母系のルーツ

「ねえ。・・・あの蝶、おばあちゃんかしらね」

母がそう言ったとき、私自身は蝶は確かに祖母である、と気づいていましたが、母からその言葉が飛び出したことのほうにびっくりしました。

土曜日のこと。亡くなった祖母が、幼いころよく母親と訪ねたという青梅の観音寺に出かけました。母とともに。そのお寺周辺の土地一帯は私の曾祖母が生まれ育った場所なのでした。

母娘そろって、『母の母、そのまた母のゆかりの地を訪ねる』ということは、私にはとても意味のあることです。個人的な意見ですが、母系のルーツを実際に訪ねたり、それについて瞑想などを通し霊的に辿ってゆくことは、自分の霊性の向上に大きな助力となると考えています。そのお寺に一緒に行こうと母を誘ったのも、母とその土地へ行くことで、そのまた母・そしてそのまた母、と母系のエネルギーラインを自分がより強く感じられるのではと思ったからです。

母と立川駅で落ち合い、青梅線に乗ってまもなくのこと。

いくつめの駅からでしょうか、車内に黄色い蝶が舞いこんできました。

「あ、これはおばあちゃんだ」

理屈抜き、直観でそう思いました。ですが、母とは「蝶だね、電車の中にめずらしいね」と交わしただけ。会話は引き続き雑談へ。列車が駅に停車しドアが開くたびに、私は蝶の行方を目で追うのですが、外へ出て行きません。結局私たちが降りる終点までその蝶は車内にとどまっていました。

バスに乗り換え、停留所から歩くこと数分。やっと念願の観音寺に到着。そこはつつじで有名なお寺ですが、今は愛でる花もないからか誰もいませんでした。

静まり返った神社・仏閣は心が落ち着きます。おかげで本殿の拝観も、二人きりで観音様としずかに向き合うことができました。

本殿の次に鐘楼へ向かう際、そこであらわれたのです。黄色い蝶が、ふたたび。そして私たちの行くほうへ ひらひらと ついてくるのでした。

お寺で見かける蝶だけならば、特に自然のひとつとしてとりわけ気にとめないでしょうが、電車に舞い込んできた蝶と色も大きさもそっくりなその姿に、母が思わず

「おばあちゃんかしらね」

とつぶやいたのでした。

私はシンボルには人一倍敏感なのですが、母親とはその類の会話はめったにしたことがなかったのです。なので驚いてしまったわけで。どうやら母も電車で蝶を見かけたときからそう思っていたようなのです。

「蝶ってよく亡くなった人の化身になることがあるっていうよね。おばあちゃんだといいね。」

本当はめいっぱいトークしたい気持ちを抑えて、そう言葉を返した私。

母系の繋がりは何かと得るものがあるのです。意識には上がってきませんが、私の魂は大きな気づきを得ているはずです。この土曜日のルーツの辿りによって。

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大地のエネルギー

九州は、暑かったです。台風襲来の時期ではありましたが、有難いことに天気に恵まれた3日間。アツかった。

それも空気が暑いというより、地面が暑い。大地がアツいんです。歩いていると、下からすごいつきあげるようなエネルギーが湧きあがってくる感じです。できれば裸足で歩きたかったぐらいです。

私は日常でも通勤、散歩を含めよく歩くように心がけていますが、このときほど『普段から歩いて足を鍛えていてよかった』と思ったことはありませんでした。といっても帰ってきたらヘトヘトでしたけど、ね。

そういえば、旅行で運気を上げるコツのひとつが、「現地でよく歩くこと」らしいですヨ。

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命の水

九州で参拝した2つの神社から、それぞれ「ご霊水」をいただいてきました。500MLのペットボトル2本。・・・飛行機が国内線でよかった。とはいえ、"アブナイ液体"じゃないかチェックされましたけど。没収されたら大声で泣いてやるっと思いながら、「これは神社からいただいたお水です」と、大げさに、かつ、うやうやしく出したら、

「・・・ワッ、ワタクシが触ってもよろしいでしょうか?」と逆に緊張させてしまい・・・。検査係の人、脅かしてゴメンナサイ。でもおかげで(?)無事に持ち帰れてよかったです。

『水』。今回の旅で、水の大切さを改めて痛感しました。長い間参拝を夢見ていた神社でしたので、かなりハイテンションだった私。食べなくとも参拝できることへの感謝というエネルギーを味方に、普段ならへこたれてしまうほどの距離を重いリュック担いで歩き回りました。ですが、水だけは欠かせなかったです。むしろ、水さえあれば私の体は動いてくれました。

私たちの体のほとんどは水でできています。そして地球という体も同じですね。海を見て、川を見て、体に水を取り入れて・・・

「水」はまさに、私たちの命をつないでくれる神様だなあ、とつくづく感じました。

ん?こんなにも水の有難さを感じている私。もしやあの神社には"水の神様"もいらっしゃったのかな・・・?

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祈りの旅

久しぶりに一人旅をしました。

一人旅は、「タロットをやってみよう」というきっかけをくれた4年前の旅以来、かもしれません。今回は九州へ。目的は祈りの旅。神社という聖域をお借りして、自分と対話するためのものでした。

巡る場所やルート、そしてその場所でなぜ祈るのかについて、長いこと時間をかけ、自分の内側であたためて準備してきました。もちろん、タロットの力も借りて。そう思うと、出発するずいぶん前から旅が始まっていたのかもしれません。

3日間ではありましたが、自分にとってかけがえのない旅となりました。食べることも忘れ、現地をひたすら歩き、体で感じてきました。おかげで今日、日常に戻った途端に体がガタガタ悲鳴を上げ始めてますが・・・。

体力的にかなりきつかったですが、やはり行ってよかったと痛感しています。帰りの飛行機では、キラキラ満月が「おつかれさ~ん」と東京まで同行してくれました。

旅は本当によいものですね。心身への栄養となります。みなさんもよい旅をどんどん体験してくださいね。

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年末から年始にかけて、私はアメリカ・サンフランシスコにいました。

そこで中国人の友人と話をしていた際に、ちょうど私が「易の話」という本を読んでいたので『易』という言葉から占いの話に発展しました。

話の中で、彼女は「縁」という言葉を取り上げました。私たちはよく「ご縁がありますね」「何かのご縁で」と頻繁に使いますが、この「縁」という言葉を西洋の人たちにわかってもらうのはなかなか難しいことのようです。

縁を単に connection といってみてもニュアンスが違うね・・・そんな感想を彼女と共有しました。この『縁』は、彼女にいわせると、「あなたと私は過去の生でつながりがあったからこうして出会って繋がりをもったの。それが縁。縁がなければすれちがってもただそれだけ」

そんなことを聞いていると、やはり過去生というものは存在するのだろうか・・・と思ったりします。

『袖ふれあうのも他生の縁』という言葉がありましたね。

彼女の口から出た他の言葉、「悟」や「佛」なども、その一文字で深く深く伝わってくるいいようのない重みを感じて、なるほど自分は漢字というものを意外なまでに自分に刻み込んでいるものだなぁと思いました。漢字の奥深さを意外な場所で認識した瞬間でした。

彼女に会ったのも、本当に ご縁 といえましょう。

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2009年

お正月は毎年、家族と静かに・厳かに迎えていたのですが、2009年は生まれて初めて外国の地で年の変わり目を過ごしました。

旅はいつも自分に特別な贈り物をくれます。贈り物の中身が何なのか、気づくのに少し時間がかかることが多いのですが・・・。今回の旅はどうでしょう。やはりまだ咀嚼中、といったところかな。

今年もまた新しい経験が沢山訪れる年になる気がしています。変化の波におぼれないように、むしろ変化の波を事前にキャッチし、うまく乗りこなすことができるよう、『準備万端』な心がけをしたいですね。

気づきは日常に溢れていますから、今年もそれをみなさんとぜひ共有したいと思っています。

『季丘タロット』 共々、よろしくお願い申し上げます。    伊野華絵

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海の向こうで

1週間、海の向こうで過ごしてきました。

日本を発った日も暑かったですが、帰国した今日もアツイアツイ。

でも、この蒸し暑さがなぜかほっとしてなつかしく、いとしい気分です。

旅は、自分を日常とは違った角度から見つめなおすよい機会ですね。タロットの最終講義を学ぶべく、フランスを旅してから1年半ぶりの外国でした。自分とタロットの間に積み上げた「何か」を、敢えてカードから離れて感じてきました。

タロットは何も語りませんが、この数年をかけて私にたくさんの気づきをもたらしてくれたのだなぁと、道中、青空を見ながら実感しました。

年を重ねることが嬉しい、といま、思っています。。。

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冬の旅 京都 ~人の縁~

下鴨神社への参拝後、もう少し他へ足をのばす時間がありましたが、京都に住む友人を訪ねることにしました。

多忙な彼女に時間を割いてもらうのは心苦しいと思いながらも、せっかくだからと押しかけてしまい、それでも私を快く迎えてくれた彼女の顔を見てホっと胸をなでおろしました。

人の縁とは不思議なものです。彼女とはタロットがきっかけで知り合いました。タロットによって新しい出会いは多々ありましたが、出会った相手との「縁」の糸をどう美しく紡いでゆくのかは、自分次第ともいえますし、ときには見えない何かの導きによって展開してゆくものともいえる気がします。すべての出会いに対し「縁」紡ぎ上手になりたいものですネ。

彼女と語り合いながら、「今回の旅のハイライトはコレかなぁ」と思いました。もちろん、東寺や下鴨神社での時間は、私にとって聖なるひとときとなりましたが。日常とは異なる場所で自分を見つめる時間を過ごした後、生きた人(友人)との対話の中で「タロットを通じて、今後自分が表現してゆきたいことは何か」を、以前より少しクリアに描けるようになったのです。

その道は長いです。思い描くだけではまだまだ・・・でもきっと、必ず形になると信じています。

冬の旅 京都。 日帰りでしたが、えらい投稿数になってしまいました。。。

明日からまた日常の気づきを綴ってゆきます。

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冬の旅 京都 ~下鴨神社~

またいつか訪れるに違いない東寺をあとにし、次に向かったのが下鴨神社でした。

正式には賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)といいます。京都で最も古い神社のひとつとされています。

国宝である東西の本殿には、

〈西殿〉賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)
〈東殿〉玉依媛命(たまよりひめのみこと)

がご祭神として祀られています。

前々日の積雪の"白"、その日の澄みきった空の"青"、ようこそといわんばかりの鳥居の"朱"、どこを見ても眩くて、目を細めてばかりいました。

下鴨神社は、参道が糺(ただす)の森として自然保護区域となっています。深い呼吸を意識しながらその緑豊かな参道をゆっくりと歩いてみました。「今日みたいな日はめずらしいねえ。いい日に来たねえ」・・・そんな声をかけられながら、私はゆったりのんびり歩きました。

日本には、静かに手を合わせ自分を見つめたり祈ったりする場所が数多くあります。場所はあるのに、その機会をもとうとしないのが私たち。観光目的で訪れるのも楽しいですが、ただ「チラ見」で終わる訪問ではなく、ときにはじっくり向き合う時間をもつと、これまた幸せなものですね。

まだつづく?

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冬の旅 京都 ~東寺その4~

東寺を完成させる過程において、空海さまが最も尽力されたのはまぎれもなく立体曼陀羅のある講堂でしょう。ただ、講堂が作られる前に、ご本尊として完成していたのは金堂だとか。そこでは薬師如来像を見ることができます。時の天皇は、政治がらみで犠牲になった魂を静めるために、薬師如来が必要としたとか。密教において、薬師如来は重要な位置づけではなく、そのあたりの経緯や背景には疎いのであまり記せません。

ですが、せっかくですから薬師如来ならではの特徴をいくつか。まず、手に薬壺を持っています。タロットの図像と同じく、意味があって事物・持物が表わされているので、そういう視点で観ると興味深く観察できます。また、薬師如来の手は水かきが発達しています。これは「一人でも多くの人をすくえる(救える)」ようにだとか。その姿の細部に思いが込められているのですね。

さて、もうひとつの重要な場所として、大師堂があります。そこは空海さまが高野山へ行かれる前の住まいだったされています。

「東寺にこられたのなら、ここを拝まないといけませんよ」と、偶然出会ったおじいちゃまにやわらかな京都弁で話しかけられました。大師堂は、空海さまと不動明王が背中合わせにまつられており、空海さまを直接拝観するのは畏れ多く、不動明王像側を拝むようになっているのだとか。

ひとつの寺院にこれだけ時間をかけ、自分の内的な思いをめぐらせながら訪れた経験は、初めてのことでした。

旅はつづく(あくまでも日帰りです・・・)

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冬の旅 京都 ~東寺その3~

その日は潅頂院が特別公開中でした。

潅頂院は、密教では重要な潅頂の儀式などをとりおこなう道場です。

薄暗い院内は、吐く息も白く、底冷えするような寒さでした。ピリっとするような厳しい雰囲気だなぁと感じながら、金剛界曼荼羅、胎蔵界曼荼羅、と対面しました。

中でも私にとって印象的だったのは、両側の壁に配置された、真言八祖像です。

空海さまが密教を日本へもちかえるまでには、空海さまを含め、8人の僧が伝承に関わっているとされています。その方々が真言八祖です。

この方々は、人々を救済するための「教え」というバトンを次の伝承者に渡すべく、自分の人生全てをかけたのだ。描かれた8枚の画を見つめ、その生き方の尊さに手を合わせました。

まさに、自分の天命に気づき、それを全うした魂の生き方であったのだと。

立体曼陀羅の仏像さま達とのときとはまた違った、感慨深い対面でした。

つづく

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冬の旅 京都 ~東寺その2~

東寺には朝早く到着したものの、すでに拝観する人々で混みあっていました。特に五重塔は、ガイド付のグループで何も見えない状態。私は人の後頭部を見にきたわけではないんだけど・・・。おまけに聞こえてくるガイドさんの声で、左脳が刺激されてしまった私。

「中心の柱は大日如来そのものを指し、心の柱と書いて心柱(しんばしら)といいます・・・その周りに四如来がおられ・・・」

いつもならそういう解説大歓迎♪ な私なのですが、今日ばかりは左脳を封印したかった~。タロットマンダラと毎日接してきたこの数年間。自分の内側に積み上がった「直観力」で、静かに如来さまと向きあいたかったのです。

でも後になって、そんなことを思っている自分に問題アリなのだと気づきました。

内側が静かであれば、外界がどうであろうと関係ないですもの。

まだまだだなぁと自分に笑いながら、五重塔を後にし、講堂へ向かいました。

講堂の21体の仏さまのうち、大日如来を中心とした五体の如来は、すでに悟りを開いた姿。また、五如来の向って右側に位置する五菩薩は、人々を慈悲の心で救済する如来の姿であります。一方、左側の五明王は、逆に人々を厳しく叱る形で助けようとする如来の現れです。したがって、菩薩も明王も、役割によって姿を変えている如来の化身です。

不思議なことに、タロットにも菩薩と明王を表していると思えるカードがあります。

菩薩は14番・節制。地上に舞い降りた天使が大きく描かれています。このカードのキーワードのひとつは「救済」です。まさに菩薩の姿といえます。

明王は8番・正義。カードに描かれている剣と天秤を持ったその姿は、まさに明王の厳しさ・恐さに共通するものがあります。ただ恐ろしいのではなく、人を導くための厳しさなのです。

曼荼羅の世界を立体的に表現したという講堂の空間と、タロットマンダラの世界を重ね合わせたかった私。それを実現して、この2つの世界がつながっているであろう根っこの部分をもっと深く知りたい、そう思いました。

つづく

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冬の旅 京都 ~東寺その1~

ようやく日帰り旅日記を書くことができます。

私が昨年からお目にかかりたかった曼荼羅の住まいは、京都の東寺です。

この気持ちを叶えたく、朝の4時半に起床し、身支度を整え、いざ京都へ。前々日の積雪の名残があったものの、穏やかな晴天でした。

東寺は、日本へ真言密教をもたらした空海さまゆかりの寺院です。国を守る寺として計画されましたが、空海さまは、曼陀羅の思想を立体的に表現すべく、講堂内に21体の仏像を配置されました。

この21という数は、タロットの大アルカナに表示される最高数と同じです。大アルカナは最初のカード・愚者には数がありませんので、合計22枚で構成されていますが、最後のカード・世界がもつ数は21番です。

21番・世界のカードには、男性とも女性ともとれる人物が中心に描かれています。完成された形が表現され、神人合一の意味を持っています。神と一体になった喜びのあまり、踊っているのです。

一方、真言密教の中心仏は、大日如来です。この大日如来も神人合一の姿を表しています。崇めたてまつる、自分とはかけ離れた存在ではなく、仏は自らの心の中にあり、そもそも自分が仏そのものであるという教えです。

タロットの21番・世界と真言密教の大日如来。同じ星を見てどう例えるかの違いでしょうか。

講堂の21体の仏像の中心には、もちろん大日如来。ひときわ大きなそのお姿をまるで守るかのように、周囲には四如来、五菩薩、五明王、四天王、梵天・帝釈天が配置されています。写真集では何度も見たものの、本物をまのあたりにして、何というか・・・ただただ見入るばかりの私。

つづく・・・

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冬の旅 京都

祝日に日帰りで京都まで足をのばしました。土曜日に予定していたものの、天のご機嫌を伺っていたので結局、月曜日に。

目的はひとつ。21体の仏像で表現される立体曼荼羅の世界を求めて・・・。

感想は・・・ボチボチ書いてゆきます。

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曼荼羅をめざして

少し前から、あるお寺の存在が日に日に大きくなっています。きっかけはたしか、本屋で気がついたら手に取っていた写真集。数々の美しい仏像にため息。もさることながら、その仏像さま達が、曼荼羅を立体的に表現している講堂であることに非常に興味をもちました。

毎日「タロット」のマンダラを並べて一日を始める私。そんな自分が、そのお寺の立体曼陀羅の前に立ったとき、自分の内側で何が起こるかなぁと、わけのわからない思いつきでワクワクしています。

今日は朝のカードが「神の家」。描かれている塔を見て、そのお寺にある五重の塔が浮かんだわけです。タロットによって書き込まれた私の心のマンダラと、目指すお寺の曼荼羅がコラボレートする日が楽しみです。

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ボーダーライン

引き続き、2年前の一人旅に想いを馳せます。

鉄道の旅で、とても楽しみだったことのひとつは、国境駅を通過することでした。EU圏内は今は非常に便利になり、パスポートチェックもないわけですがなんだか少し味気ない。ところが、ドイツ・ミュンヘンからチェコ・プラハへ向かう際、チェコはEU加盟国でないので、待ちに待った(?)チェックおじさんがやってきました。パスポートの写真と実物があまり似ていなかったせいか、穴のあくほど顔を見つめられて、少々居心地が悪かったのですが、「あー、境界線を越えるんだ!」というドキドキ感でいっぱいでした。

隣の国と陸続き、島国日本人には新鮮だなぁとつくづく感じながら、国が変わると景色も急に変ったような気がして、セピア色に感じるチェコの町並みを眺めていたのを思い出します。

国の境界線はとても大きなボーダーラインですが、私たちはありとあらゆる境界線に囲まれて自分を作っています。国もしかり、地方、所属団体・企業、仲間、親族・家族等々。。。そうすることで、自分のアイデンティティーを確認できるのでしょうか。もし自分が何にも属していないとしたら・・・考えられないことかもしれません。

たまにはそのボーダーラインを越えて、その向こう側へ行ってみたくなりますね。そうすることで自分の位置を再確認できたりします。それは意識の世界でも同じではないでしょうか。タロットを介して、境界線の向こうへ自分を置く。それは国境駅を列車で超えたあのワクワク感と同じような感覚です。

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愚者の旅

カモワン版では、大アルカナの最初のカードを「数のない愚者」とよびます。
他ではFOOLとよばれている0のカードです。

私は個人的にこのカードが大好きです。何やら秘密のグッズでも入っていそうな皮袋と杖だけを持ち、無頓着そうな身なりで、本人はそれがどうしたとばかりに、どこか向ってへフラ~っと歩き出しています。行き先は右、つまり未来に向かっています。後ろから空色の犬がついてきます。彼は何を求めているのでしょうか。縛られるこの世的なものがないゆえ、とても純粋で自由です。彼は余分なものは何も所有せず、ゆえにすべてをもっているともいえます。

今年の3月、このカードにゆかりのあるフランス・モンペリエのサン・ロック寺院を訪れました。

サン・ロックは実在の人物で、14世紀頃モンペリエ市長の息子として生まれましたが、両親をペストで亡くします。その後、財産をすべて貧しい人に与え(それで周囲から「愚か者」といわれました)、自らは巡礼の旅に出ます。その後自身もペストにかかりますが、どこからか犬が現れ、その犬に舐められ命を救われます。その後、人々の病を治すヒーラーとして有名になり、最後は故郷モンペリエで息を引き取りました。葬られたその場所に造られたのがサン・ロック寺院だそうです。

このサン・ロック寺院に入った瞬間、その澄みきったエネルギーにあふれる涙が止まらなかったのを鮮明に覚えています。今まで、旅の途中に数々の寺院を訪れましたが、そんな気持ちになったのは本当に数えるほどです。病の治癒を願い、多くの人が訪れるといわれる寺院、私も涙とともに内側に滞っていた何かを洗い流された気持でした。

カードに描かれている歴史的背景を学ぶことで、リーディングに直接リンクしなくとも、自分の深いところでカードと確実につながるような気がします。それがカモワン・タロットを学んでよかったと思うところのひとつです。

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