映画・テレビ

ペイ・フォワード

『ペイ・フォワード』。何年か前に映画館で観た作品です。(以下のウィキペディアはストーリーの核心が触れていますので、読まれる方はご承知おきを)

<http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9A%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%83%89_%E5%8F%AF%E8%83%BD%E3%81%AE%E7%8E%8B%E5%9B%BD>

最近、なぜかよくこの映画のことを思い出しています。

日ごろ、どんな自分でありたいか・・・と思うとき、この映画のメッセージがとても心にしみるのです。

特別なパフォーマンスは不要です。それよりも、ほんの少し行動を工夫する。毎日の身近で、さりげなく、ごく自然に、ペイ・フォワード的なことを発信できたらスバラシイな。

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天使と悪魔

映画「天使と悪魔」を観ました。劇場公開もそろそろ終わりのようですね。観る人もまばらでした。

5月の公開直後は全く観に行く気ナシでした。もちろん象徴学には興味をもっていたとしてもこの映画はどうかしら?といった印象だったのです。仲の良い友人から「どう?観たいと思う?」と聞かれても、

「ん~。奥が深い内容に思えないな~」と観たい気分ゼロ。その後、別の友人もブログで観たことを知りましたが、それでも別にいいやと思った私。

その次は、オフィスで隣に座っていた女性が「天使と悪魔」を観たがっていることを知り、「へ~。彼女、こういうの観なさそうに見えるのになぁ」と驚いた私。でもそれでも自分はやっぱり行く気ナシ。

そして、つい先日、また別の友人がブログでその映画について書いているのを読んだとき、

「ありゃ、こりゃ観に行かなきゃ」とついに観念(?)した私。

というのは、彼女のブログによると、映画のいたるところで天使などが指さす方向(矢印)が物語の展開の重要な鍵になっているらしいのです。彼女はその『矢印』の面白さに興奮した、と書いていました。

実は私にとって『矢印』というのはここ最近注目している象徴(シンボル)のひとつなのでした。・・・というのも、先日夢に出てきていたのです。大きな矢印が鮮明に。なんだろう、なんだろう、とずっと考えていましたが解明できず。

というわけで、『矢印』に惹かれて「天使と悪魔」を観たのでした。

では、映画にその答えがあったのか?・・・というと、正直まだわかりません。まだ気づいていない、といっておきましょうか。もう少し時間がかかりそうです。

こんな風に出来事と出来事をちょっとした「糸」で繋いで行動してみると、意外な発見があるかもしれませんヨ。

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プロフェッショナル

昨晩、久しぶりにNHKの番組『プロフェッショナル』を観ました。ボリショイバレエで活躍する日本人バレエダンサー。38歳。

小柄な体型ということもあり、ただでさえ背の高いロシア人達に囲まれている環境でなかなか役がもらえない時期が続き、その困難を突破するきっかけとなったのが、サルの格好(いわゆる着ぐるみ)で踊る役を演じきったときだとか。

バレエといえば、王子役が花形ですが、なにも王子役だけがバレエではない。「道化役」で世界一になればいい・・・同じくバレエダンサーだったお父さんからのメッセージだそうです。

自分はこの世界でこの役を演じきる・・・当てはまるのはバレエだけでなく、ひとの人生そのものにもだなぁとつくづく思いました。

自分の人生、一度きりの人生、自分らしく精一杯演じきりたいですよね。幕が降りるそのときまで。

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刑事コロンボ

YouTubeでなつかしいドラマを発見。

子供のころ、毎回楽しみに見ていた「刑事コロンボ」です。ここ2、3日はハイジよりコロンボに夢中でした♪

コロンボはLA警察殺人課の刑事。ヨレヨレのコートに葉巻タバコ(火をつけずにくわえていることが多い)がトレードマーク。「いやぁ、忘れっぽくって」と頭を搔きながらメモをとり、二言目には「うちのかみさんがね、」と奥さんを話題にするのが癖。

一見、冴えないような印象を与えておいて、内側では着実に犯人を追いつめてゆきます。道化を演じ、犯人を油断させ、証拠をつかんでゆくコロンボ。彼を見ていると、タロットカードの「愚者」と「隠者」を連想できます。ドラマの前半が愚者、後半にしたがって隠者に変容していくイメージです。

昔から、「賢けりゃボケてなさい」とか「能ある鷹は爪隠す」といいますね。刑事コロンボを見るといつもその言葉を思い出します。愚者も隠者も表面的な視点からは量れない、秘めたパワーを持っていますから。

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どこまで自由になれるかな

またまた「アルプスの少女ハイジ」に見入ってしまいました。

昨日の放送は、ハイジがフランクフルトでの生活を始め、窮屈な毎日を送っているシーン。

クララの家庭教師から文字を教わるのですが、なかなか読み書きが上達しません。
それでも何とかがんばって、本に書かれた文字をじっと見つめるハイジ。

すると、ある文字がハイジには「ヤギ」に見えてきます。垂れてしまったインクのシミは、角の大きなトナカイに変身します。彼女の心はアルプスの山へ飛んでいました。

気がつくと、ハイジは勉強していたテーブルの上に立ち、遠くを見ながら大きく手を振っています。それを見た家庭教師やロッテンマイヤーさんは驚きのあまり開いた口がふさがりません。

前回のブログで、文字を図像化して見る話をしましたが、ハイジはもっと超越していました。
彼女はどこまでも自由なのです。

あれほど自由な発想になれるのは、「コレはこう読む」「コレはこういう意味」という学校教育の下地がないからだなぁと思いました。もちろん、アニメの世界だから現実でそんなこと・・・ですけれど。

文字が読めるからこそ、本から学ぶことも、人と文字を介して交流することもできるわけですが、識字力をつけることで、ある枠に閉じ込められるとも言えるのではと、ハイジを見て感じました。

文字を文字として見るのではなく、そこから少し自由になって形そのものに注目すると、タロットのように面白く観察できるかもしれませんね。

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山はなぜバラ色なの?

ここのところ、夜再放送している「アルプスの少女ハイジ」に夢中です。

ハイジが夕焼け色に染まった山を見て言いました。(以下、私の記憶上のセリフ)

「ねえ、おじいさん、どうして山はあんなにきれいなバラ色なの?そしてどうしてすぐそれが消えてしまうの?」

おじいさんは答えます。

「それは、太陽が山に自分のことを明日まで覚えておいてもらえるように、最後に一番きれいな色を見せて、沈んでいくからだよ」

日没前の太陽の光で山が赤く染まった理由を、おじいさんはハイジにとって最も分かり易く、最も心に残るように説明しています。「それはね、光線がどうの・・・」と理科の授業の講義が始まったりしません。

理由が真実かといえば、科学的にはノーです。でも、ハイジは明日もバラ色の山を見られるのだと分かると幸せでいっぱいになりました。ハイジにとって最高の答えですね。

タロットリーディングに大切な「祝言」も、時としておじいさんのような回答が必要だなと思います。明日に向かって希望がわくような・・・。

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