タロット全般

タロット考察 ~学ぶ私から考える私へ~

私がこのブログを始めた理由は、タロットについて日々綴りたいと思ったのがきっかけです。

ブログ開設から8年半、自分も変化し、タロットへの関わり方もかなり変容してきました。

タロットとは何か? 伊野華絵のブログ読者さんには改めて説明の必要はないかと思いますが(^^)、念のため以下、端的にWikipediaの説明を借ります。

タロット(Tarot)、あるいはタロットカードは遊戯や占い(タロット占い)などに使用されるカードのこと。78枚1組がもっとも一般的で、その内訳は1から10までの数札、4枚の人物札をスートとした4スート56枚の小アルカナと、寓意画が描かれた22枚の大アルカナに分けられる。 日本では、小アルカナは大アルカナに比べ極端に認知度が低く、一般語のタロットは大アルカナのみを指している場合が多い。

ドラマやエンターテイメント的に登場するタロットで有名なのは、「死神」や「悪魔」のカードでしょうか。その影響か、怖い印象をもつひともおられるようです。

私は長らくこのタロットの世界観を楽しんできましたが、ここ1年ほどでかなりタロットへの意識が変わってきました。

どう変わってきたかというと、その構成や絵柄に少し違和感を感じるようになったのです。

厳密に言うと、上述のタロットの説明にある、「一般的なタロット」のもつ数の世界観が自分にはあまりマッチしてこなくなったということです。

まず、78枚1組 がしっくりこない。私にとってはしっくりこなくなりました。大アルカナ22枚 は数構成の一部としては問題ないのですが、小アルカナ56枚 がピンとこないのです。

また、言葉を超えた抽象度の高い世界を絵(寓意画)で表すという、タロットの世界観はとても共感がもてるのですが、伝統的タロットにあらわされる寓意画自体に違和感を感じるようになっています。

おそらく、私自身の変化に加え、東洋の易学や姓名判断の影響もあるのだと思います。

さらに、数についても昔より敏感になり、何か自分の、伊野華絵としての新しい世界観を創造・表現したくなっているのだなと感じています。

何をどう創り出せるかまだ未知ですけれども、こう想えるようになったことは非常にウレシイことでした。

なぜなら、その世界を学ぶ視点から、その世界そのものについて考える視点になっている、ということだからです。

温故知新という言葉がありますが、いにしえの伝統的な知恵に敬意を表しつつ、その中に今を生きる一人の人間として新しい息吹を加えていけたら最高に幸せだな、と思います。

さて、今朝の神戸は雨。関東では雪が降っているようですね。足元お気をつけて、そしてあたたかくしてお出かけください。

今日も良き日を♪

季丘便り 伊野華絵(いのはなえ)
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タロットのこと

私が自分でホームページやブログを始めたのは、2007年の6月ですが、そのきっかけは「タロット」について書こうと思ったからです。それからはや8年の歳月が流れました。・・・はや~い(^-^)。

その間に私の中でもめまぐるしく変化があり、今は、「日常から少し離れて、丘の上から景色を眺めるような視点で日々のことを綴ってみよう」という主旨で続けています。方向性は若干変わりましたが、タロットを含む占術のことは私の内的冒険の一助になるので学び続けています。

また、これは本音なのですが、タロットについて感じたことを日記を書こうとすると非常に難解なのです。私の書く表現力がまだまだ磨かれる必要があることはもちろんなのですが、タロットのように「抽象度の高い象徴言語」を実際の文字活字に乗せて発信するのは、産みの苦しみが伴います。書いても「何か違う」と発信せず葬った日記が数限りなくありました。文字に乗せると自分が受信している景色から変質してしまうのです。ですが、今感じることは、たとえ言葉にうまく表現できたと思って発信しても、受け取り手の中ではまた違う景色になるのだから、あまりこだわらずに素直に書く、書き続けることでいいのだなということです。

「コトバにできない世界をいかにコトバにのせるか」が、私のチャレンジのひとつでもあるので「執筆作業」は一生続けていきたいと思っています。私の中のマーキュリー(水星)は、一生私を鼓舞し続けるのでしょう。(※「水星」は西洋占星術では「言葉」の象徴です)

ヒーリングについてもタロットと同じことがいえます。エネルギーとして受け止めたものを言葉に表そうとするとかなり光が曲がります。。。まあ、伝えるのに言葉である必要がない、言葉はある意味いらない、という捉え方もありますね(^-^)

そうそう、面白いことに、タロットと接しているときの私、姓名判断、西洋占星術、ヒーリング、それぞれその時々で、私の中に降りてくる存在(光とでもいいましょうか)の性質が違うのです。ですから、私自身、ものすごく多面体だなと感じます。この日記ももしかしたら多面体要素が見え隠れしているかもしれません・・・(?)

とにかく今はこうして書くことが好きです。そしてその背後には、タロットのような抽象度の高い存在と日々接していることの後押しが必ずあるのだと思います。若干形を変えつつも、興味をもって取り組んだ分野をあわてず、そして長くじっくりと続けていくことが好きです。それが私、伊野華絵の特長とも言えます(^▽^)

さて、今朝の神戸は曇り空。お盆を境に随分過ごしやすくなってきましたね。トンボさんもよく飛んでいます。秋の足音が遠くから聞こえる・・・と思ったら「いや~まだまだ」と夏さんが盛り返してきそうですが(^^;)

今日も楽しい日を♪

季丘便り 伊野華絵
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【タロットカウンセリング】~対話から生まれる気づき

今月から、紹介制で対面式のタロットカウンセリングを始めています。

東京にいたころも細々とやっておりましたが、神戸への転居後、自分の軸がこちらの土地にしっかり定まるまで少し時間が必要でした。春ごろからしっかりとした安定感がでてきたように思いましたが、ようやくこのたびカウンセリングを再開する運びとなりました。

また、今住んでいる場所はとても「気」の流れのよい所で、いらっしゃるクライアントの方々もみなさん口をそろえて「気持ちがいい」といってくださるのが嬉しいです。

人は場所の影響を確実に受けるものです。改めてここ神戸の土地に感謝しています。

カウンセリングをしていると、「対話から生まれる気づき」とは本当に双方向のものなのだと痛感します。

カウンセリングの場合、立場としては相談をする側と受ける側という役割が割り振られますが、そこには上下関係はなく、対話のやり取りの中でどちらもが大きな気づきを得ます。当然、シナリオもないので(いえ、見えない背後で用意されているとも言えますが)、結果的に質問とは違うテーマに導かれ、深い内的体験に至ることもあります。そのとき必要な気づきを得るためにお互いがその時同じ場にいる。空間を共有し、エネルギーが共鳴しあいます。

この微細なエネルギーに触れると、不思議な高揚感と解放感にみたされます。物事を視点を変えて視ることと微細なエネルギーを感じることの間は深い関係があるように思います。

タロットカードはそのときのエネルギーを映し出してくれる景色ですね。その景色をみて自分の気づきを確かめられる、という効果があります。人は物理的に確認できる景色があったほうが納得しやすいのですね。

そして。涙というのは本当に「浄化」を促すものだと感じます。泣くって・・・スバラシイことです。解放感がもれなくついてくるのですもの。

いらしてくださるクライアントさんに沢山の気づきをいただいています。心から感謝しています。

ゆっくりと、自分のペースでこの道を進んでいきたいです。

そして、書くことでの自己表現ももう少し掘り下げていきたいな。自分が感じるビジョンを言葉にする産みの苦しみ・・・いえいえ、楽しみ。これにももっと力を注いでいこうと思います。

Hikari

季丘タロット
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吉凶判断を超えて

占星術を本格的に学ぶ上で、原書(洋書)を手に取る必要がでてきます。

これがおっくうでして・・・(^^;) 英語は読めますが、古い表現や専門用語が出てくると読むペースが格段に落ちます。なので信頼のおける日本語のテキストと並行して勉強していくことにしています。

とはいえ、私は辞書を引くのが昔から大好きでして、百科事典なんかも大好きで、調べる必要がないときもよく適当なページをパパッと開けては眺めたりしていました。

占星術用語専門の英語辞書もあるのですよ。これがまた一度開くとはまってしまうのです。用語をひとつ調べ始めるとそこに書いてある別の用語を調べたくなり、その用語のページに飛んで、そしてそこからまた他の用語へ飛んで、と、知りたいことが芋づる式に出てきてしまい、気がつくと最初に調べたかったことから遠く離れてしまっていたこともよくあります。そういうときはあっという間に時間が経っていたりするのですが、楽しいことをやっている証拠でしょう。疲れません。ですが勉強が予定どおりに進みません(笑)。

色々調べていますと、たまに思わず陥ってしまう誘惑が。それは、

自分の出生図の星の配置に関連があることを調べると、どうしても

「〇〇は良い」

「△×は悪い」

という解説に心奪われることです。

英語がこれまたストレートに

"Death" とか "Evil" とか "Malefic" などと書いてあると ドキッとするわけです。

え~。私の〇〇は悪いんだあ~。と。 凹むわけです。

ですが、これは占いなどかじり始めたころに誰もが通る初段階なのです。

タロットを学び始めたころもありました、ありました。

こんなのがでるとですね、

Tarot_13_death_3

きゃあああ

なわけです(笑)。

いまの私なら、「違うんだっつーの」と 受け止められるのですが。

占星術やタロットに限らず、占術に長けておられる方々はトータル性でその景色を眺めて鑑定します。ある一部分だけを切り取って吉凶判断したりしません。確かに一過性での良し悪しはあるのでしょうが、そこだけに拘っている観方をしているひとに相談した場合は、良いか悪いかの返事しかもらえないでしょう。

どのぐらいのスパン(サイクル)でとらえるか、どのぐらいの視点から見るかで景色は変わります。学びを深めれば深めるほど占いとは何か?との答えも変わってきます。だから私は自分の展開するタロットに「季丘」の名前をつけました。「季」とはサイクルです。「丘」とは視点の高さです。

占いはエンターテイメントとしても大いに楽しめます。それはそれでよいと思います。

一方で、人生における全ての体験に霊的な意味を見出し、自身の成長を高めることに占いを使える人もおられます。それは吉凶判断をはるかに超えた深遠なる世界です。

辞書を引きながらドキドキ、きゃーきゃーしている私は、星の世界ではまだまだ新米です。だからこそ星を学ぶことでもっと成長できることが楽しみでもあります。

Tarot_17_star

季丘タロット
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「視る力」を磨く

今日、自分自身のことで気づいた大切なことがありました。

それは、私は案外、

「誰かのせいにする」 

性質があるということです。

実は普段、何か事が起こったりするとどちらかといえば、「自分が原因で迷惑がかかっているのでは?」と考えてしまうので、誰かに責任転嫁する気持ちが自分の中に眠っているとは自覚していませんでした。

この気づきは特別な事件があったから気づいたわけではなく、しずくがポタポタと落ち続けて、本日めでたくその受け皿が満タンになって溢れ出た→気づいた、という感じです。

あちゃーと思うほどショックを受けました。・・・でもその気づきをきっちりキャッチして見つめればそれで終わりです。自分の内側で無意識に抱えていた何かが解放された感触がありました。

課題や問題があるとして、自分のせいなのか?と思うことと、誰かのせいだと思うことは実は表裏一体なのですね。解決するために意識の矛先が向かうのではなく、まずは「犯人捜し」に注目しているワタシがいる、ということなのです。

ゲゲゲー。なんて思いましたよ。でもこういう気づきこそ、自らが発見者のほうがよいです。他人から注意されたり指摘を受けたりしても、単にムカつくだけ。「ありがたや~。気づいてよかった」なんてなかなか思えないものです。

タロットというツールを介して会話をしていると、こういう気づきを自然と促す作用がその場に発生するので実に有益です。リーディングする側はその場に一緒にいればよいのであって、質問者の方がご自分の心の風景をご自分でしっかり視るのです。

今まで、「観る」をよく使っていましたが、今日からは「視る」と書きたくなりました。そう、心の可視化・可視力は、本人自らが視る人にならねば進みませんし、磨かれません。

人の心は実に巧妙です。「皆のために」と思ってやっていることが自分の名誉のためだったり、「奉仕をしている」つもりが相手をコントロールしたい気持ちが潜んでいたり。自分の知らぬ間に動機がすり替わり、自分の心を騙すのがまことに上手であります。いま自分を発動させている想い・言葉・行動の本当の根っこはなんなのか・・・よくよく視るにはいつもの観測地点からだと難しいのかもしれませんね。

視点の位置は日常より少し高い、そう、丘の上にのぼったぐらいの視点がよさそうです。丘の上からぐらいの視点を常に持っていることは、特別なイベントがなくとも何気ない日常をより豊かに感じることに繋がります。

視る力を磨くこと。・・・いろんな手段・手法があると思います。わたくし伊野華絵としてはもちろん、タロットをお勧めします(^^)

Tarot_21_world_3

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【開設】季丘のお部屋~タロット無料相談室~

いつも季丘タロット・ブログを訪問くださりありがとうございます。

当ホームページ内に、タロット無料相談室を開設しました。

http://homepage3.nifty.com/inohanae/

トップページからお入りください。

ご相談いただいた内容を「公開」させていただく形での無料相談室です。

季(とき)の丘(おか)にあるお部屋からは、さてさて、どんな景色が見えるでしょうか?

ご依頼をお待ちしております。

季丘タロット 小室良弥

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季丘タロットの意味

季丘(ときおか)タロット。これは、私がタロットを通じて独自に活動してゆくうえで、ある方から授けられた名前です。

自分のホームページにて、

~季丘(ときおか)とは あなたという人生の四季折々の風景~
巡る季節 とあなたとタロット。自然の巡りと日常の「象意」から気づきは得られます。

とうたっているのですが、数日前の朝、突然、この季丘タロットの名前に込められたもう一段階上の次元の意味に気づきました。これは私の意識がまた少し変化した証だと思います。

季とは何か。

丘とは何を指すのか。

そしてタロットの意味とは?

この理解は私の中で孵化したばかりで、表にだすのにもう少し時間を要するようです。受け手側の意識の変化でこうも理解が変わるのか。真に気づくということはこういうことなのだ、本や他者の言葉からのいわゆる観念や知識から得る理解とは全く異質の、「受信」を体感しました。

こういう理解の仕方が何よりも自身の駆動力になるものです。嬉しい。真の意味での気づきがあるたびに、私の内側で生きる喜びが増します。

生きる喜びは人それぞれです。成功して嬉しい、願いがかなって嬉しい、人の役に立って嬉しい・・・それよりも何よりも私は、自分の内側から「灯」のような気づきを発掘したときが嬉しいのです。これは時間や外界の出来事にまったく左右されません。その灯は光明となり、永遠に私の中で輝き続けるのですから。

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経験の捉え方

「もし私が安泰な生活を送っていたら、こういう苦しみを味わう人の気持ちがわからなかったと思う」

タロットのリーディングの最中、壮絶な人生を送った、いえ、今でも現在進行形な人が淡々と話してくれました。

楽しくて幸せな、自分にとって都合のよい出来事に囲まれた環境、いわゆる恵まれた人生を望むことは、ごく普通のことだと思いますが、その人は、自分の人生に起こったいわば辛く苦しい、自分に都合の悪い出来事を、何かに気づくために「自分が体験したかったこと」としてとらえています。そしてむしろ、安全・安定を選ばない日々を送っています。

「それは自分が体験したかったこと」 
この言葉は、その本人の口から語られてこそ本物、だと思います。

他人が安易に、『それはあなたが選んだ人生、あなたが体験したかったこと』と片づけてはならないものです。

私も過去に経験した出来事のうち、もう一度味わいたいかと言われたら、即・お断りなものがいくつもあります。ですが、「ああ、あれは自分がそれを通して理解したかったことがあったのだ」と振り返ることができたその時点から、自分の財産になっています。

経験の捉え方が変わるのは、年を重ねることもそうですが、何らかの見えない働きがあるように思います。ときには、時間は関係なく一瞬で変化することもあります。俯瞰力。そう、タロットは、その俯瞰力に気づかせてくれる偉大な存在です。

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La maieutique

私は現在、フランス語を習っています。昨秋にパリを旅したのがきっかけで習い始めました。まったくの初心者ですが、よい先生に出会い、授業の約80分間はフランス語習得だけに全神経を集中するので、授業の後はまるで瞑想をした後のような爽快さです。

担当のフランス人の先生は、私がタロットをしていることを知っているので、空いた時間を使ってフランス語で書かれたタロットの文献を一緒に読んだりしてくれます。とても親切な人。感謝しています。

加えて、彼は学生時代に哲学を学んでおり、私が以前から知りたかったプラトン哲学や、プラトンに大きな影響を与えたピタゴラスのことなども教えてくれます。これは西洋の考え方を理解するうえで、そしてタロットについて改めて学ぶうえで非常に参考になります。

今日は、la maieutique(フランス語の綴りでは、最初の i は上に2つの点をつけます)という言葉を教えてもらいました。

プラトンの師匠であるソクラテスのお母さんは助産師だったそうです。彼は母親の仕事場も常に見ていたわけで、その出産現場からかなり影響を受けたとか。

タロットのリーディングで 最も大事にしていることは、クライアント自らが自分で答えを見いだすことです。そのためには答えを導きだすために、リーダーが的確な「質問」をせねばなりません。そこにはいわゆる「当てもの」ではない本当のリーディングの姿があります。

クライアント自身が自分の本当の気持ちに気づく。自分の内的な心からのメッセージに自ら気づけば、人からこうしなさいと命令された場合と違って確実な行動につながります。

この考え方は、なんとプラトン哲学の中にもあるそうなのです。それが

la maieutique = 真理を出産させる方法

つまり、クライアントが自分の真理に気づく(=出産する)ために、リーダーは助産師のような役割を果たす必要がある、ということです。

・・・今日はこんなことを教わりました。

タロットとフランス語。好きなことは意外な接点があるものですね。感謝。

おまけに、そのフランス語学校は、私が長年一緒に仕事をした亡き人が住んでいた南青山の同じブロック内にあるのです。。。なにやらただならぬ縁を感じます。

人生、なにかと面白いものですね。

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思考で読んでくれるなよ

タロットは象徴言語です。リーディングの際、カードを開いた瞬間が命、なのですが、ちょっと気が緩んで、カードをみながら分析が始まってしまうと、読みがロジックな感じ(という表現が適切かわかりませんが)になってしまいます。

人は、膨大な量の情報を瞬時に処理しています。視覚から得る情報は特に、なのでしょう。その鮮度がよいうちに、つまりキャッチした瞬間、それがコトバに置き換えられる前に「象徴」として何かを捉える技量がタロットを読むときには必要です。

・・・こうやって書くだけは簡単なんですけどね。普段から、見たものをそのまま受け取ることや、ジャッジするモードに入らない癖が大事なのだと思います。

そういえば春先に、駅に停まった電車の窓から視界に飛び込んできた満開の桜を見て、

「きれいだな」

と思うその前に、涙が出たことがありました。

私はあれが、象徴言語を読む感覚なのだ、と思っています。

思考で読んでくれるなよ~ タロットがそう言っています(笑)

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