思い込みの枠自体に目を向けようと頑張っています。

人も、価値観も、何もかもが刻々と変化しています。大きくいえば地球だって変化の連続です。その中で、変化して当然なものを「いつまでも変わらないもの」としてとらえていた自分の思い違いを認識し始めているのです。

変わるものと変わらないものを、しっかりと区別できる目を養わねばと思っています。

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数は"神"である

誰かが想像する「リンゴ」と私が思い浮かべる「リンゴ」・・・そこに違いがある可能性は大。

誰かが思う「きれいだな」と私が感じる「きれいだな」・・・そこにも違いがある可能性は大。

でも、数は絶対値。1は1であり、100は100。

「あの山、とても大きかったよ」と言われて実際見たけれど、私には「大きく」なかった。そんなことはあっても、1が1じゃないなんてことはない。計算違いを除いて・・・。

あらゆる存在に数値が関わっており、数なしでは何も作れない。寸法がはかれるから同じものが作れる。数値が把握できているから、ある法則を発見でき、他にも応用ができる。世の中、数で成り立っているといえますね。

古代エジプトでは、数とは神と同じであったと言います。今、そんな風に身の回りの数を神として感じている人がどのぐらいいるでしょうか。

神としての数を身近に感じると、世の中が変って見えてきます。確実にそう思えるのです。

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一歩一歩の手ごたえを

毎日少しずつ自分のサイトを整えています。

平日は朝から夕方までOLとして働いていますし、週末も何かとやることがある中、少しでもいいから時間を見つけてやろう、と決めています。配色・レイアウト・文字の大きさ・・・やり始めるときりがありません。

最近は、HTML画面とにらめっこしながら編集するので、ものすごい疲れるのですが、それでも毎日少しずつ進めていると1ページ1ページが望み通りのスタイルに出来上がってゆきます。

HTML画面での編集は実に不思議で面白いです。決まった方程式や数字を入れると、画面が出来上がるんですもの・・・PCに詳しい人にとっては「そんなこと当然」でしょうが、私には「へえ~」の連続。これを作ったのは人間なんだ、と思うとこれまた感動。

毎日の積み上げがある形になってゆくことは楽しいものですね。私のアタマに今、浮かんでいるタロットカードは「神の家」。家のレンガを積み上げるように、ゆっくり少しずつサイトを作りあげてゆきたいです。

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転んでみて気づくこと

別に本当にスッテンコロリン、転んだわけではなく・・・

金曜日から高熱にみまわれ、ウンウンうなっておりました。熱を出すことがめったにない私、自分でも驚くほどの体温計数値。外は落雷音。私のアタマの上にもカミナリ様がおちてきたんじゃないか?ぐらいの頭痛。ああ、8月最後の週末だというのに・・・。散々でした。

思えば今月は公私ともに休みなく動き、海の向こうにもゆき、かなりのハードスケジュールでした。精神的にも大きな影響を与えられることも多く、気疲れが溜まってしまったようです。

発熱と頭痛で動けないと他に何もすることができないのでただただ寝ているばかりです。本当に寝入ればよいのですが、そうもいかず、そうするとベッドで色んなことを考えたりします。

横たわりながら、気づかされることも沢山あるんですね。健康に生活できる有難さはもちろん、普段忘れてしまっているごくありきたりの諸々なことも。

HPもリニューアル、私も発熱したことですし(?)、生まれ変わった気分で明日から9月を迎えたいです。

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気づきこそが道を拓く

今月は、個人的にハートを揺さぶられる出来事が多いです。

天体上でも今月は何やら初旬からハデな動きのようで・・・残念ながら占星術の知識はあまりなく、分析どころではないのですが。

でも、どの出来事も急に降ってわいた驚くべきことではなく、自分の内なる"水瓶"の中身がちょうど溢れだす時期を迎えた感じ。少しずつ少しずつ、時間をかけて蓄積しそれが何なのかやっと理解できる自分になれたのでしょう。

「気づき」こそが、自分がこれから進む道標の土台を作ってくれると信じています。今月得た「気づき」、私の内側で大切にしてゆきたいと思っています。

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夢を現実にする近道

夢を叶えたいのなら、すでに「叶った」自分を具体的に、そして鮮明にイメージしましょう・・・。

そんな内容をスピリチュアル系のサイトで何度も目にしたことがあります。

確かに潜在意識にうったえかける手段として効果があるように思います。でも、もっと確実に夢を現実にできる手ごたえを感じたい・・・そう思うのなら、私は次の「2つの意識化」が重要だと気づきました。

1.時間は「有限である」ことを意識する
2.自分の行動のプライオリティ(優先順位)を意識する

1は、成し遂げたい物事に必ず「期限」をつけるよう意識するということです。若ければ若いほど、時間が無限にあると思いがち。「こんな風になったらいいなー」とただ思っているだけでは、時が無常に過ぎてゆくだけ。期日を設けることで、自分をよい意味で追い込め、行動へと移せます。仕事はいつもそうですよね。期日があってこそ成り立っています。

2は、今自分が行っていることが一体何なのか、夢に向かうために必要な行動なのかを意識するということです。公私における立場上の義務はもちろん無視できませんが、そのこと以外で、無駄なことに長時間心を奪われていないか気をつけるだけで随分意識が変わってきます。自分の内側でプライオリティがはっきりしていれば、悶々と悩むことも減り「私はこっちへ進みたいからこれを選ぶ」と、早く決断できます。

・・・と、ここまで書いて。思い出しました。このアプローチは、少し前に取り組んでいた「カバラー」に似ています。カバラーで学んだ「『生命の木』を使って目標を達成すること」・・・これはあらゆる側面から自分の夢への動機を意識化し、余分なものは省き、意識のベクトルを一点に絞ってゆく作業です。

自分と時間を意識すること・・・本当に大切なことですね。

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送り火を見つめて

今日はお盆の送り火の日。家族とともに、先祖の御霊が天に帰るのを見届けました。

「火」は、人類が作り出した最大の知恵のうちのひとつ。そして、岸の向こう側の存在と私達とをつなぐ手段としても、欠かせないものなのだなぁと、送り火を見つめながら思いました。

家によってお盆の過ごし方はまちまち。儀式をやるにしても、本来のやり方と異なっていたり簡略化されているかもしれないですが、それでも家族が集まり、向こう岸の存在と繋がる意識を持ち、自分のルーツを想い、そして今に感謝できる機会だと思えば本当に有難い日本のイベントだと思います。

今日の送り火は私にとって、しみじみ・・・と心にしみいるひとときでした。

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思考パターンからの解放

自分の思考パターンに、ハタと気づくこと、ありますか?

それはもう、儲けモノ。気づくことなしに、そのパターンから解放されることはないのですから。

『私ってどうしてこうなんだろう』そう、くよくよしていたケースが過去によくありました。そのときは、自分がまるで「永遠に変えられない、そういう人」と決め込んでいたのでしょうね。

今の私は、完全ではないにしても、我が思考パターンに気づいた後で、

『じゃ、次はこうすればいいのよね』と、落ち着いて自分を少し遠く離れた場所から見ることができるようになっています。

どうしてそう思えるようになってきたのか・・・。

それは、自分の意志ひとつで、自分もそして自分が見える世界も変えられるのだということをタロットを通して教わっているからだと思っています。

分かったような顔はしたくありませんが・・・というかまだ、全然分かっていない段階ですが・・・その気づきに至れたことが大切なことだと感じます。

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変化、好きですか?

知り合いで、完璧に出来上がっている自分のウェブサイトを常に「まだまだ、まだまだ」と改良に改良を重ねていらっしゃる人がいます。

同じようにサイトを持つ人間として、心から敬服しております。まるで毎日新しい自分に挑戦しているかのよう。状況に対応した変化が出来る人です。

そうそう、「変化」はお好きですか?

変化が好きな時は、心身ともに元気な証拠ですね。流行に流される変化とは違い、自分の軸を持ちながら常に世の中の流れ、自分の成長度合いによって新しい面をおそれずに打ち出してゆく・・・そういう姿勢の人はみていてホレボレします。

以前、友人に「エッセイストは動いてないとネタがない=書けない んだよ」といわれました。ブログもまた然り。思えば、しばらく気づき(ネタ)がなく、うーん、書けないと苦しむときは自分を動かしていないときなんです。でもそのことに気づけるので、ブログの存在は有難いといえます。

動けば変化し、変化に対応すべくまた動く。この繰り返し、何かが生まれそうですね。

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量より質でいこう

タロット・リーディングの先生からよく言われたのが

「ひとつひとつのリーディングを丁寧に」

写経をするよう勧めてくださった方から言われたのが

「一日一文字でよいから丁寧に、前よりもっと丁寧にの意識で」

何かやろうとしたとき、「数をこなそう」とすると、目の前の行いに意識が集中できていないことが多いです。いわばやっつけ仕事みたいになってしまう。

するとずっと何年もやっている割に身にもつかず、気づきも少なかったりして。

そんなことがないよう、その時々の行為に心をこめたいものです。タロット・リーディングの場合、それを心がけたとき、かなり時間が経っても展開のカードの景色がすぐ蘇ってきます。その時の感覚も・・・。

リーディングは一期一会のようなものですから、同じケースはないのですが、この積み重ねが次のリーディングに活きるのだと感じます。

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意外に知らない自分のこと

自分と付き合っているのは自分が一番長いはずなのに、毎日自分がどんな顔して歩いて、通勤して、人と挨拶して、仕事して、ゴハン食べて、そして寝ているか・・・自分が一番知らないものですよね。週末、お店でふと大きな鏡に映った自分と目が合ってがく然としました。なんじゃこの覇気のない顔・・・。また、仕事でPCに向かって必死になっていると「目が三角になってるよ」と指摘され・・・いやぁ、言ってくれるだけ有難いものです。

ナルシストになるつもりはありませんが、毎日鏡を見て「おだやかな顔」の自分に整えることは大事だなぁとつくづく思います。そう、笑顔の練習もです。心と体はつながっていますものね。

内面を映しだす鏡はタロットの力を借りますが、自分の体や顔は本物の鏡をどんどん利用したいと思っています。

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苦手意識からの解放

誰にでもありますね。「ちょっとそれは・・・」という苦手意識。本日の話題は、対象は人ではなくて物事として書いてみます。苦手な勉強、不得手な事柄・・・。

その意識はどこからくるのでしょうか?過去に失敗という苦い経験があったから?そのことが難しすぎると思うから?はたまた、そもそも興味がないからでしょうか?

この苦手意識があるとコトが本当に前に進みませんね。そのことを遠ざけて益々苦手になる。まるで「臭いものにフタ」と同じ感じです。

最近、ひとつの「苦手意識」を解放する術を獲得しました。獲得したというか、できそうな感触です。それは、苦手意識の対象を「実は昔は何の苦もなくできたことだが、やり方を忘れてしまっただけで、今それを復習しながら少しずつ思い出しているのだ」というイメージを強く描くことです。加えてそのことを「本当は好きなの」と温かい気持ちをもって接してみることです。

まるで自己暗示ですが、こういうイメージングってかなりの効果があるものだと実感しています。以前、「こうなりたい」と願うのではなく「もうすでになっている」というイメージを持つとよいと何かで読んだ(聞いた)ことがありますがまさにその通りです。

でもイメージだけではNGです。そうしながら実際に行動を起こすことが不可欠。イメージは準備運動。そのあと汗をかくほど練習せねばなりません。そうすれば本番の試合で望む結果を出すことができるでしょう!

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永遠の学生

海の向こうの人と、ほぼ毎日チャットしています。

「僕たちは永遠の学生なんだよ」

先日、そんな言葉をもらったことを思い出しました。

そう、どこまでも、いつまでも学んでゆくのだなぁとしみじみ思います。学ぶとは、書物からだけではありません。むしろ今は書物からではないことのほうが多いと思えます。ではどこから?私の場合、周囲の人々から学ばされることが圧倒的に多いです。

それはあらゆる人から。目上の人のみならず、時には赤ちゃんからだったり、今はもうこの世にいない人からだったり。また、案外自分にとって苦手な人から学ぶことが多かったりして。

学ぶとはどういうことでしょう?私は「気づくこと」だと思います。この気づきの連続は、永遠に続くのでしょう。というわけで、「永遠の学生」という言葉、しみじみと納得したのでした。

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勇気はどこからやってくる?

勇気がキーワードのタロットカードは11番の「力」。

カードを見ると、若い女性がいとも簡単にライオンの口を素手で広げています。・・・うわあ、すごい勇気。現実とは思えない勇気だからでしょうか、同時に「奇蹟」というキーワードも持っています。

勇気は一体どこからやってくるのでしょうか?勇気は、目に見えますか?見えないですよね。勇気とは一体なんでしょう。

カードに描かれるライオンは、彼女が直面している「困難」とも見て取れますが、彼女自身の「心」を表しているともいえます。人はときに、自分の心のコントロールほど頭を悩ますものはなかったりします。心を容易に正しく操ることができたとき・・・一見奇蹟とも思える力(本当は本来の力)を発揮することができるのでしょう。それができる心の状態が「勇気」なのですね。

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あるがままを見る

たとえば、とてもネガティヴな気持ちになったとき ---

「いまのムカツク」

「何よ~」 etc...

もしくは エゴが全面に出ているのを感じたとき ---

「こう言ったらよく思われるかな」

「自分のほうが優れている」 etc...

その湧き上がった気持ちにフタをしないで、あるがままを見つめるようにしています。自分はいつも正しいとか清いとか・・・「かくあるべき」のような理想像を見上げるよりも、むしろ上に述べたような想いに気づいたときほど、自己を深く掘り下げる努力をしています。

でも、掘り下げながらそのことをネガティヴ=悪い という視点でとらえるのではなく、どうして自分がそう感じるのかを注意深く観察します。自分はどうせ完璧な人間じゃないから・・・という、ひねくれの隠れ蓑にするつもりではなく、湧き上がるそのマグマは何が原因なのかを"裁くことなく"見つめる努力です。

この作業を繰り返ししてゆくことで、自分以外の人のこともあるがままで見つめるようになれる、そんな気がしています。

タロットカードが逆位置に出ると「問題アリ」といえますが、それは「悪い」と同義語ではなく、そこを深く見つめなさい、と語っているのではないかと感じます。

大概、逆位置のカードが表わすものにフタをして、顔をそむけてしまうのですけれど、ね。それは「善悪」の判断を無意識につけてしまっているからだと思います。

あるがままを見る---とても困難な作業ですが、繰り返し繰り返し、根気よくやっていこうと思っています。

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私を導くもの

今朝のタロットカードは4番の皇帝。正位置。やろうと思ったことは実行しようという日なのだ、と直感。

で、金曜日に降って湧いたアイディアflair

「善福寺公園まで川沿いに歩く」ことについて再びタロットでシャカシャカ。

過去に「戦車」・現在に「神の家」・未来に「斎王」。過去の「戦車」は視線カードなので左にもう一枚置くとそれは「法皇」。すべて正位置。

もたもたしてはいられない(=戦車が急げ!って言ってる)。すぐ仕度して家を出ました。

ルートは決めていました。善福寺公園へ直行するのではなく、毎日曜日に参拝している八幡神社へまず足を運び、そこから向かおうと。自宅と神社の中間地点に善福寺川が流れています。その川をたどり、源流のある公園まで。川沿いを歩こうとすると、ご丁寧に「源流まであと○○km」と表示があるではないですか。片道2.5kmの川沿い遊歩道をてくてく・・・。源流に近づくわけですから、川の水かさがだんだん豊かになってゆきます。

歩きながら「私は川から教わることがたくさんあるなぁ」とひとり笑い。ずっとブログを読んでくださっている人はお気づきだと思いますが・・・。どうやら私にとって「川」とは、自分の内側に気づきをもたらす重要なシンボルのひとつ、のようです。

源流へ向かうわけですから、川下から川上へ・・・。これは、内的な動きで見てみると「自分のルーツを探す」衝動のように感じました。自分はいったいどこからやってきたのか、家系的なルーツを含め魂的なもの・・・。それを強く求めている自分に気がつきました。

朝のタロットカードで登場した「法皇」から、「先祖の導き」のような感触を受けた私。また、「神の家」はまさしく神社。いつもの八幡様だけでなく、源流のある公園近くにもまた別の八幡神社があるのです。そこに立ち寄る必要があることを示唆していると感じました。未来に出た「斎王」は内面での気づきを自分が確かに受け取れる暗示です。

カードから受ける印象は、とっさのインスピレーションであればあるほど、理屈を超えて納得してしまうものです。片道約3kmの道のりもなんのその。源流のある公園にたどりついた私は、妙に、、、感極まって、、、泣いてしまいました(これホント)。

なんだか母の胎内に戻るような、そんな安心感と心地よさが待っていたのです。澄み切った美味しい空気を吸って・・・眩しい緑を全身で取り込むことができました。

あはは。私は魔女でも霊能者でもなく。たかが普通のOLの日曜日ウォーキング・・・なんですよ。でも、ですね。こんなにも心豊かになれるのであれば、毎日をどう彩ってゆくかは本当に「自分の心次第」なんだなぁと実感したわけです。

観る角度をほんの少し変えるだけで、楽しいものです。普段の生活も。

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すべてが鏡

私たちは常々、他者と関わって生きています。その関わりの中から経験したり、学んだり、感情を味わったりします。

あらゆる対象を、「自分と他者」というように分離して考えるのではなく、自分の一部を写し出している「鏡」という視点で接すると、実に様々なものが見えてくる気がします。

一緒にいて楽しい人、気が合う人、好きな人だけでなく、苦手な人、感じが悪い人、どうしても尊敬できない人、そんなマイナスな気持ちを感じさせる対象にも「なぜ自分にとってはそのように思える存在なんだろう」と考えてみると、案外自分も共通したものを内側に持っており、それを嫌悪している・・・なんてことも見えてきます。

タロットを学び始めたころ、「タロットは心の鏡」と何度も何度も聞かされましたが、タロットカードだけでなく、生活の中のあらゆる対象が「鏡」となって自分を映し出しているのだ、とこのごろ痛切に感じています。

神道での三種の神器のひとつは「鏡」でした。この鏡が持つ意味、実に深いなぁと思っています。

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表と裏と

昨夜は月例のリーディング研究会でした。ケーススタディをもとに活発な意見交換があり、時間も予定より延長したほどの盛り上がり。

終盤、「先日引越したばかりなのに、間取りの一部が気になって仕方がないがどうしたらよいか」というリーディング事例から、鬼門や風水の話題になったのです。

私自身、風水に関しては知識がほとんどなく、聞いたことがあるのは、「恋をしたけりゃ東南の風にあたれ」「金運は西に黄色」ぐらいでしょうか。

そのときの話で、自分の内側で大きな発見がありました。いわゆる大家が書いた、風水についての本には、もちろん正しい情報や一般に適している内容もあるでしょうが、果たしてそれが「私本人」にあてはまるか?ということです。

私が変人とか、宇宙人とかそういうことではなく・・・

「良し」と書かれていることは、あくまでも片側方向から見て「良し」であり、先日ブログで「」のことを書きましたが、おそらくこちら側の岸からの見識のみでOKといわれていることなのだと思います。

研究会の場でも話が出ましたが、先生曰く、「英語では右はrightと言い、つまりright=正しい、と暗示している。しかし、日本では左手が霊垂手(ひだりて)と言われていたように、天とつながっている上位は右ではなく左である」とのこと。大臣でも右より左が上位なわけです。

そんな話に参加しながら、一般に「こちらのほうがよい」「この考えが正しい」と言われている内容を、そのまま自分の常識にするのではなく、一度川の向こう岸から見たらどんな景色になるか、自分自身はそれをどう思うかを考えることが大切だなあと気がつきました。

これは何も、じゃあすべて常識の反対を行こう、というわけではなく、物事の表だけでなく裏側の存在も意識することで、見える世界が大いに変わってくるのではないかと思うのです。

面白いことに、最近、Wスタンダードでいう本音と建前の、「本音」の部分を知る機会が多く、これはいわば「裏」なのだなと思います。さらに可笑しいことに、「左」に関係する情報がたくさん入ってきています。

向こう岸からもよく眺めてみなさいよ、ということなのでしょうね。

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川の向こう岸へ

今さら気づかされて、苦笑しているのですが。

約2年前のこと。欧州一人旅へ発つ前にある人物からアドバイスをもらいました。

・旅の途中、何かのシンボルから、今後の人生の大きなヒントを与えられる。ただ、それを解釈するまでに時間がかかるかもしれない。

別の人物からもこんなコメントがありました。

・旅の途中、人工物より自然に注目するように。帰国後、すっかり忘れてしまうだろうからメモをとっておくこと。

上記の人物二名はいわゆる占術家といわれる人です。・・・当時、別に占いのハシゴをしていたわけではなく。まあ、いろんな経緯がありたまたま教えられたわけです。

で、それをしっかり心に留めて旅立ったわけですが、一人旅だったせいか、毎日必死でそんなことすっかり忘れ・・・。

その後、自分でようやく咀嚼して

「ああっ。そうなのか!」 と分かったのが つい 最近でして。。。

旅行中、毎日つけていた日記がそれを教えてくれました。書いていたそのときは全く意識していなかったのです。それが占術家のアドバイスにあったシンボルとは。

約二ヵ月間の旅で、私は数々の大きな川を眺め、横断しました。ドナウ、ヴァルタバ、エルベ、イルム、ヴェーザー、マイン、モーゼル、ライン、等々。主にドイツを流れる河川。オランダでは運河も巡りました。

日記には「どうしてこんなに川が気になるの?」と書かれています。旅の途中ではそれは解明されぬまま。でもそのときタロットという存在に目覚めた私は、そのことですっかり満足してしまいました。

でも今は、タロットよりもその「川」というシンボルが私に投げかけるメッセージのほうがさらに重要だったと思っています。

川とはこちらとあちらを隔て分ける境界線。橋をかけることにより、向こう岸へ渡ることができます。旅では実際、いくつもの橋を渡り、両岸の景色を楽しみました。

向こう岸とは、自分の住む世界とは違う世界を指します。それは海の向こうであったり、あるいは目に見えない世界であったりします。私の今後は、その向こう岸が深く関わる展開になるのだなと強く感じています。

占いが当たったのか、そうでないかは重要視していません。それよりも、そのアドバイスを自分がどう料理(解釈)して美味しくしてゆけるか・・・。それが鍵だなと思っています。

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整理整頓で浄化作業2

片づけたいモードがどうにも止まらない・・・。今日も朝からせっせと浄化に励んだ私。

お天気にも最高に恵まれたので、洗濯もジャーブジャブ。床は、ペパーミントやティーツリーのオイルを垂らした濡れぞうきんでゴシゴシ磨きます。実に気持のよい、お掃除デー。

普段ならこういうときBGMとして音楽を楽しむのですが、昨日今日と「ラジオのほうがいいな」と思った私。部屋をきれいにしながら耳に飛び込んできたのは、「そうだよなあ」と思わずうなずいてしまうトークばかり。自分に今必要なメッセージが豊富にあった内容でした。

ん~やはり今回の清掃作業、ただの掃除ではないような・・・。心の浄化作業が伴っている実感が。やはり上からの指令? わお。

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整理整頓で浄化作業

年末の大掃除並みに、いや、それ以上に部屋の大掃除・荷物整理にまる1日費やしました。朝8時ごろからスタートしたかなぁ。途中、散歩がてら神社と図書館へ出かけた小一時間を除き、昼食もスキップして集中。気づけば16時半。おやま、こんなせまいスペースでも、とことんやるなら随分パワーが要るものだ感じております。

拭いたり掃いたりのクリーニングというより、長い間「とりあえず」しまっておいた荷物をクローゼットから掘り出し、自分に「コレいるの?いらないの?」と問いかける作業でした。忘れていた思い出たっぷりの品が出てくると、手の動きが止まり・・・だから夕方までかかるんだな、こりゃ。

今回は、自分にとって「いらないモノ」と決心する品数がずいぶんでました。とっておけば確かに懐かしむことができる物ばかりですが、久しぶりに対面したその対象から「楽しかったね」「こんなこともあったね」とメッセージを受け取れたと認識できたらお別れすることにしました。

きちんと整頓してしまったはずのものも、今開けてみると雑然としていたり、同じようなものをいくつも持っていたり・・・。自分の内面と同様、所有物もたまに「レビュー」することが大切ですね。持ち物って案外自分の内面とリンクしているもの。そして、お別れを決めれば何やら心にも少しスペースが増えた気分。そのスペースの増加が「すっきり感」として表れるんですね。疲れているはずなのに、掃除前よりエネルギーがチャージされています。掃除とともに心も浄化されたわけです。

そんな作業をしながら、「ん~ これってタロットで自分の心に埋もれた何かを掘り出す作業に似てるなぁ」なんて思った私。日常の何であろうと、タロットを軸にアレコレ納得する自分にクスッとひとり笑いしてしまいましたけれど。

処分するものも、最近はゴミの分別化が進んでいるのでここでまた一苦労。そして「ひとりでこんなにゴミを出してしまうのだ」という反省も。今後自分が新しく手に入れるもの、部屋に増やすものについても改めて考えさせられました。

外は曇りがちで雨がパラパラっとしたこどもの日。私にとっては結構な「浄化の日」となったようです。

あ、そうそう。摩訶不思議なことに・・・

クローゼットの中身に、意外と今の自分へ向けてのメッセージ的なことがお目見えするんです。日記だったり、写真だったり、本だったり、手紙だったり・・・。不思議なこともあるものです。

「掃除だ!」と思ったのは、偶然そう思ったわけではなく・・・上(天)からの指令だったのやも? なんて。

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まかぬ種は生えぬ

自分でせっせと努力(種まき)しないと結果(芽)はでないですヨ。

このことわざ、ネガティヴな面でも当てはまりますね。

何かよからぬ事態になった場合、自分がその種まきしていることがあります。「あのときもう少し落ち着いておけば・・・」「あのときあんな態度をとらなければ」

その気づきが前より敏感になりました。つまり、悪いボールほど速く跳ね返って戻ってくるんです。これはよいこと。よいことというのは、よからぬ事態にならないようにするにはどう反応すればよいかを早いうちに反省(認識)することができるからです。

原因と結果。すべてが縁で繋がっていることがわかると背筋がピンとしますね。

美しい芽がでる種まきに励みたいものです。

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経験がジャマをするとき

時々ありますね、経験がジャマをするとき。

辛く、苦い経験はもとより、ときには成功体験もアダになったりして。

タロットの場合もリーディングで「この間と似たケース。ということは・・・」これが始まるとロクなことがなかったりして。当たり前ですね。傾向はあるものの、その時ただ一つのリーディングであるのに、向き合う心が過去の体験と比較しています。

豊富な経験が役立つ機会もあるでしょうが、何もかもをその瞬間のみのフレッシュな体験としてとらえ、生きる感覚も忘れたくないなと思います。

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シナジー効果

シナジー効果。この言葉を知ったのは、7,8年前にアロマテラピーを学んでいた時のことです。

アロマテラピーでいうシナジー効果とは、エッセンシャルオイルAとBがあったとして、A・Bをそれぞれ単体で使うよりも、ブレンドして活用するほうが、単体のもつ効果以上のものを得られるというものです。

1+1=2ではなく、3にも4にもなりうるということ。また、ブレンドしたオイルは各オイルが持つ香りが独特のハーモニーを作り出し、まるで香りのコーラス♪

タロットを学び始めてから、今までのOLだけでの環境ではめぐりあえなかった出会いが多くあり、そこにも一種のシナジー効果を感じています。

タロットとの出会い以前から自分が持っていた世界、そして、タロットと始めてから目の前に広がった新しい世界、この2つが自分の中で明らかに『シナジー効果』現象をおこしています。

その最大の効果は、自分の人生を「よりよく生きる」智慧を授かることかもしれません。

タロットの世界は深遠でまだ先が見えませんが・・・ライフワークと思えば、今この未熟な状態もそれでヨシ、と受け入れられます。

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愛でる気持の大切さ

週末の公園での桜見物もよかったですが、通勤電車から外を眺めると名所は結構見つかるもの。あっ。ここにも、あそこにも、あんなところにも桜が・・・。

ふと3年前の春を思い出しました。あの時の私は、なんと桜が咲いていることに気がつかなかったのです。3年前の桜達も今年と同じように、枝いっぱいに"たわわ"としていたであろうに・・・。

通勤電車の中からも、道を歩くときも、そして週末の時間も、その旬の自然を愛でようとする気持ちが失せていたのでした。本当に「心に余裕のなかった」私。いつの間にか春は過ぎ去っていました。

花を見て「ああ、きれいだな」「今はこの花の季節だな」と、ほくほくっと温かな気持ちが抱けることは、心の豊かさのバロメーターになるものだなぁと思います。

さて、今年はどうかな~?うん、結構イイ感じです。

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そうだ、信じてみよう

昨日の続きみたいな話ですが・・・

最近、自分の中で未来のベクトルがある方向を指し示しているのを感じています。それは、地理上の方向(ある土地を指す)でもあり、自分の内側のビジョンとして目指すもの(ライフワークの在り方)でもあります。

なぜなら、この3,4年で起こった事柄がある関連性を持って繋がっていることに気がついたからです。まるで輝く星と星をつなげて星座を作り、そこから神話を生みだすような感じです。何の関係もない様々な出来事が、あるキーワードで結びつくことってあるのですね。

それはある日突然やってくるのだと思います。毎日のたった一滴のしずくは微量ですが、それがいつしかコップから溢れでる・・・その瞬間、「あっ」と目覚めるのかもしれないですね。その目覚めは、根拠とか理屈とかなんぞすっとばしてしまい、「そうだ、信じよう」と思えるから不思議です。

別にアタマがおかしくなったのではなく。今朝、ふとこんなことを思った私でした。

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思い切って信じてみる

最近、少し悩むことがありました。悩むといっても問題を抱えているわけではなく、素敵な未来に向かって夢がふくらむけれど、でもその可能性を自分で受け止められるか、の「不安」で悩むといったところ。タロットによって随分勇気あるオンナに変容したつもりですが、まだまだもじもじした臆病な部分は残っているわけでして。

すると、様々なアングルから答えが降ってきたのです。テレビの電源をONにした途端、道の向こう側からやってきた人々の姿、等々。目に飛び込んできたものが「GOしていいんだよ」と私の背中を押してくれました。

「いやいやいやいや」「でもでもでもでも」と左脳で分析が始まりそうになる私。あれこれ理屈をこねては、せっかくやってきた直感的回答を打ち消そうとします。ですが、そこを思い切って信じてみることがどれだけ自分の人生をクリエイトしてくれることでしょうか。

今の私なら、それができるように思います。

ちょうど一年前に滞在していたマルセイユのホテルで思わず口ずさんでいたユーミンの曲。

「目に映るすべてのことはメッセージ」

コレ、なんですよね。

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幸せになる秘訣

幸せになりたい・・・

そう思ったら、まず周囲の人々が幸せになるように心から祈ってください。

すると必ず自分にも幸せが訪れます。

これ、ホントです♪

見える世界も変化してゆきます。

ぜひお試しくださいネ。

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一瞬を読み取る力

自分が一瞬で感じる直観力にどのぐらい自信がありますか?

初対面の人から受ける第一印象、道順を決めていない散歩の際、「今日はここを曲がろう」という感覚、スーパーに並ぶイチゴのパックから一番美味しそうなものを選ぶ、等々。

対象を見たその瞬間につかみとった感覚を、そのまま自分の判断として認識するのって結構難しいです。特に理屈っぽい私はすぐ左脳で分析してしまう。

「これイイナ」と思っても、「みんながイイと思うか」とか、「常識的にはどう判断されるか」という余計な思考で、最初に得た印象がすぐどこかへ消えてしまいがち。

タロットリーディングにおいて、この一瞬の印象を読み取る力は非常に大切です。裏向きになったカードを表へめくるその瞬間に、自分の目に何が飛び込んでくるか・・・それをキャッチし、そして左脳で分析せずダイレクトにリーディングまでもってゆく。それができればカードからのメッセージをより的確に読むことができます。

リーディングの力を蓄えるためにも、普段の生活において一瞬の読み取り訓練を心がけたいと思っています。そんな風に過ごすと、一日も結構面白いものです。

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タロットがくれたもの

以前の私は、いつもどこか自信がなく、何をやるにも臆病で、引き気味な態度でした。

別にぐうたら怠けものだったわけではなく。仕事においても、趣味にしてもその時々でさまざまにチャレンジしてきました。でも、自分に「背骨」のような軸が持てず、長い間それが何なのかを求め、彷徨っていた気がします。

12年以上携わった仕事にピリオドを打ち、生活を白紙にリセットしてから出会ったタロット。その出会いが、モジモジしていた私に勇気をくれました。

タロットを通し、自分を見つめ、人を見つめ、そして人生を楽しんでゆく・・・。そんなビジョンが見えたのです。そこには心からの喜びがありました。

今なら、誰から聞かれても、自分の夢、自分の進みたい道について自信を持って語れます。それはすでにその実力があるかどうかということではなく、私が心からやりたいこと、求めていることだと確信しているからです。

もしかしたらこれが「魂と繋がっている」という感覚なのかもしれません。

誰にでもあるはずです、私にとっての「タロット」のような存在が。

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誰かのためは私のため?

オフィスでの私の席は、出入り口付近にあります。それも2つもあるので、いつもひっきりなしに目の前を人が通り、そして目が合います。

そのせいか、よく質問や相談を受けます。

「○○さんはどこにいます?」

「△▽はどこにあります?」

「□□って知ってます?」

一言、「知りません」を言えば自分の仕事に戻れるのですが。そこは伊野華絵、なるべくその Help Me! に応えるよう心がけています。

その分、余計な仕事が増える、という考え方もありますが、そのことが後々に自分にとってもメリットとなるから不思議。

たとえば。知らないことを聞かれてそれを調べてあげたら、後で自分にも役立つ情報だった。とか、以前、相談されてヘルプをしてあげた人が別の場面で助けてくれた、などなど。

誰かのためにすることは、結局は自分のためにもなるのかしら。そんなことわざもあったよな~なんて思います。

そんな気持ちでいると、「何で私にばっかり聞くのよ」とふてくされなくていいかもしれませんね。忙しいとそうもいかなかったりもしますけれど。

というわけでなかなか楽しい位置に座って仕事をしている伊野華絵です。

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自己紹介で自己確認

今日は、ランチもディナーも初対面の人たちと過ごしたためか、自己紹介の機会に恵まれた一日でした。

昨年、取材を受けた際もそうでしたが、タロットになじみのない、しかも初対面の人に、自分とタロットについて語ることは、同時に「なぜタロットなのか」を、私自身に再認識させるチャンスになります。

自己紹介をしながら、「ああ、自分ってそう思っていたのだ」と自身を再確認。それがしっくりくれば、自分への確信が高まります。この作業はとても価値あるものだと思っています。なので私も、相手と話をする際は、その人にとってのコアとなる部分について「なぜ?」を話してもらえるような質問をするように心がけています。

・・・しかし今日は楽しかったです。ランチタイムは外国人、夜はいきいきと仕事に取り組んでいるビジネスマンの方々を相手に、私のタロットを語る機会を得ました。といってもタロットがいかに素晴らしく、奥の深い存在かを知ってもらうには、時間が全然足りませんでしたけれど・・・。

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荒食いより咀嚼

食事の際は、意識して一口ずつをよく噛むようにしています。しつこいぐらいカミカミ。口の中で今何を食べているかを確かめるようにゆっくり味わいます。

ところで、最近は「何かを知りたい」と思ったら、クリックひとつですぐ調べられたり、「ダイジェスト版」や「マニュアル」みたいなものが多かったり、少し前だったか、「本のあらすじを読む」ための『本』が出たりしていますね。

それは時には便利だったりもしますが、自分の中にとりいれる知識や情報を、すべてその手段で得て、それで分かった気になるのはいかがなものかなぁと思います。

食べ方で例えると、まるで荒食い。咀嚼してないわけです。よく噛まないと胃で吸収されないので血肉にならず、そのまま体外へ出てしまいます。

ゆっくり時間をかけて取り組むことで、味わいも深みも感じられるわけで。一冊の本しかり、食事もまたそうですね。

タロットも咀嚼しながら大いに楽しんでいます。一生カミカミしてても味わいつくせないかもしれないなぁ。スルメより噛み甲斐があります・・・。

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アイディアが降ってくる?

寒い日々。さすがに帰宅時は地下鉄を利用しますが、せめて晴れた朝だけでも、地下鉄一駅分歩くようにしています。その距離約1.5キロ。徒歩30分の道のりです。

木々沿いの道や、ホテルの庭園を通過して、なるべく緑の多いルートをゆく私。朝のすがすがしさを味わえるのなら、寒さで鼻が赤くなってもなんのその。

オフィスへの道をひたすら歩くとき、結構よいアイディアが湧いてくるものです。考えごとはやめて、鼻歌を唄う気分でいるのですが、そんなときほど「おっ」というインスピレーションや自分の内側に眠っていた気づきが目覚めたりします。不思議なものです。

地下鉄じゃぁ空は見えないもんなぁ。やはりアイディアは空から降ってくるものなのかしら?

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ひとひらの集合体

東京にも雪が降りました。朝の通勤時は「これは積もるかしら」と思えるぐらいの勢いでしたが、帰宅時は冷たい雨に。

電車から外の景色をいつも以上に見入っていた今朝の私。

雪は、空からひとひらずつ舞い降りてきます。その数は無数。それぞれは実に小さな存在。アスファルトに乗れば、すうっと溶けて消えてゆきます。でも後から後から仲間たちがどんどん降りてくると、いつの間にか景色を銀色に変えてしまう力があります。

そんな目で雪たちを見ながら、私たちの意識も同じだなぁと思いました。

ひとりひとりの意識はなんてことない、と思いがちですが、皆の想いが集められたとき、目の前の景色=世界を変えてしまうパワーがあるのだと。人間の集合意識がその時代の色を決めていることは確かなのでしょう。

これからの私たちはどんな色の景色を描いてゆくのでしょうか。

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ユニティをめざして

タロットを学ぼう!と決心した頃。

「目指すは 魔法使い♪」

当初、人に話せば「お~い。大丈夫かぁ?」と、オデコに手をあてられそうな夢を真面目に描いていたのでした。

タロットに惹かれたのは、理屈ではなく、旅先で得たインスピレーションだったわけですが、本格的に学ぶ前に描いていたヴィジョンは、

『タロットによって、何か(人にはない)特別な力を持ちたい』という "したたかな妄想" だったことを、恥ずかしながら白状します。

そのことを意識していたわけではなく、実は、無意識に「他人と自分を区別したいという願望」が自分の内側に存在していたことを、タロットを真剣に学んでゆく過程で気づかされたのです。

ところが、そのような自分と他人とを隔てたいという、分離願望を持ったままでは、何か違う、どこか変だ・・・そんな想いが学びの中で生まれてきました。

リーディングの際は、自分と質問者が手を重ね合わせカードシャッフルを始めます。「分離」の気持ちを持ったままでは、ラポール(共感)は得られませんし、タロットのメッセージもキャッチできません。「あなたとわたしは一体なのだ」という、ユニティの意識が非常に重要な役割を果たすのではと思っています。

それは、「皆同じでなくてはならない」、という意味ではなく、「それぞれの違い(ユニークさ)を認めながら調和を保てる関係を目指す」ということです。

言うは易しで、これを常に実践することは難しいかもしれません。

でも、タロットと通じ、自分と向き合うことでここまでの気づきを得られ、ユニティをめざせる自分になれたことは幸せだと思っています。

もしこれを魔法といえるのなら、「魔法使い」の夢は本当の意味で叶えられ始めているのかも?

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あなたのリンゴ、わたしのリンゴ

リンゴを思い浮かべてください・・・

こういわれ、思い浮かべたリンゴ、あなたのリンゴとわたしのリンゴは同じでしょうか?

たしかにどちらも「リンゴ」でしょうが、あなたのリンゴは「赤くてまあるいリンゴ」、一方、わたしのは「半分に切ったリンゴ」かもしれません。他の誰かのリンゴは「青いリンゴ」かもしれません。

同じ場にいて、同じリンゴを見たらどうでしょう。同じものを見ていても、あなたは「美味しそうなリンゴ」、私は「リンゴ嫌いなんだよなあ」と受け止め方は違うかもしれません。

何かを見るとき、私たちは固有の感情やイメージをもってそれをとらえます。とすると、地上には、存在する人の数だけ世界があるのかもしれないですね。ではホンモノの世界はどこにあるのでしょう?

本当の意味でタロット・リーディングができるようになるには、このホンモノの世界を見る「第3の目」が必要です。そこには、好き嫌いも善悪も超えた、物事をあるがままにとらえた世界が広がっています。その目をもってこそ、質問者の心の迷いを解決する方法を冷静に判断できるリーディングができるのですね。

う・・・。道のりは長い。落ち着け~、焦るな~、少しずつ、少しずつ。。。

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心にも筋力を

私は特別スポーツに打ち込んではいませんが、歩くことを心がけています。通勤時、地下鉄ひと駅分を約30分かけて歩いたり、毎週末、散歩がてら神社参りもしています。

おかげで、歩きを心がけていなかった頃に比べ、足取りが軽くなっています。週末の神社までも、以前は片道25分だったところが、今は20分を切る程になりました。

加齢の影響は避けられないですが、体は常に使うことで筋力が保たれますね。体と同様、心にも筋力をつけたいものです。外側からの刺激にもしっかりと対応できるような、しなやかな心。

そのためには、自分の心をまっすぐに見つめることが必要です。タロットは心を映しだす鏡。タロットを通し、心の筋トレを続けます。

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自ら気づく力

自分がタロットを学び始めた頃を振り返ってみると、なんかもう必死で「覚えよう」という『知識詰め込み型』だったように思います。さらに、その過程で「先生はなぜあのカードのここの意味を教えてくれないのだろう」と、答えをすぐ他人から欲しがる姿勢でした。

読み書きをおぼえるように、最初は必須な記憶すべき事柄がありますが、それはあくまでも最低限クリアすべきスタート地点であって、学びはそれから始まるのだなと今更ながら痛感しています。

タロットでの学びとは「気づきの力に目覚めること」と同じだと考えています。

そして、本当の気づきとは、誰かから与えてもらうものの中には少ないと思います。ハウツーものの本などにはいくらかヒントがあったとしても、気づきへのプロセスは人の数だけあるのではないでしょうか。よって、答えは外側にではなく、自分の内側にあるのだということをタロットを通じて教わっています。

日常を大切にしながら、自分の内側でじっくり熟成させることの意味が、新年を迎えようやくじわじわと分かってきました。テクニックの上での答えは自分にはもう不要だなと思えます。あとは、タロットカード含め、身の回りのあらゆる事柄・事象から自分がどれだけ気づきを得られるか、それだけなんだなぁと。そしてこれは永遠に続くのだなぁと。

新年早々、えらそうなことを書いたもんです。でも新しい年を迎えたんですもの。がんばらねば♪

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奇跡の源

冬のスポーツ観戦で一番楽しみなもの、それはフィギュアスケートです。氷上で軽やかに、かつダイナミックに演じる選手達は誰もが素晴らしい表現者。その中で浅田真央選手は「ミラクル真央」なんて呼ばれていますね。彼女のスケーティングにいつも勇気と感動をもらっている私。

ミラクル=奇跡 というと、普通ではありえない出来事が起こるようなイメージですが、よく考えると、奇跡は確実に現実の延長線上に存在しています。ミラクル真央ちゃんの起こす奇跡もまさにそうです。何の練習もせず、汗や涙も流さず、メダルを勝ち得るのではなく、私達の想像を超えるような努力という裏づけがあっての成果です。

ただ、その努力したことがいつも「奇跡」に結びつくとは限りません。それでは現実のその先に奇跡を見るにはどうしたら可能なのでしょうか。私は"集中力"だと思っています。フィギュアスケートに限らず、あらゆるスポーツにおいて、"集中力"は奇跡を起こす「鍵」であるといえるでしょう。今まで自分が積み上げてきたものを自信という名で土台にし、あとは目標に向かってどれだけ集中できるか・・・。このことはスポーツに限らず、あらゆる事に当てはまりますね。その集中力が、現実の総決算を想像以上の結果=奇跡としてもたらすのでしょう。

タロットのリーディングでも似たような感覚を得ることがあります。「どうしよう、うまくリーディングできるかな」その考えがよぎるときは、すでに集中力が欠け、心の矛先が目指す場所から脱線しています。目的は、質問者と自分とタロットがきちんと繋がっていることを信じ、質問者自身の心が解きほぐされてゆくこと。どれだけ自分をその目的に向かって一点集中できるかにかかっています。一点集中とは、無心になることとイコールともいえますね。

カードで表すと、11番の力の姿です。少女が軽々とライオンの口を開き、猛獣をコントロールしています。目線は未来の一点に注がれたまま。

自分が今まで積み上げてきた人生経験と、タロットで学んだこと。その全てをベースに常に"一点集中"できるリーディングをしていきたいものです。

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魂の喜び

昨日、友人から頼まれて背中のオイルマッサージをしました。アロマテラピーは、タロットと出会うずいぶん前から生活に取り入れていますが、背中のマッサージを実技として誰かに提供する機会がなかなかありません。彼女から依頼がくると、むしろ私のほうが喜んでやらせてもらっています。

約束の時間までに、自宅をいつも以上に念入りに掃除し、白檀の香を部屋いっぱいにくゆらせ、彼女を迎え入れる私なりの「儀式」をとり行いました。

この準備のプロセスで、「ああ、今、本当に魂が喜ぶことを実践しているのだな」と、体中に温かいものが溢れていることを実感。

その時、前日にTVで見た「アルプスの少女ハイジ」でのクララのことを思い出しました。彼女は足が悪く、いつも車椅子。フランクフルトからハイジのいる山へ遊びにきて、そこで初めて、自分が周囲の人々にどれだけお世話になっている(迷惑をかけている)かに気づきます。何もできない自分にしばらく落ち込んでいました。ある日、目の不自由な羊飼い・ペーターのおばあさんのために、聖書を代読してあげます。おばあさんは、クララに対し心からの御礼を伝えたとき、クララは「こんな自分でも誰かの役に立てた」という喜びに涙を流します。

クララは大金持ちの家に生まれ、自分から何もしなくともいつも誰かが保護してくれるので、それに頼って生きる毎日でした。そのことが当たり前でもありました。そんな彼女がアルプスの山で、「自分から与えることの喜び」、「自分も誰かのために役に立てることがあるのだ」という自信を得たのです。クララの涙は魂が喜んだ証でしょう。

何かを始めたときは、自分の好きなこと、興味の範囲内だったものが、いつしか誰かの喜びにもなることに変容する。これこそ、素晴らしい体験だと思います。最初から「無私の心で奉仕」と大それたことは難しいとしても、こういうアプローチなら多くの人が体験していることと思います。

あ~ また「ハイジ」から教わりました。

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二度あることは・・・

タロット・カードに描かれている図像は、重要な意味があり描かれています。特にカモワンは細部にいたるまで、あらゆる意味をもたせているといわれています。「いわれています」というのは、私自身、すべてを理解しているわけではないからです。もう何年も毎日眺めているのに、

あれっ こんなところにこれってあったかしら。

あれっ 今日はここが○○に見える

など、新たな発見がいまだにあるからです。

また、カードを読み解く際に重要なのが、何かが2回以上登場していると、それが意味するメッセージが強まるということです。例えば、卵を持ったカードが2枚以上、壺を持ったカードが2枚以上、といった具合にです。

日常の生活でも同じことが言えるように思います。なぜだか分からないけれども自分に入ってくる情報やふと浮かぶアイディアなど、繰り返し訪れるものがあったら、それを無視せず、「なぜだろう」と耳を傾けてみてください。必ず何らかのメッセージがあるはずです。

タロットとの生活を始めてから、この「気づき」の頻度が非常に多くなったことに驚いています。

そういえば、今年3月タロットの最終講義でマルセイユに滞在中、なぜか、ユーミンの曲

『やさしさにつつまれたなら』が、私のアタマの中で繰り返し流れていました。

♪目に映るすべてのことは メッセージ 

歌詞のこの部分が私に語りかけていたのだな、と今更ながら思います。

滞在中、ホテルで同室だったSさん、あの時は朝っぱらから歌ってばかりで迷惑かけました~。

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葛藤を "味わう"

久しぶりに 泣き ました。

感動して泣くことは(たとえば「ハイジ」を見て泣くとか)よくあるのですが、久しぶりにネガティヴな側面から涙がでました。

きっかけは簡単なこと。めちゃくちゃ忙しい最中にムカッとさせられるようなことを言われ、心を落ち着かせようとトイレに閉じこもったら・・・ポロポロ、ポロリン。

全然たいしたことじゃないし、普通だったら気にもとめないやりとりに、なぜこんなに泣けるのだろうと、少々トイレットペーパーのお世話になりながら座っていました。

最近の様々な環境の変化、そして自分の目指すものと現実とのギャップについて、心から納得して受け入れていなかったことに気がつきました。どんなことも「学びなのだ」と、無理やり消化しようとした自分に無理があったのだなぁ、と。

タロット・リーダーとして、それに相応しい姿勢で生きてゆくことに迷いはないのですが、人間そう簡単に成長できるわけではなく、問題は「成長しているふりの自分」にあったのだと気づきました。

私の知らないところで、もう一人の私が随分葛藤していたのだな、と気づいたとき、霧が晴れたようにすっきりと楽になりました。泣いたきっかけも、最近納得できなかった環境も全くたいしたことではなくなりました。ここまでこられたので、「問題解決」です。

このプロセスの最中、私の頭の中には、タロットカードの「13」と「月」が浮かんでいました・・・。

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今日にYesといおう

もう10年以上前から仲良くさせていただいている、親ほど年の離れたお友達がいます。

その人がよく言っていた言葉。

「夜、寝る前にベッドで『今日は自分にとって○だったかな、×だったかな』と振り返り、○か×どちらかをつけて寝る。そして○の日が少しでも多くなるようにがんばるんだよ」

最初にそれを聞いた時、一日を振り返ると色んなことがあるから、あれは○だしここは×だし、そんな○か×かなんて簡単につけられない、と思ってました。

今思うと、そのころの私は、出来事の結果だけをみて○×をつけようとしていたことがわかります。大切なのはうまくいったとか、失敗してしまった、という結果ではなく、二度とこないその日に対し自分がどれだけ心を注いだか、ということなのでした。

私は今、タロットを通してその○×作業をおこなっています。朝めくった本日のカードに対し、自分がどうであったか、という形で。

Hさん、伊野華絵は今頃わかったのでした。理解するのにこんなに時間がかかってしまいました。

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道の途中でもできること

質問者の方のお話を聞きながら、実はそのとき自分が抱えている悩みや解決したい事柄に気づかされ、逆にこちらが癒されている(答えをもらえる)ことがあります。

昨日のリーディング練習時にそれを実感させられました。

タロットに出会い、日々真摯に学んでいるつもりだが、いつになれば自信を持って誰かの役に立てたりその人のためになるような事をお伝えする資格があるといえるだろう、と遠くの見えないゴールを求め、ときどき悩んでいた私。

昨日の質問者の方は、若干アプローチは違っても同じような悩みでこの先のことを案じていらっしゃいました。彼女の質問について展開されたタロットカードを見て「あっ」と気がついたのです。

未来に出た「恋人」のカード。描かれているのは、何やら話し合い、意見交換している3人の人物。上から天使がそっと見守っています。

たとえ学びの途中であっても、その等身大の自分のままで、その時自分が気づいたことを伝えたり、体験した事をもとにアドバイスするだけでも誰かの役に立てるのだ、と。

ゴールにたどりつかなければ、何もできないという考えは違うのだ、と感じました。自分がリーダーなのに、その時の「あっ」の瞬間は自分が質問者になったような錯覚を感じました。

タロットって・・・すごいです。

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目指すものは

「願いが叶わないのは、願う力が足りないから」とある人に言われ、なるほどっと思いました。

ここで言う「願う力」とは、

1.自分が何を叶えたいのか、はっきりと自覚しているか 

2.その願いが叶うよう効果的な努力をしているか の2つを指しています。

1.がどれだけクリアに描けるかがポイントかもしれません。「~になるといいなあ」程度どまりがいかに多いことか。目指すものをできるだけ具体的にピンポイントに絞って描けると、2のそのあとどう行動すればよいか、足りないものは何かが明らかになるでしょう。

タロット・リーディング時の質問も、できるだけ的を絞り、自分の意識を問題そのものに集中させるとカードもそれに応えてくれ、より具体的な回答がでてきます。

今日ある方のセッションを受け、自分が今後タロットとともにどう生きてゆきたいかがぼやけていることを思い知らされました。

真理への道はゆっくり学ばねば、というのを言い訳に、チャレンジへの努力を怠っていることを反省、反省。目指すものをしっかり掲げ、それを掴み取るために必要なものとそうでないものを吟味し、不要なものは削ぎ落とす作業が必要だなと痛感しています。

やはり、「名前のない13」の年です。言い訳して先延ばししている時期じゃなかった。。。

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死んだら・・・

「死んだら終わりだよ」なんて言う人がいます。終わりってどういうことでしょうか?たしかに所有していた物質は手放さざるをえず、この今の肉体での人生は終焉を迎えるわけですが、魂はまた新たな器に入り、ふたたび地上へ戻ってくる、そう思うことはナンセンスでしょうか。

タロットの大アルカナをマンダラで並べると「終わりがない」のです。最後の21番・世界にたどりついてもまた最初の愚者へ戻り、道を歩き始めます。ステージのレベルを上げて。それはまるでらせん階段を上がっていくようなイメージです。そういえば・・・ヒトの遺伝子もらせん構造ですね。

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"足し算"する生き方

あなたは、足し算派ですか?それとも引き算派?

例えば、「これだけ(も)ある」と喜ぶことが多いか、「これしかない」と嘆くことが多いか。

自分について、「私はちょっと××だけど、でも○○を持っている」とプラス思考なことが多いか、それとも「私は○○な人間だけど、でも××でダメだ」とマイナス思考で文章が終わることが多いか。

対象は同じ数、同じ量、同じ人でも、それをどうとらえるかで次へのアクションが随分変わってゆく気がしますね。

カモワン・タロットの各大アルカナカードにはローマ数字が記されています。面白いことに、そのうち、「4」は、通常使用されるローマ数字は「Ⅳ」ですが、タロットには「IIII」と記されています。「9」も「Ⅸ」ではなく、「VIIII」が使われています。これは何を意味するのでしょうか?

ⅣやⅨは、減算則といって、4=5-1、9=10-1 という引き算に則って記された数字です。タロットであえてその数字ではなく、IIIIやVIIIIを使っているのは、III(3)の女帝が一歩進むとIIII(4)の皇帝、Ⅷ(8)の正義が一歩進むとVIIII(9)の隠者になることを表現しているからなのです。

つまり、未来に向かうこと=今あるものに足してゆくこと のメッセージが込められているのです。

タロットは数のない(=0番の)愚者から21番の世界まで、人間の霊的進化の過程を表しているともいわれています。

そう思うと、足し算する生き方がいかに大切か・・・と思えてきます。実際はなかなか難しいときもありますが、少しずつ足してゆけたらいいですね。

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開運とは心を開くこと

「開運」という言葉、みなさん好きですよね。開運法、開運グッズ、何かいいことありそうですか?そして、こちらも「開運へのタロット」です。いらっしゃいませ♪

自分の人生がよりよき方向へ進むようにすることが開運だとすると、開運とは「心を開くこと」であるといえるのではないでしょうか。

心を開くとは、まず自分の心の位置をしっかりと見つめることからはじまります。心がどちらかに傾いていたら、それをきちんと受け止めて、本来あったニュートラルな位置に戻す作業をします。開運の「開」の字を良く見ると、門の中に鳥居があります。ここをくぐるには心が真ん中でないと向こう側へ運ぶことができませんね。

この鳥居をくぐることができると、人と心が通い合ったり、自分の魂としっかりつながったりするのではないかと思います。よっていわゆる「運が開けてくる」状態になるのではないでしょうか。

なんだか最近、漢字も図像化して見てしまうようになり・・・こんな思いを綴ってみました。

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間(あいだ)を読む

「作家は本当に書きたいことはあえてかかない。それは行間から読者が読み取るもの」

そんな話をどこかで聞いたか読んだことがあります。

「君と僕との間のこの空気を描きたい」

そんな芸術家の話を聞いたことがあります。

人も、すべての事象も何かと繋がり、縁があって成り立っています。そう思うと、単体と単体の間の存在を意識したくなります。

タロット・リーディングの際も、質問者と自分の間に流れる空気をしっかりキャッチしたいものです。

私の注目が、目に見えるものより見えないものに移行しつつあります。

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自分の足で立とう

ぐっすり眠った子供ちゃん。寝顔はとってもかわいいですが、寝た子を抱き上げると、遊んでいるときにおんぶするよりかなり重い。重すぎる。本人の意識がないわけですから全体重が持ち上げる側にかかってきます。

これが大人の場合だと、小柄の私はもうお手上げでしょう。

これ、例えとしては肉体的なことを挙げましたが、心の持ち方も同じことがいえるのではないでしょうか。

辛いけれども、自分でなんとか変えたい、解決したいという人は、力が十分ではないものの少なくとも自分のパワーを出そうとがんばっています。ところが、もうどうでもいいと全てを放り出したり、全てを自分以外のせいにしたりしている場合は、まるで寝入った状態ですから重すぎて、周囲が助け起こそうと思っても共倒れになってしまうかもしれません。

助けてほしいときは、まず自分の足で立つ努力をしていることが前提のように思います。

タロットは自分の足で立とう、と意識のある人の味方になってくれます。タロットのみならず、目に見えない聖なる存在も同じです。どんな状況であってもあきらめない気持ち、これはとても大切なことだと思います。

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必要なものが見えてくる

約2年前、10年以上積み上げたキャリアを手放し、リセットしました。手放そうとする私に「本当にそれでいいの?」という意見、多々。エールを送ってくれる人、ちょっぴり。だったかな。

そして今、たしかに経済的にはかなり工夫のいる毎日です。このままだと先が不安・・・そう思いたければ、すぐにでも不安の塊ができるでしょう。

でも、2年前には見えなかったものが今、確かに見えてきています。それは自分にとって本当に必要なものは何か、ということです。物質的なことももちろんですが、自分の心が本当に欲しているもの、大切に思っているもの・・・。これからもっとその作業が進み、不要なものをそぎ落としていこうとしている私がいます。

きっとそれが出来ても、完成形ではなく、いつの日かまた不要物がたまり、積み上がったものを壊し、リセットする日が来るのだろうなと思っています。その繰り返しで、玉を磨くように自分の魂を磨いてゆけたらと思います。

ああ、やはり「13」のカードの年が近づいているんだなあ。

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霊性のコップ

今日のモーニングカードは「神の家」。

ん・・・このカード、まるで「霊性」を流し込むコップみたい。と思いました。

霊性のコップは、自分の内側にあります。様々な経験を通して、自分に気づきや学びがあると、そのコップに霊性が滴(しずく)となって、流れ落ちます。その一滴は少しずつ、少しずつ、自分が"学んだ"と受け止められた体験をするたびに、コップ内の水位を上げてゆきます。

いつの日か、コップからあふれるほど満たされたとき、「神の家」のカードのように大きな衝撃を受けたような「気づき」の境地が訪れるのかもしれません。

自分のコップは今何分目ぐらいかなぁ。

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ふれあい

先日、友人から「アロマテラピーに興味がある知人にハンドマッサージをやってもらえないかしら」と依頼を受け、会社帰りにカフェで会いました。アロマを学びたいが、どういうものかまだ全然分からなくて・・・という彼女。おしゃべりしながらのハンドマッサージをとても喜んでくれました。

オイルマッサージというと背中に施術するのが本格的ですが、ハンドマッサージの場合、カフェのような場所でも気軽に、そして短い時間で実践できます。短時間ですが、そのリラックス効果はあなどれません。受ける側だけでなくマッサージする側も気持ち良い時間を過ごせます。

手だけとはいえ、お互いふれあうことは心の交流をスムーズにさせます。自分と相手とのエネルギー交換のようなものですね。そこでラ・ポール(共感)が生まれ、打ち解けたり本音を話せたりするものです。

カモワン・タロットでも、対面のリーディングの際、リーダーとクライアントは手と手を重ね合わせシャッフルを始めます。この儀式にも深い意味があるわけです。

日本はハグの習慣もないですし、人との間に礼儀としての距離みたいな空間がある社会ですが、カウンセリングやヒーリングにおいては「ふれあい」の役割はとても大きいですね。相手がなかなか心を開けないような状態の場合、軽くハンドマッサージなどから始めるのもひとつのよいアプローチかなと思います。

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わたしにできること

少しイケてない気分のときは特に、「自分にはこれは無理、あれはできない」と不可能な項目についての羅列がはじまりませんか?

そして結局「あたしってダメ」という結論まで到達しちゃったりして。

人はつい、ないものねだりやできない言い訳で現状についてネガティヴになってしまいます。私ももちろんそんな気分の時もあります。

ところが、タロットを続けているとそのベクトルが徐々にポジティヴな方向へ転換されるように思います。「自分ならこれはできるかな。あれやってみようかな。それにはどうしたらいいかな」等々。ここ1年ほどを振り返ると、そのポジティヴ思考が自分の人生に様々な展開をもたらせてくれたなと実感します。自分の足跡を心地よく振り返ることができています。

どうしてなんだろう?おそらくそれは、タロットが自分にとって「これだ!」と思える存在であったこと、そしてタロットが心の鏡となって自己と向き合う勇気をくれたからだと思います。急な坂道は一気には駆けあがれませんが、少しずつの積み重ねなら確実に上を目指せるんですね。

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霊性をみつめる

昨夜は毎月楽しみな「リーディング研究会」に参加しました。

いつも思うのは、「今日も学んだなぁ」と帰り道に実感する内容が、リーディングのノウハウではなく、いかに生きるか、いかに心豊かになるかにフォーカスされているということです。

タロットを学ぶと、ヴェールの向こう側の世界との繋がりを無視できなくなります。しかしそれはなにも向こう側をのぞきこみ「私にはアレが見える、コレが聞こえる」と特別な能力を身につけることが目的なのではなく、自分自身の「霊性」をみつめることなのではないかと思います。

日常生活から得る気づきの連続が霊性を成長させてくれます。タロットはその気づきを促してくれる存在なのです。

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運気の波に乗るには

内なる声に耳を傾けていると、自分の運気の波にも気づけるようになるそうです。

運気の波は、自分にとっての変化の「気」がやってくる際に、まるで大きな波が向こうから押し寄せてくるようなイメージなのだそうな。その波に乗るか否かは自分次第。乗る場合には、自らも「その波に乗ろう!」と前に進む勇気が必ず必要。Big Waveがやってきた時、サーファーがそれに向かい海へ飛び込んでゆく姿そのものです。

自分の人生の波乗り上手になりたいものですね。

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内なる声

タロットを学んでいると、自分の心の声を聞くことの大切さをしみじみと感じます。

「心の声」ってどうやって聞くんだろう?

長い間、そう思っていました。

耳を傾けてもささやきのような声が聞こえてくるわけではないし、瞑想をしても邪念が通り過ぎるだけだし、ただ、欲望的な「~がしたい」という願望が内なる声じゃないとは分かっているし、自分の心なのに聞き方が分からない・・・。

でも、最近、なんとなくですが少しずつ「ああこれか」と感じることができるようになりました。表現するのが難しいのですが、それは、朝起きた瞬間にやってきたり、道を歩いているときにやってきたり、もちろんタロットに触れているときの場合もあります。

それは別にお説教のように「コレコレが正しい」とか「こうすべきだ」というような言葉ではなく、かといって自分の欲求を満たすような快楽的満足につながるセリフでもなし。ただ、自分にとって素直に腑に落ちるメッセージであることは間違いないのです。

このことを書いていて、タロットカード6番の「恋人」と20番の「審判」を思い出しました。どちらも上に天使がいます。前者はその存在に気づかず、後者ははっきり認識しています。自分の中で「恋人」→「審判」のシフトがあったのかもしれないです。内なる声とは、天からの声ともいえます。

私の場合、タロットを学ぶことによってひとつの気づきを得られたように思います。まだなんとなく・・・の感覚ですが、大切に育てていきたいです。

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二元論から学ぶこと

カモワン・タロットでは、二元論の概念が強調して取り上げられます。二元論とは、この世界の原理が二つの背反する存在で構成されているという概念です。難しい解説は少し置いておいて、伊野華絵がタロットを通じて学んだことは、どちらかだけでは何も分からない、両方あってこそ成り立つ、完成するということです。

例えば身近なところでは、昼と夜、男と女、陰と陽、天と地・・・などなど。当り前の話なのですが、ああそうかと思ったのは、タロットを学ぶとどうしても精神世界的なことに偏りがちになりかねません。けれども、いくらカードだけ見つめて勉強していてもそこから「だけ」では何も得られません。普段の現実の生活がしっかり基盤となって、その上でのタロットから得る学び。ここには相乗効果があります。日常生活と、ヴェールの向こう側の世界(天界ともいいましょうか)のバランスをとることで初めて相乗効果が生まれるように思います。

魂と肉体もある意味二元論的に見ることができます。どちらかだけを磨こうと必死になってもそれはバランスを欠くことになります。目に見えないものを大切にしながら、自分の体もしっかり動かし、大地からの恵みを食を通して取り入れる・・・これで天と地が繋がるわけです。

タロットを学び、ああ、そうかあと思いました。それに気づき、とても、とてもうれしかったです。

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向こう岸のみなさまへ

暑さ寒さも彼岸まで・・・この慣用句、今年も当てはまるのでしょうか?とにかく暑いですね。今日も暑かった~

お墓参りに出かけました。お花・お線香を供え、ご先祖様に手を合わせ・・・

お彼岸の「彼岸」とは、こちら側の岸・この世に対し、あの世を指します。向こう岸を表現する言葉。三途の川は本当にあるのでしょうね。

向こう岸の皆様、お元気でしょうか。皆様のどなたか一人欠けても今の私はありません。ありがとうございます。感謝の気持ちをそちらへ送ります。

何も宗教、信仰について主張したいのではなく、今の自分という存在がどうやって生まれでてきたのかを振り返ると、このことは自然であり当たり前だと思うのです。

私にとって、向こう岸の皆様は、タロットをやっていて感じる「ヴェールの向こう側」の存在ととても似ています。川で分けられてはいるけれど、つながっているのですね。

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How to を超えて

先日あるTV番組で中村勘三郎さんのインタビューを見ました。

ご存じの通り、有名な歌舞伎俳優。彼はNY公演を試み、今までの歌舞伎に全く新しい風を吹き込もうとされています。

インタビューで、とても興味深いコメントを残されていました。

「歌舞伎は、代々受け継ぐ伝統芸能ではあるが、すべてを受け継ぐことはできない。先代からもらったものに加えて自分で学ばなければならない」

彼は、伝統をしっかり受け継ぎ、それを基礎としてさらに今までにないチャレンジをすることで、自分自身を研鑽しようとしています。伝統を守ることと壊すことを両方されている方です。

基礎をいかに伝統から習得するか、そしてその上にいかに自分の新しい学びを加えてゆくか・・・私がタロットを学ぼうとする上で、とても参考になるコメントでした。タロットの源流にある教えはそのままに、それをどう実社会で表現できるか、とても大きなチャレンジです。しかしそこに自分の魂の表現の場があるように思います。

基礎の習得だけで、今世終わってしまいそうな奥の深い世界ですが・・・目指す目標は高く掲げます♪

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バ・ラ・ン・ス

誰もいないのを見計らって、長いオフィスの廊下を目をつむりながら歩きました。

・・・やっぱりね・・・。まっすぐ歩けません。何度試しても、ほんの少しではありますが、右に曲がってしまいます。

最近、妙に体の歪みが気になりだし、背骨体操や骨盤ストレッチなどを試しています。体の中心である背骨が曲がっていると万病のもとになるらしく、背骨が乗っている骨盤の歪みがそもそもの元凶だとか。

ヨガをさぼっていたので、気づけば体がカチコチ。体が疲れやすかったり、気分が乗らなかったり、色々なところに支障が出ているようです。左右のバランスを保ち、まっすぐな体を目指さなきゃ。

バランスって大切ですね。体もそうですが、心やものの見方などの精神・思考面でももちろん。タロットでいえば「正義」のカードがバランス。左手に秤を、右手に剣をもったその人物は、第3の目をもっています。彼女は物事を公正に見る清さに加え、判決を下すような厳しさもあわせもっています。左も右もしっかり把握しているからこそ、その中庸を見極め、そして決断を下せるのでしょう。

体の動きが癖を持ち、それがバランスを崩す原因になるように、心の持ち方にもどうしても癖がありますね。それをまるで第3者が見るような気持で冷静に受け止め、修正していけるといいなと思います。

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ありがとう

ここのところ、自宅のPCのトラブルに悩まされていました。

が、今、や~っと解決。ここまでに何人のサポートさんにお世話になったことか・・・。ほんとうにありがとう、ありがとうと何べん繰り返しても足りないほど感謝でいっぱいです。

彼らは、技術的サポートはもちろん、心理的にも安心させてくれる力がありました。電話での声によるガイド。さすがプロです。画面や操作の説明も、焦る私の心のケアも両方見事にケアし、解決へと導いてくれました。声のみだとちょっとしたトーンで、快にも不快にもなりますのでその応対は本当に難しいことだと思います。

彼らの丁寧さ、導きの印象がタロットカードの14番・節制の天使と重なった私。タロットリーダーを目指す伊野華絵として、本当に勉強になることが多かったです。

ありがとう。私もがんばります ^_^

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大切な場所

毎週日曜日の朝、氏神さまへお詣りに行っています。自宅から徒歩25分ほどの場所にあり、少し早歩きで向かうとうっすらと汗ばみ、よい運動にもなる距離です。

願掛けで通っているわけではなく、いつのころからか習慣になりました。その神社は、めずらしく円形にくりぬかれた祓い門があり、そこをくぐってから鳥居の下を通過します。大通りに面しているにもかかわらず、敷地内は非常に静かで空気の澄みきった、霊性の高い場所=サンクチュアリです。

そこへ行くといつも、1週間の自分を振り返ることができます。今週の自分はどうだったかな、ということからネガティブな気持ちを溶かすことまで、手を合わせた後、しばらくベンチに腰かけて深呼吸するだけで、心が落ち着きます。ありのままの自分がとてもうれしく感じられるから不思議です。この気持ちの状態で、タロットリーディングをしたいといつも思います。

明日は日曜日。自分のレビューに行ってきます。

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想いのエネルギー

そこを漂う空気が非常に澄みきったものであると、その場所は聖域(サンクチュアリ)であるといえるでしょう。多くは、教会や寺院、神社仏閣がサンクチュアリになりやすいですね。

霊性の高い空間というのは、そこを訪れる敬虔な信仰者、謙虚な祈りをささげようする人たちの「想い」によってつくられるものではないでしょうか。神様がおりてきたゆかりの場所、天使のおつげによって作られた場所、など由来の言い伝えはあるものの、それをありがたいことだと受け止めて、人々が平和や愛を願って祈り続けたことでそのエネルギーが聖なる空間をつくり、人を癒すパワーになったり願いが叶ったりするのだと思います。

「想い」のエネルギーははかりしれませんね。それはマイナスの想いのエネルギーも同様。そしてエネルギーは空間だけでなく、人にも物にも伝わります。

タロットをあつかうとき、自分のもつエネルギーの質がそのまま反映されてしまう、あわわ、これは大変なことです。日常生活の心の在り方から位置の高いものにする責任を感じます。

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過去は生きている

昔の出来事を思い出した時、それを体験した時の感じ方と大きく異なっていることがありませんか。

辛い出来事、苦しかったこと、悲しかったこと、ムカついたこと、失敗してしまったこと、特にネガティヴな出来事について、時間が経ってある日突然「あれは良い経験だった」「あのことが教えてくれた」と自分の中で受け止め方が変化したことが少なからずあると思います。

起こった出来事は変わりがないのに、受け止めるその人の心のもちようで■だったことが◎にも☆にもなるのですね。そういう意味で、過去は生きているといえます。

タロット・リーディングでは、過去・現在・未来を基本カードとして展開してゆきます。その際に、過去のネガティブな部分を一度洗いだし、受け止め方を変容させることができます。

「あのことで学べた」もし、そう思えることがあったら自分の魂のステージが1段上がったと喜んでください。仮に自分が犯してしまった過ちに関しても「二度と繰り返すまい」と思えたら、自分を許してあげてください。その気づきが未来をよりよいものにしてくれます。

私たちは学び、成長するために生まれてきたのですから。

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コズミックカレンダー

宇宙が誕生してから現在までを1年としたものを、コズミックカレンダーといいます。

コズミックカレンダーで宇宙の歴史をたどると、

 1月 1日        宇宙誕生(137億年前)  

               銀河系形成(120億年前)

 8月31日        太陽系誕生(46億年前)

12月31日21時27分 人類がやっと出現(400万年前)

おおお、なんということでしょう。大晦日の夜、NHKの紅白歌合戦が始まってやっと私たち人間が出てきました。

その瞬きほどの人類の歴史が、地球の運命を大きく変えてしまうことのないように・・・私たちの責任は重大です。

タロットを学び、宇宙とのつながりを以前より強く感じ、自分にできることは何だろうと考えさせられます。

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語り継がれること

「むか~しむかし、あるところに・・・」
Long long ago, a little girl lived with her mother...

例えばこんな出だしの物語を、子供のころどのぐらい読んだことでしょう。とにかく、童話・昔話が大好きでした。現実では「ありえない」ストーリー展開、それがまた読んでいておもしろかったのかもしれません。

日本のみならず、各国に語り継がれる物語や伝説、神話があります。それは夜、子供が寝つくまでのとりあえずの話ではなく、実はとても深い教えが隠れています。イソップ物語やグリム童話にせよ、日本の昔話にせよ、今また読み返すとむしろ大人が読むべき内容なのでは、と思ったりします。

時代を超えて、長い歴史の中で語り継がれることには、一見それがゲームや遊び的なことであっても、背後に人への普遍的なメッセージが含まれているのではないでしょうか。もしかすると、タロットもそのひとつかもしれない・・・ですね。

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いろも色々

いやぁ、暑いですね。「夏は暑いものだ」といくら言い聞かせても流れ落ちる汗は止まりません。しかしエアコンはガマンガマン。修行だと思って夏を味わっています。

空を見上げ「空が青くてよかったよ」とつぶやいてしまいました。暑いながらも空の青さで少し涼めたかな?空が赤かったら・・・想像しただけで体温が上がりました(笑)

色の源は「光」であります。その波長の長さによって、私たちの目に様々な色となって映ります。私たちの体の7つのエネルギーセンターは、虹の7色と対応しているといわれ、その各部位はチャクラと呼ばれます。私たちも光の存在ならば、波長があり、色があって当然のことですね。

タロットカードにも何種類もの色が使われています。それぞれ意味があっての配色です。色に着目しながらカードを眺めるのも興味深いことです。

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怒りの有効活用

何かを変えたいと思う原動力は「怒り」だよ、と、ある人が言っていました。ある世界の現状を見て、これではイカンと怒りがこみ上げ、そこにメスをいれて改革をした人を過去に知っています。そうか、あれも動機は 怒り→許せない→現状を変えよう だったんだと思います。怒りは有効活用できるもののようです。

タロットで、怒りのエネルギーを感じるのは、死神の姿で有名な「名前のない13」が逆位置の場合です。その視線の対象に向けて怒りのエネルギーを発しています。また、「力」のカードが逆の場合も、怒りとは言わないまでも、せっかく持っているエネルギーをコントロールできずにいる状態を表しています。

怒りをその感情のまま使うと、カードの逆位置状態そのものですが、そのベクトルを変えて使うことで、怒りは有効なエネルギー活用ができます。「名前のない13」も正位置の場合、大きな変容をとげられることを指しますし、「力」も奇蹟を起こすほどのパワーを発揮します。

言うは易し、行うは難しではありますが、タロットカードでそのことをとてもよく理解できました。実はちょっと「怒る」ことがあったので、このエネルギーを変換させるべく、誓いのようにブログに記すことにします。(えいえいお~)

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発信したいワケ

ついこの間まで、まさか自分がホームページやブログを立ち上げるなんて夢にも思っていませんでした。1年半ぐらい前の私は、Windows95にダイヤルアップ接続という、IT企業の友人にいわせると「化石状態」のPC環境でした。(それでも本人はいたって平気でしたが)

今でもまだ疎いのではありますが、2ケ月前にPCを新しくし、一からHPを自力で作りこうしてブログもなんとか続けられて、「苦手とか向いてないとか言ってないで、やればできるんだなぁ」と実感しています。

私がこうして発信したいと思った一番の理由は、学びの途中をリアルタイムで記録していきたいからです。鑑定案内を含め、タロットの世界について豊富な知識を発信しているサイトは数多くあります。私もいろんなサイトを訪問して、勉強させてもらっています。それに比べ、私はまだ未熟者、タロットカードでいえば、歩き始めの「愚者」か、よく言ってもその次の「手品師」かしら?(笑)

でも、だからこそ、「タロットは特別な人たちだけのツールではない」ことをお知らせしたいと思っています。私は生まれながらに何か見えたり、感じたり、という性質ではありません。もちろん、目に見えないヴェールの向こう側の世界に関しては幼い頃から興味はありましたが、特別な能力があったとは思えません。そして今でも持ち合わせてはいませんが、タロットを通し、人は誰しも自分を正しく内観する力が備わっていることを学びました。タロットは別に特別な人だけのものではないのです。

昔から、西洋絵画やステンドグラスのような図柄が訳もなく好きだった私だからでしょうか、結局「タロット」という存在と縁があったわけですが、何かトータル性のある、ひとつの世界を完成させている対象と自分とをリンクさせることで、人は自分の神性と触れ合うことができるのかもしれません。

人それぞれの「タロット的存在」を、誰もが見つけられたら素晴らしいと思います。それが自然であったり、音楽であったり、スポーツであったり、様々あることでしょう。そしてその世界と気長につきあっていけたらいいですね。続けることで、どんどん世界が広がり深まってゆきます。Continuation is Power!

というわけで、伊野華絵はこれからも発信してゆきたいと思っています。いつも読んでくださってありがとうございます!

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感じとる力

私たち日本人は、実際に目に見えないものに対して無意識にその存在を認めている人々だなとつくづく思います。その証拠に、日本語には「気」を使った言葉が数限りなくあります。そしてそれを当り前のように日常会話で使っています。「目に見えるものがすべてだ」と思っている人でさえ、例外ではないと思います。

昨日の参院選の開票速報をTVで見ていました。候補者の人たちが「追風がきた」「逆風が吹き荒れている」「こりゃ突風です」などなど、あの「風」も彼らが感じている、活動の場で感じる「気」のことです。特別な能力のあるなしでなく、私たちはいろんな場面で様々な「気」をキャッチしているのです。これは何か先のことを嗅ぎ取る、生き物としての本来の才能なのかもしれません。

タロットリーディングはカードを観ますが、本当に観るのはそれを通しての質問者の心の動きです。その心から放たれる「気」の流れを感じ取る力を私たちはもともと持っているのです。タロットは海の向こうからやってきましたが、もしかしたら私たち日本人のほうがタロットと仲良くなりやすいかもしれませんネ。

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見たいものだけ見てる

昨日の続きのような話。あることに興味を持っているとします。すると、新聞なり雑誌なり、電車内の広告なり、その興味に関連のあるキーワードや映像だけ、目に飛び込んでくるような経験はありませんか?無意識に視点がそこへ引き寄せられるような・・・。

結局、私たちは「見たいものだけ見てる」のだと思います。言い換えれば「見たくないものは見ない」(苦笑)。クサイものにフタ・・・なんて表現もありますね。

些細なことならいいのですが、心理的に根深く残るような目のそむけ方をしているときは、タロットがその部分を指摘してくれることがあります。過去に、見ようとしないで通り過ぎてきてしまったもの・・・それをいまさら見るのはちょっと胸が痛んだりするかもしれませんが、問題を解決するのに最適な方法かもしれません。

昨日より今日、今日よりあした、少しずつでOK。本当の意味であらゆるものを見られるようになりたいですね。

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フォトリーディング

昨日、ランチを共にした友人から面白い話を聞きました。読書好きの彼女、しかし時間がなくなかなか読めない積み上がった本をなんとかしたいと、「フォトリーディング」の講座に参加したとか。高い受講料だったようなので「50円分聞かせて」とお願いし(笑)、その内容をほんの少し教えてもらいました。

フォトリーディングとは、短時間で本を読む方法なのですが、いわゆる速読法とはまた違い、その名の通り、まるで写真を撮るようにページを読んでゆく(それだけ速い)のだそうです。しかもきちんと要点を把握できるんですって。字を追うのではなく、映像としてとらえるのですから右脳を使うのだとか。だからといって、フランス語を知らない人がフランス語の本をフォトリーディングできるかといえば、それは無理みたいですが(笑)。やはりそこには、その本を撮影できるだけの下地能力をもたねばなりません。何を目的にそれを読むのかを明確にしぼることが大切、と彼女は語っていました。

話を聞いていて、タロットのリーディングと同じだなぁと思いました。タロットもカード1枚ずつの意味や解釈の学習なしでは読むことができません。しかしその学習の積み重ねによって、展開された数枚のカードを一瞬にして「フォトリーディング」できるようになります。

これはタロットに限らず、例えば神社・仏閣を造る宮大工さんが木を読むこと、様々な熟練占術家が一瞬にして鑑定することにも通じます。目的をもってひとすじの道をゆくと、瞬間のキャッチができるようになるのですね。

あ~ 実は私も部屋には読みたい本が山積み・・・ 短時間で読めるようになりた~い!

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開運とは

ホームページもこのブログも「開運へのタロット」というタイトルを使っています。

「開運」とは何でしょう?
何かよいことがおきそうな気がしますか。運がよくなりそうなイメージでしょうか。
言葉をかみ砕くと、「運が開ける」と取れますね。では「運」とは?

手元の辞書によると、「運」とは
①はこぶ。うつす。②うごく。うごかす。③自分の力によらない身の上のなりゆき。めぐりあわせ。とあります。

③は運命とか幸運なんていう使い方をしますね。
「あれは運命だったんだ」「私は幸運だ」というように。そういうときはまるで自分の力で事が起こったのではないような、何か見えない力が働いたようなそんな感じがします。

それでは「開運」はどうでしょう。
開くという言葉は、私はとても積極的な印象を受けます。「運」は①や②の意味もあるように固定されたものではなく、動きがあります。その動きを良いほうへもってゆく、開いてゆく、それが「開運」であり、そこには自主的な積極性があらわれています。

人生に「運」という流れがあるのだとしたら、流されるのではなく、自ら流れの向きを良い方向へ変えてゆく、それはとても大事なことですね。人は本来、自分の性質に向いている分野に気づくことができるものと考えます。シンプルに「やりたいこと」「好きなこと」がそうでしょう。一心に打ち込んでいるとき、人は運を開いていると思います。

私にとってそれがタロットの世界でした。おそらくこれからもそうでしょう。「やりたいことが分からない」という声を最近はよく耳にしますが、アンテナを張っていれば必ず誰でも開運への道を見つけることができると思います。諦めないでほしいですね。

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発想を豊かに、魂を自由に

秘書という仕事を十数年もやっていると、「~ねばならぬ」事項が自分の内側で山のように増えてゆきます。業務遂行にしても、自分自身に対しても。もちろん、とっさのハプニングに対応できるような柔軟力もご褒美としてつきますが(笑)、こう、なんというか、自由気ままに動けないというか、前例を無視して突飛なことへのチャレンジが難しくなっている自分を感じたことがありました。

タロットが身近になると、凝り固まってしまった思考パターンがほぐされ、心が解放されるような感覚を味わえます。もちろんリーディングは、基本的にカードの意味にもとづいた法則にしたがいメッセージを受け取りますが、時には本人も予測しなかったような「ひらめき」が生まれたりします。ですので、アイディアがなくて困ったときや、イメージが湧かない場合などにカードに聞いたりしています。自分の無意識界にある知恵をしぼりだすといった感じですね。

そうすることで、自分の魂を自由にしてあげています。体のコリも治るかな???

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数の不思議

今日は七夕ですね。朝ひいた自分のモーニング・カードも7番「戦車」でした。星に願いを、といきたいところですが空は雲に覆われ、このぶんだと星空はのぞめないかな・・・。

七夕と聞いて、私の頭をよぎったのは「花札」のカード。・・・全然ロマンチックじゃない自分に笑ってしまいました。でも花札には短冊がたくさん描かれているんですもの。子供の頃、遊び方も知らないくせにカードの絵柄は大好きだったなぁ、そんなことを思い出しました。

今朝パチンコ屋の前を通るとそこに、「今日はラッキーだよ~」といわんばかりに「777」の数字の貼り紙。開店を待つ人の行列ができていました。数のパワー!?

この世は「数」によって成り立っている、いえ、支配されているといってもいいでしょうね。「数」の活用なしでは我々の生活はありえないですもの。様々な占術でも「数」の存在は無視できません。もちろん、タロットの世界も数字とは深く深く結びついています。7という数字の重要性、二元論、四大元素、黄道十二宮、等々。数字を追うとそれは宇宙全体へとつながります。

各々の「数」それ自体、エネルギーをもち、調和・不調和を生み出しているのでしょう。

みなさん、自分に不思議と縁のある「数」はありませんか?
私は10代のころから、自分を追いかけてくるようなある数の存在に気づいていました。それは大人になって、自分の「運命数」だと分かったのですが。

7の日に、数の不思議に思いを馳せてみました・・・。

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ホップ・ステップ・ジャンプ

昨年末に、2007年の目標計画を立てました。毎年おおまかに立てているのですが、昨年はタロットの勉強の延長で「カバラー」を少し学びましたので、それを活用しながらやってみました。

1~3月はホップ、5月~7月はステップ、そして9月~11月はジャンプの時期と3段階に分けました。各段階の時期にいくつかの目標を設定します。4月・8月は、次の段階にシフトできるかの見直しの時期、12月は総まとめ月としました。アソビの時期がないと息が詰まるもので・・・(笑)計画倒れ予防策です。

年間計画を日々意識しているわけではないのですが、たまに振り返ると「やはり立ててみるものだなぁ」と思います。ホップの時期は、前の年から続いている勉強の集大成ともいえるイベントがありましたし、今のステップの時期は、それをもとにこうしてブログやHPを始めています。その時期だからやろう、というより、気がついたらそうなっていたという感が強いです。カバラーを使って自分の無意識界に働きかけた効果もあるのだと思います。

カバラーについては、まだまだ身についていないのでこれ以上のコメントは控えますが(苦笑)、いつかその素晴らしさもお伝えできたらと思っています。

そうそう、ジャンプの時期はちょうど自分の誕生月と重なります。タロットのイヤーカードも「吊るし」から「名前のない13」に移行します。どんな変容が果たせるか、楽しみです。

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その認識はどこからきたものか

「君たちが『知っている』と思うもののうち、おそらく99%は他人から与えられたものですよ」
昔、講義の際に先生からそう言われ、はっとしました。

私たちは2種類の認識を持っています。1つは、既成の教えや他人から教わったものとしての知識、もうひとつは知識を超えたもの、それは自分で気づき発見したもの、です。前者はdoxa(ドクサ)であり、後者はgnosis(グノーシス)であります。

何かを知っている、または事実だと認識するとき、それがどこからきたものなのか考えてみると、世界を見る目が変わってくるように思います。教科書や新聞に書いてあることすべてが事実だと受け入れる前に、果たして本当だろうか、自分はどう見るだろうか、その気持ちがとても大切なのではないでしょうか。

その訓練に役立ってくれるのがタロットです。私たちが自分の内側に持つ「神性」をよびさまし、グノーシスのパワーを思い出させてくれます。問題を解決する力は、もともと自分に備わっていることに気がつきます。

秘法を持った図像を介し、タロットは様々な気づきを私たちにもたらしてくれます。

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霊的であるということ

“スピリチュアル”、この言葉に抵抗がない昨今、いえ、今はブームともいえる風潮ですね。

霊的であるとはどういうことなのでしょうか。天界にいる存在と交信できる、オーラが見える、前世を意識する、アカシック・レコードを読める・・・そんな風に思う人が多いかな?

世の中には、確かに不思議な、そして特別な能力を持った人がいるものだな、と驚いたことがあります。自分には何も備わっていないので、それを確かめる術がないのですが、ヴェールの向こう側の存在については私も肯定派ではあります。

ただ、霊的であるというのは、そういった能力を持つ・持たないということとは別だと思っています。私は「どれだけ利他的でいられるか」という意味でとらえています。

自分のことだけを考えていたのが、周囲の人のことを思うようになり、のちに社会、そして世界、人類全体へと、我が事のように思える域をどんどん広げてゆく・・・自分を囲んでいた様々な枠を外してゆく・・・その努力をすることが、霊的に進化していくことではないでしょうか。

自分は宇宙の一部である、この宇宙意識が利他的な気持ち、「愛」を生み出します。

タロットの学びを通して、この宇宙意識にも近づけるのではないかと思っています。

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人生の意味

私はなぜ生まれてきたのだろうか?
何のために生きているのだろうか?

誰しも一度はこの問いを自分に投げかけたことがあると思います。私は高校時代からその答えを探し求めていました。書物に求め、人に求め、探しても見つからず、時には問うこともあきらめ、随分長いこと彷徨っていたように思います。

今、見つけられたかというとそうではありません。
が、タロットに出会い、自分なりの「答え手がかり」をつかめそうな気がしています。

先日、タロット・マンダラについて書きましたが、マンダラは数のない愚者から始まり21の世界に至るまで、人間の霊的な道のプロセスを表しているともいえます。

自分は何も知らないという自覚から始まり、自分の道を歩き始め、様々な体験を通して「学ぶ」ことで進化してゆく、カード一枚一枚にその過程が描かれています。

タロットから学ぶ深い教えを支えにいかに進化してゆけるか、それは自分次第です。
・・・まだ道の(未知の)途中です。

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