カード解釈

守破離~型破り~、そしてルノルマンカード

守破離(しゅはり)という言葉があります。

1.何かを習う際、師から教わることをそのとおり忠実に守り訓練します。これが、「守」。

2.後に、習ったことを自分の中で咀嚼し、自分に合うさらによいものに変えてゆくことで、師から伝授された『型』を破ります。これが、「破」。

3.最後に、師匠の型からも自分の型からも自由になることができる。これが、「離」。

タロットを学び始めて9年ほど経ちますが、私は長らく、1に留まったままでした。1の期間は人それぞれなのでしょうが、2に行くにはタロットの実践だけでなく、日常や人生全体での諸経験が大きく影響します。タロットを扱う本人の意識が重要なわけですから。1から2に移行する際、実生活でも変化がありましたのでああ、そうだな、と実感しました。

最終的にはもちろん3を目指しているわけですが、3を充実させたものにするために、さらに沢山の体験をするのだろうな~と思っています。3はもしかしたらタロットそのものとの「離」(手放す)になるのかもしれません。

「離」は、「守」や「破」のときにどっぷりドロドロはまり、しがみつき、深入りすればするほど、ダイナミックに「離」を体験できるのでしょうね。

わたしは西洋占星術でいうと、さそりに天体が多くあるので、対象ととことん一体化するのは得意技です。その分、引き離される際のショックも大きいのですが、それも楽しもうと思って生きています。

さて、いまの私のお気に入りのタロットカードは、「TAROT LENORMAND」(タロット・ルノルマン)です。

あのナポレオン皇帝も顧客だったという謎のフランス人占い師・ルノルマン婦人に由来するというカードらしいですが、実はこのカードは思いつきで数年前購入したものの、絵柄をみてびっくり。今まで手にしていたスタンダードなタロットカードをかなり無視した構図でわたしにはどうにも扱えなかったのでそのままお蔵入りさせていました。

ところが最近は、その絵の世界からインスピレーションをもらうことが多いです。このカードについては、数の原理はほとんど考慮せず、絵画を観るように選んだカードの絵をみて対話します。これが結構面白いです。

今日のカードをシェアしますね。・・・あなたにはどんなインスピレーションが湧くでしょうか? こういうときは、アタマで考えずに、できれば0.3秒以内に「感じて」受け取ってくださいネ。

20140708_017
季丘タロット
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天使のラッパ

タロットカード20番は「審判」。上空から天使がラッパを吹いています。

Judgment_20

私の中でも、天使がラッパを吹くときがあります。

実際に天使が現れてラッパを吹くのではありません。
そういう意識体みたいなものを もうひとりの大きな自己で感知するといった感じです。

そのときは、

「我に返った」

ようになります。

我に返るの「我」って誰でしょうね?(笑)

それまで考え事をしていて はっと我に返る・・・という我ではないです。

このカードには時間の制限を超えた世界が入り込んでいます。
天使のラッパは過去のものを呼び出すことができる・・・だから「復活」という意味もあるのですね。

それから、「生きよ」というメッセージがとても強いと感じます。

ラッパは、強く息を吹きかけないと音がでません。

息を吹く=呼吸する

呼吸をすることは、「生きること」 の大きな象意です。

呼吸も生きることも、ただするのではなく、意識的に取り組んでいきたいですネ。

Tokiokatarot_astrology_birth2

季丘タロット
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季丘のお部屋(タロット無料相談室)

今月、季丘タロット・ホームページ内に、無料相談室を開設しました。

このたび、勇気をもってご依頼をくださった方がおられました。ありがとうございます。

タロット・リーディングの上、ご質問とお答を掲載させていただきました。

季丘タロット

相談したいのだけれど、「公開」だとなかなか勇気がいるなぁ・・・というお声を多数いただいております。・・・そうなのか、そうだよなぁ、私だっていざ相談するとなると勇気がいるかもなぁ、と伊野華絵としても思ってはおります。

人はそれぞれ人の数だけ想いはありますし、視点は違いますし、人生観も異なります。・・・が、違うなりに色んな人の人生景色をシェアすることで、無形の恩恵が不特定多数の人にもたらされると私は信じています。特に、どんどん意識が進化していると感じる昨今は、

「宇宙に質問を投げかければ 答えがあちらから帰ってくる」のです。

日程に迷っていると、ラジオから、「○月○日」と言われたり、

うーん、わからないなあと思っていたことが、電車で隣り合わせた人の会話の中にあった、なんてことだらけが私の日常です。

無料相談室への皆様のご質問が、どんなご縁で誰かの助けになるやもしれません。

というわけで 季丘のお部屋はいつでもあなたをお待ちしております。ドアをノックしにいらしてくださいね。

伊野華絵

季丘タロット

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リーディングの極意

先日の日曜日。

タロット勉強の集まりで、モニターの方へリーディングをさせていただく機会があった。

私が初めて試みるスタイルだった。質問者1名に対し、リーダーが2名。

加えて、オブザーバー、ウィットネスという役割をもつ人も同席した。

普段は1対1で行うことが多いので、場のエネルギーも全く違う。

リーディングを始める前は緊張していた私。だが、始まってしまえばいつも通り、タロットに集中できた。普段と違うエネルギーに多少戸惑いつつも、全身全霊をかけてカードを読むことにつとめた。

質問者の方の相談事は2つ。1時間かけてじっくり読んでいった。

後日、その質問者の方がくださった言葉。

「自分が本当は知っていることを タロットが教えてくれた」

この言葉をいただいたとき、あのリーディングはその人の魂に響いたのだなと実感し、胸にあふれる喜びがたまらなく・・・感動的で嬉しかった。

そう、本来は皆、自分自身が直面している問題に対して、「最高で最善の解決策」を知っている。タロットはそれを教えてくれるメッセンジャーなのです。決してリーダー側からの一方的なアドバイスで終わる物語ではないのです。その人自身が、自分の神性に気づくとき、解決できないものは何もない、と思います。

そして、ほんとうに魂に響くとき、人は自然と涙があふれる。涙とは不思議なものですね。

改めて、タロットの役割のもつ大きさ、リーディングの極意を実感した日曜日でした。

・・・パリから戻ってから、タロットとの距離が一層近くなったと思えます。

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タロットと繋がる

占い師は自分のことは占えないもの。というか占うのは難しい。

なんて、聴いたっけ。タロットを習った学校でもそう聴いた。教えられた。

果たしてそうだろうか? ・・・と今の自分はそれに対し疑問を投げかける。

「占う」という行為をどうとらえるかによるのかもしれない。

未来予知、という意味なら、確率は100%でないのかもしれない。

でも。

「自分はどうしたいのか」については、如実にでる。カードがそのまま語っている。

語っていないように思えるのなら、読みが甘い。もしくは、カードに問うときに何か別のことを一緒に思い、その想念を混じらせていただけだと思う。

『自分はどうしたいのか』。究極のところ、皆これを求めているのだと思う。どうしてよいかわからないから迷う。不安になる。誰かに依存したくなる。

自分がどうしたいのかが分かっている人は、成功するか失敗するかだけに焦点を当てていない。したいからする、やりたいからやる、実にシンプル。

リーディングでも、自分がどうしたいか、に導くとその人の顔は別人のように輝く。

タロットと繋がるってそういうこと。だから、自分のことをリーディングするときも、

『自分はどうしたいのか』という心の声を聴くスタンスなら、占い師も自分のことは観ることができる。私はそう思ってマス。

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コトバの「縛り」

常々思っているのだが・・・言語=コトバは、タロットカードの「悪魔」と密接な繋がりがある。

コトバによって、地上のものは限定化される。概念も形になる。

例えば、リンゴという物体に「リンゴ」という名前(コトバ)を命名することでその物体は「リンゴ」というものに限定される。

物質以外の目に見えないもの・・・概念、感情、ありとあらゆるもの・・・人間が把握したいものはすべて「コトバ」で定義され、限定化される。自分自身だってそうだ。一番身近なものは・・・名前。与えられた名前という「枠」で囲われてこの世を生きる。命名されていないと、この地上では存在しないともいえる。

・・・これはいわゆる「枠」への閉じ込めであり、縛りである。そうしないと人は対象をつかみとれないし、定義づけて共有できない。というわけで仕方がないのだけれど・・・よく考えると「悪魔」のカードのように縄で縛られた状態だ。

これがあなたの「宿命」です。それこそがあなたの「使命」です。・・・こんなささやきもよ~く考えると、「縛り」であるわけで。人はどうしてこういう縛りに弱いのだろう。窮屈だといいながら、どこかに繋がれている自分が安心なのだ。何かで自分を定義づけていないと生きていけない存在なのだろうか。

・・・という一方で、そのコトバで人は喜び、感動し、勇気づけられ、可能性を見出してゆく。誰かの一言で救われる経験もある。不思議な効力をもつと言われるマントラのような文言も悪魔の領域。

「悪魔」ってやっぱりトリッキーだ。アメとムチ、、といったところか。いや、「洗脳兵器」みたいな感じかな。取扱注意、ですな。

そして。タロットはこの「悪魔」が着地点ではない。その先がある、コトバを超えた世界に到達する道を指し示している。ワクワクな世界なのだ。

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カード逆位置の意味

他者をリーディングして、カードが逆位置で出ると、その人がどきっとする。・・・わたしはしない。冷静に、客観的に観ているからだ。

ところが、自分のことをリーディングしてカードの逆位置が現れると・・・どきっとする。なんだ、私も同じじゃないか。目下これをどうにかしたいと自己観察中。

たしかにカードの逆位置は、その象意に対してイエス、と言い難いのだろう。

でもだからノーなんだろうか?だからダメ、なんだろうか?

逆位置のカードを観た時の自分の心を追ってみよう。そのことが最も大切だ。

落胆する、ショックを受ける、かなしくなる・・・これらの感情の部分が最初にやってくる。そこから逃げないで、その感情の波が引いて行くのを待ってみよう。静かに落ち着いて眺めよう。

そうすると、逆位置のカードは、正位置へ戻りたがっていることに気づく。ではどうすればよいか。それは解決カードが示してくれる。

ここまでカードを見つめないと解決カードのメッセージは読みこめない。

そう、心の問題は、問題を直視することから始まる。勇気を持って直視できたところから解決が見えてくるのだ。

辛い、苦しい、の感情だけに飲み込まれず、「何が問題となっているんだろう?」と 客観視する位置にまで心を持ち上げよう。これこそまさに、『観自在菩薩』だ。

そうすれば、逆位置カードに対する見方をもっとポジティブに変えてゆくことができる。

ホロスコープでも、星同士のアスペクト(角度)がオポジション(180度)やスクエア(90度)は凶作用と言われる。でも、その困難さを乗り越えてこそ獲得できる事柄も多いという。

楽で心地よい例えばトライン(120度)だらけでは、何も生まれないのかもしれない。

・・・と、話がなぜか星に飛んで行ってしまった(笑)

カード逆位置の意味、自分にはどう見えるか、どう感じるかを見逃さないようにしたい。

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どんなときも。

調子のいいときは、理想論もいえる。夢もキラキラとした目で語れる。

では、絶不調のときはどうだろう?

マッキーの歌『どんなときも。』のように

・・・どんなときも 自分が自分らしくある・・・

となれたら どんなにいいだろう。

最悪のときの敵は誰か?

他の誰でもない、自分だ。

最悪のとき以外でももしかしたらそうかもしれない。負けてはいけない相手は自分の内側にひそんでいる。

「自分に負けるな」

そんなときの タロットカードは コレ

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LA MAISON DIEV -- The Tower -- 神の家

16番・神の家

15番・悪魔→5番・法皇の象意のエネルギーの流れと同じように考えると、6番・恋人のカードはこの「神の家」から何かを受けている。

悪魔のカードは、先日の投稿で 言葉の発信源と書いたが、この神の家は 言葉を超えた領域に感じる。15から16へのシフトはかなりダイナミックだ。そりゃそうかも。あの悪魔の関門を無事通り抜けて、だから。

ここで受けるのはまさしく サムシング・グレートからのダイレクトなエネルギー。道理で下の人物はひっくりかえっているわけで。このカードは衝撃的な出来事を表したりもする。

この象意が源のエネルギーが6番・恋人へ届いているということは、「恋人」のカードが示す『直観』という意味も納得できる。

誰でも ハッと 気づくことがないだろうか。それは恋人のカードで表されるが、もとはこの神の家での出来事なのである。

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LA MOVREV--The Lovers-- 恋人

昨日の法皇の次のカード、6番・恋人を今度はみてみよう。

このカードは、その名前から、「恋愛」にすぐ結びつけて解釈されがちだ。だが、それよりももっと深いメッセージを見逃してはならない。

前日の法皇の視線はどこに向けられているか・・・。5番、6番と横に並べてみると、彼の視線は天使に向かっている。

恋人のカードでは、5番のカードまでは出現してこなかった、天界からの存在が描かれている。天使だ。

天使が本当にいるかどうかはともかく、この存在がどうやら下の人間が下す『選択』の源になっているようだ。それを証拠に天使は真ん中の人物めがけて矢を射るところだ。下の人物は誰も上の存在に気がついていない。

私たちの人生は『選択』の連続だ。何気ないことも意識しないで選択して行動している。選択がなければ何事も始まらない。

選択はもちろん、行動する自身が決めている。自身の判断が選択を決定づける。・・・いや、待てよ、でもその判断はどこからやってくるのだろうか。上に天使がいるとすると・・・。

このカードは、『直観』というキーワードも持つ。正しい直観の把握は正しい選択をもたらすに違いない。その証拠は、、、次は、16番のカードだ。

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