思い出

夏越大祓

今日は6月30日。グレゴリオ暦では一年の半分を終え、ちょうど折り返し地点です。10日ほど前に夏至を迎え、ほぼそれを境に日照時間が少しずつ短くなっていくのですが本格的な暑さはこれからです。天体配置のピークと地上で私たちが体験する現象に少しずれがあるのですね。

さて、今日は神道行事でいうところの大祓の日です。毎年6月30日と12月31日がそれに定められていますが、今日は「夏越の祓」にあたります。日々、知らず知らずのうちに犯してしまった罪や穢れを祓うのが大祓の日です。

今神社に赴くと茅の輪をみかけますね。左回り・右回りと、8の字を描くように合計3回くぐると穢れが落とせるとのことです。

・・・自分の穢れ。ケガレって何でしょうね。それをどうとらえるかはその人次第ですが、思考の面だけ見てみても、人は1日のうちにアタマの中で何万回もありとあらゆる「思考」を繰り返しています。本当に考える必要のあるものがそのうちのどれほどの割合なのでしょうか?

できれば、祓えるものならそこから祓ってお掃除したいものですね(^-^)。1年が半分を経過するこの時期に、半年分の自分のアレコレを振り返ってケガレを祓い、再スタートするのはとてもよい切り替えの機会だと思います。

私は個人的にはこの6月30日は10年前から特別な日になっています。自分の人生においてとりわけ縁の深かった方の命日にあたるからです。ようやく、やっと、何を想いだしても発作的悲しみに襲われることもなければ、感傷にひたってしまうこともなくなりました。10年経って私の心の中もある「区切り」がしっかりとできたように思います。

さて、今朝の神戸は少し曇りがちですが、ひんやりした風が気持ち良いです。今日は氏神様にお参りして出社しようと思います。

それではみなさま今日も(^-^)でお過ごしください。

Hana_0630
季丘便り 伊野華絵
http://homepage3.nifty.com/inohanae/

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J子の思い出

明日は新月ですね。

新月・満月はいろんなことを感じ取るバロメーターにしているので、暦はそれらを中心に日々チェックしているのですが、カレンダーを見ながら

「明日は彼女の誕生日だなぁ」と 今年もふと思い出しました。

彼女は J子としておきます。

J子と会えなくなってもう随分と年月が経ちました。

学生時代の友人で、社会人になってからも交流は続き、どんないきさつかは忘れてしまいましたが、J子の誕生日に彼女の部屋でなぜか彼女の手料理のカレーを二人で食べ、そのあと水道管ゲームで盛り上がったのを覚えています。

それがJ子にとって地上で過ごす最後の誕生日となりました。

その数か月後、交通事故で帰らぬ人となったからです。

J子の誕生日は自分の手帳にメモしているわけでも、意識して覚えているわけでもないのですが、不思議と毎年その日が近づくと自然と思い出すのです。

「ふーん。そうなんだ」 「私はどっちでもいい」 「なんでもいいよ~」

そんな口癖のある子でした。

自分の意見ばかり主張して、個を強めることに意識が向きがちな今の時代には、ある意味清涼剤のような存在でした。普段はとりわけ目立たなくとも、気づけば誰からも、そして誰よりも愛すべき存在になっていたJ子。もう二度と日常では会えなくとも私にはとても大切な存在なのでしょう。だから毎年思い出すのだと思います。

何かを強く働きかけようとすることより、空気のようにたたずみすべてをただそのまま包み込むような存在の中にこそ、きらめく光とその有難さを感じます。

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想い出とは何ぞや?

昨日夜、久しぶりに昔の会社の先輩・同僚と会った。

干支が一回りするほどいた場所。それもひとつの部署に。今でもそこで働く後輩、自分がそこにいたときにお世話になった他部門の大先輩と食事をしながら、数々の思い出話に華がさいた。

話をしながら、自分が驚くほど当時のことを忘れていることに気づいた。さらに驚いたのは、話題に平行して当時を思い出そうとすると、大変だったはずのことが皆愛おしく蘇ってきたことだ。起きた出来事は変わらないはずなのに、私の中で再現される景色が変化していた。

時が経つことはありがたいことでもある。

そして、想い出とは何だろう?と改めて考えさせられる。起こった事実とは別のフォルダにおさめられているかのようだ。感情という海のフォルダの中に。それは自分の成長とともに上書きされてゆく・・・。年を重ねることを、私はいま幸せに思っている。

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思い出の更新

冬が近づくと必ず聴いていたCD。数年前から手に取ることを止めていました。大好きな曲ばかりなのですが、「悲しく切ない思い出付」となっていたからです。

先日、ようやくそのCDの封印期間を解くことができました。流れてくる音楽は、まだどこかせつなく、セピア色の雰囲気を演出してしまいますが、もともとそういう曲!ということに気づく余裕さえあったりして。

ここ数年の様々な経験を通して自分の内側に起こった変容が、その過去の景色を塗り替えてくれたのだな、と思います。もちろん、時間というお薬の効果もありますが、自分の前に映し出される世界は自分の心が作り出している、ということを学べたからと感じています。

その思い出を今は "有り難く" "なつかしく" 味わうことができます。

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思い出を共に辿る

昨日、退院した祖父の顔を見ようと久し振りに会いに行きました。

おだやかな陽だまりの午後、少しの間ですが二人でおしゃべりをしました。術後のリハビリの苦労話から、祖父の若かった頃の話まで、ひとつの話題から糸をたぐりよせるように思い出はどんどん過去へ遡り、二人で時間旅行をしたようなひとときでした。

時々言葉が分からなかったりよく聞こえなかったりするのですが、私もその場にいたように、聞いたことを画像やイメージでとらえるように祖父の話に入っていきます。すると一緒に思い出をシェアできる気がしました。

時間はほんの15分ほど。それでもたくさんの知らなかった「おじいちゃん」に出会えました。祖父の顔も楽しげに生き生きとしていたように思います。

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記憶をよびさますもの

今日はずいぶん涼しい1日でした。雨も降り、週末の猛暑がつい数日前のことだなんて信じられないほどです。

今朝出勤途中に朝の空気に触れ、ふと2年前に訪れたドイツのある場所を思い出しました。時期もちょうどこのころでした。目に映る景色が思い出させたのではなく、今朝の空気があのときのそれととても似ていたのです。

ドイツ南に位置するバイエルン地方にある、レーゲンスブルク。ドナウ川が流れ、ゆったりとしたとても美しい町でした。私が訪ねたころは、ヨーロッパの夏が雨続きで、川の水量が尋常でないぐらい多く、橋の下を観光船がくぐれないほど水位が上がっていました。というわけで、楽しみにしていた遊覧船はあきらめ、川沿いをブラブラしたのでした。そのときのなんともいえない湿った空気と夏の終わりの木々が醸し出す緑の雰囲気、なぜか今朝私が味わったそれと酷似していたようでした。

理屈を超えたところで、無意識に覚えている感覚が、その時の記憶を鮮やかに思い出させてくれました。朝食に立ち寄ったお店の美味しいコーヒーとパン。お店のおばさんのやさしい笑顔。大聖堂の荘厳さ。流れる時間のなんとまぁゆったりしていること。あらゆる記憶が頭をよぎり、午前中は少しぼ~っとしてしまったくらいです。

ひょんなことで思い出が蘇ることがあるのですね。これにもきっと何か意味があるのかもしれません。そう、あの場所にはまた縁があるのでしょう。今度行く時はタロットも一緒です(^ ^)

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運命の輪

ちょうど2年前の今日でした。

12年以上勤めた会社を退職し、海の向こうへ飛んで行った日です。

以前から、ヨーロッパを鉄道で旅することを夢見ていました。それを実現すべく、ほとんど予定も決めないままに2ケ月の一人旅。ずいぶん冒険だったなぁと思いますが、その旅が私の人生の転機となりました。なぜなら「タロットへの道」を歩きだすきっかけとなったからです。

今振り返ると、あの時から「運命の輪」を自分でまわし始めたように思います。
運命の輪はタロットの大アルカナの10番のカードです。輪の中で、サルと犬が止まることなく上がったり下がったりしています。その上には、スフィンクスが輪から抜け出しています。カードには時間やチャンス、転機などの意味合いがあります。ただ、サルや犬の立場とスフィンクスの状況は異なります。流されるままに走りつづけるか、時流を知ってその上に落ち着くか・・・

宿命は変えられなくとも、運命の輪は自分でまわせるものなのです。心の声に耳を傾け、勇気を出して決断し、そしてタイミング(チャンス)に背中を押してもらいましょう。

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夢か現実か

幼いころの強烈な記憶のひとつをご紹介します。

おそらく4,5歳の頃でしょうか。同じアパート内にいる、遊び友達のお姉さんのところまでひとりで歩いてゆく私。後ろにある気配を感じ、振り向くと、なんと死神が2人(人で数えていいの?)自転車にのって私を追いかけてくるではありませんか。びびびっくりして、大急ぎでそのお姉さんの住んでいる階までのぼり、ドアをドンドン叩きながら「開けて~開けて~」と叫びます。彼らはすぐそこまでせまっていて・・・と、記憶はここまでです。

これは夢だったのでしょうか。妄想?まさか現実ではなかったと思います(思いたい)。しかし今日こんなに年を重ねても、強烈に記憶に残っています。もちろん毎日蘇る記憶ではないので、ずっと思い出さない時期もあったのですが、実はタロットカードの「名前のない13番」のあの死神がそっくりな姿なのです(自転車には乗っていないけれど)。

自分と深くかかわることになったタロットの中に、幼いころの強烈な記憶にあるシンボルが含まれているなんて、今思うと「あの頃からタロットとつながっていたのかしら?」と思ってしまいます。でも何も死神じゃなくてもよかったのに・・・(笑)

みなさんも幼い頃から持つ不思議な記憶、(それが夢か現実かは問いません)ありますか?もしあるのなら、それは人生において重要なキーワードをもつ記憶かもしれません。

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なぜ?どうして?のキモチ

子供時代の私は、「質問魔」でした。
疑問に思うことがあると「なぜ?どうして?」と聞いてばかり。特に運転中の父に質問をぶつけることがあり、あれはメイワクだったよなぁと、苦笑いしてしまう思い出です(父に確認はしていませんが)。
と同時に、母に「そうやって不思議と思ったことをたくさん聞くのはとてもよいこと」といわれたのを覚えています。

大人になるとその「なぜ?どうして?」感覚がどんどん鈍ってくるように思います。良い意味の納得、理解、妥協?ともいえます。あきらめが肝心、なんて言葉もありますネエ。

タロットを必死で勉強していた初期のころ、何とそのキモチが戻ってきました。どうしてこの図像はこう描かれているんだろう、なぜこう展開するんだろう、なんて感じに。そういう時は、タロットという対象に一点集中しています。必死なわけです。他のことなど考えられません(笑)。そういえば子供って全身で色々なものを見て、全身で色々なことを感じているんだなとふと思いました。でもそれは子供の特権ではありません。大人でもできます!

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Something Great (偉大なる存在)

10年近くその人の傍で仕事ができたことは幸運でした。その人はもう他界していますが、私の人生の中で最も忘れられない存在の一人です。

昔、一緒に食事をする機会があり、彼がニコっとしながら教えてくれました。

「僕はね、大切なことを決めるとき、お祈りをするんだ。神様、これでいいでしょうか?って。すると返事が返ってくるんだよ」

長い経営者人生の中で、大きな責任を伴う決断を数え切れないほど下してきた人です。成功してもなお、いえ、成功したからこそでしょうか、自分の力を過信することなく、人間を超越した Something Great(偉大なる存在)の前に謙虚になる気持ちを持っていることに心打たれました。

祈りの中で、彼はおそらく天の声を聞きながら、自分の内なる存在と対話していたのでしょう。Something Great は人間界を超えたところにあり、そして同時に自分の中にもあるものだと思います。

タロットの講義で「当ててやろうというスケベ根性はやめなさい」とよくいわれました(笑)。リーダーの自分が当てるのではなく、決断への鍵を握るのはクライアントの心と、そしてタロットの精霊が導いてくれる天の声です。それらもやはり Something Great なるものなのです。

タロット・リーダーとして、そのことはいつまでも忘れずにいたいと思っています。

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