文化・芸術

大阪市立東洋陶磁美術館

昨日、大阪にある私立東洋陶磁美術館に行ってまいりました。

ここのところずっと陶器を眺めるのが好きで、機会があればギャラリーやデパートなどで観たりしていましたが、少し前に偶然この美術館の存在を知り、興味を抱きました。

現在は特別展として「伊万里」を開催しています。(でも本日11/30までのようです!)

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ヨーロッパの宮殿には、東洋の陶磁器が数多く所有されている(いた)のですね。あまりよく知らなかったことです。

私は特に牡丹や朱をあしらった陶器に魅かれ、あまりに素晴らしい作品の前だと何分も何分も立ちつくしてしまいます。昨日もそんな作品がいくつもありました。こういうときは、目で観るというより、全身で観てるんですね。作品とひとつに溶けるような、そんな快感をおぼえます。

わたしもうつくしい器(うつわ)でありたいものです。

先日の稲荷山散策で若干筋肉痛の私の足をなんとかなだめながら(笑)、2時間ほどかけて平常展含め楽しみました。この美術館はとても気に入ったのでまた訪れたいと思います。

特別展「伊万里」は今日までなので 興味がわいた方はお急ぎを!

大阪市立東洋陶磁美術館
http://www.moco.or.jp/

そして帰り道に、こんなお土産もついてきました。

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ピクリともしないんですよ。撮られなれているのかしら?多くのカメラの被写体になっていました。暖かく、ネコちゃんに心地よい陽気でしたね。

季丘タロット
http://homepage3.nifty.com/inohanae/

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Mon Seul Désir ~我が唯一の望み

「貴婦人と一角獣展」を観てきました。

パリにあるクリュニー中世美術館の至宝が海を越え、はるばる日本まで来てくれるとはありがたい時代です。2年前に現地で観ましたが、まさか東京で再び会えるとは。

「貴婦人と一角獣」(La Dame à la licorne)は、16世紀頃に製作されたといわれる、6面連作のタピスリー(室内装飾用の織物)です。6枚のうち、5枚は、人間のもつ5つの感覚を表したものだと考えられています。

触覚:Le toucher
味覚:Le goût
嗅覚:L'odorat
聴覚:L'ouïe
視覚:La vue

どのタピスリーにも、中心に貴婦人がおり、その両側に一角獣とライオン、そして何種類かの動物が描かれています。それぞれのタピスリーに上記がタイトルとして刻印されているわけではなく、彼らの様子から観る側の解釈でおそらくそうだろう、ということです。そして6枚目のタピスリーが今もって謎が多く、何をテーマとして描かれたのか人々の想像力を掻き立てています。

6枚目の絵の中央には他の作品と同じように貴婦人がいますが、その後ろに青い幕屋があり、その上部に金色で

Mon Seul Désir(我が唯一の望み)、と書かれています。

このタピスリーだけはテーマらしき文字が書かれているのに、一体何を語っているのかは、6枚中最も謎とされています。

彼女は宝石を身に着けようとしているのか、あるいはその逆で外そうとしているのか、また、後ろの幕屋に入ろうとしているのかそれとも・・・

この作品を前にどれだけ多くの人がイマジネーションを掻き立てられたことでしょう。

主力な一説としては、この6番目の面は、それまで5枚の中に描かれていた人間の五感を超えたところにある、目に見えない精神性を描いたもの、とされているようです。

Mon Seul Désir  我が唯一の望み。 もしこの幕屋に入って唯一の望みがかなうなら何を思うだろう・・・? みなさんは何を思いますか? 「唯一の」望みですよ。・・・ドキドキしませんか?

今回この一連のタピスリーを約1時間半かけて観ました。もう少し丹念に見たかったのですが、クリュニー美術館とは違って椅子(ソファー)の設置がなく・・・(笑) そんな長居はやめてほしい、ということですね。

6枚目の謎にも大いに引き込まれますが、私が今回目に留まったのは、「味覚」を描いていると思われる作品でした。観ているうちに、

「この構図、どこかで見たことがある」と気がつきました。どこだろう?なんだろう?

あっと思い出したのがタロットカードでした。タロットカードは主にマルセイユ版とウエイト版が主流ですが、そのうちウエイト版にある「ペンタクル」の9番のカードがこの絵の構図にそっくりです。ここに少し並べてみます。

下記が「味覚」を表しているというタピスリー。

The_lady_and_the_unicorn_taste

そして下記がタロットカードのペンタクル9。物質的な豊かさや達成を表すカードです。

Tarot_pents09

タピスリーの貴婦人と、タロットカードの女性の構図がそっくりです。

シルエット、両手の位置、手袋をした手に鳥がとまっているところまでそっくり。おまけに背後の両側に木があります。

むむむ。これは偶然かしら?・・・こういう発見こそ、自分ならではの絵の楽しみ方になって面白いです。

また、館内の解説によると、このタピスリーが製作された頃は、色の配色に規則があり、原色の「赤」と「青」を組み合わせは禁止されていたのですが、なぜかこの作品はそれがふんだんに使われている、とありました。なぜか?・・・そして、赤と青の組み合わせで私がすぐ思いつくのは、「聖母マリア」です。赤と青は、聖母マリアの典型的な衣装の色です。それを敢えて使っている。・・・そこもまた興味深いです。

最後に、タピスリーという製作物自体にも今回深い感慨をおぼえました。

織物の歴史は相当古くからあり、古代エジプトの時代でも存在していたようです。織物とは、

「縦糸と横糸のコラボレーション」なんですよね。
あるいは、「十字の集合体」とも言えますね。

貴婦人と一角獣の作品を観ながら、私の意識は色んな角度から刺激された気がします。

今回の作品展の詳細は以下で確認いただけます。ぜひ足を運んでみてください。
http://www.lady-unicorn.jp/index.html

あなたご自身の Mon Seul Désir を想いながら・・・ぜひ。

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古代エジプト展

世界最長37mの「死者の書」パピルス 日本初公開!!

これに惹かれて行ってきました。古代エジプト展。場所は六本木ヒルズ・森タワー52階の森アーツセンターギャラリー。

何もそんな高層ビルの高いところで催さなくとも、、でも見たいから、と苦手な高層エレベータに乗り、到着。平日夜でしたので、思いのほか混雑していませんでした。

普段は積極的に音声ガイドを借りるのですが、今回は借りずに、そして展示物前の説明書きも見ず(というか、展示物を眺める前に読まない)、古代エジプト展を楽しみました。歴史を追うというより、ただただ自分の感性だけで観たかったからです。

死者の書はいわば、冥界への旅に携える、死者にとっての呪文のようなものです。その呪文が記されていれば、死後も道中、様々なものから守られると思っていたのでしょう。

当時にとっては、死についての儀式・供え物ですから、弔うべき厳かなものとして創られ、記されたのでしょうが、絵や文字がどこか愛嬌があり、象徴や寓意画が好きな私にとってはたまらない展示物ばかりです。思いのほかボリュームがありました。じっくりゆっくり見てゆくと、その中にびっくりさせられるものが。

実は先月、自宅でうとうとしていたときに、一瞬リアルに現れた映像がありました。夢を見ていたのでしょう。それは、妖しく黒光りする昆虫の背中でした。甲羅が妙にリアルで、はっとして目が覚めました。そのときは、「カブトムシかなぁ」と思っていたのですが、今日のエジプト展に行って驚愕。私がまどろみの中で瞬間的に見たものがそこにありました。

スカラベ。別名、フンコロガシ、です。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%82%AB%E3%83%A9%E3%83%99

古代エジプトでは、スカラベは太陽神と同一視されていたそうです。

・・・あの夢での一瞬の映像は今日のこの展示会と繋がっているのかなぁ。・・・そんなことを思いながら見ていました。私にとって夢から現実に戻る直前に観る映像や音は、重要な暗示のものが多いのです。

37mのパピルスは見応えがあります。古代エジプトの死生観に興味がある方は是非。

『大英博物館 古代エジプト展』
http://egypt2012.jp/

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クリエイティブ・ペインティング

クリエイティブ・ペインティング。

その講座名に惹かれて、参加してきました。なつかしい母校での公開講座です。

「ぬらし絵」を初体験。あらかじめ、画用紙を濡らしてその上から水彩画を描いてゆきます。題材は、植物。葉と花です。

「写実的に描くのは、物質主義的だと思うのです」 ドイツ人の先生は通訳を通してこんな言葉から授業を始めました。そう、今日は写生大会ではなく、自分の内側から植物を表現する画家になるんだ。

まず、背景の色から紙におとしてゆきます。これが案外難しい。2色しか使いませんが、参加者全員の数だけそれぞれの背景が生まれます。そしてその上から背景の色からまるで浮き出るかのように葉や花を描いてゆきます。それも実際の植物を観ながらではなく、あくまでも自分の想像力で。これがまたまた難しい。想像力豊かに描いてよいのですが、あくまでも「花」を、「葉」を描かなくてはなりません。よって、それらの本質をとらえていないとアイディアもでてこないのです。

花が好きだ、といっているくせに自分がこんなにも花を知らない=観ていないことに愕然としました。筆がなかなか進みません。

使った色はほんの3、4色。それらを重ねてゆくことで色は何通りにもなります。紙がぬれているので重ねた色は違う色に変化し、そして周囲の色とも調和してゆきます。・・・バランスさえとれていれば、の話ですが。

調和とバランス・・・。これは自分自身の内的なテーマでもあります。

サイトに偉そうに、「季丘タロット」にこんなことを載せていますが
<http://homepage3.nifty.com/inohanae/Life_Painting_File5.html>

自分の出来上がった作品を見て、こりゃまだまだだな・・・と痛感した日曜日でした。そして実に面白い体験でした。たった2枚の絵を描いただけですが、驚くほどの「私の気づき」がありました。何につけても上手、下手ということよりも、こういうことが大切だと思っています。

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この世とあの世との間で・・・~ミュージカル~

日曜日に友人に誘われ観たのが 『広い宇宙の中で』というミュージカル。

http://suisei.m78.com/library/09-1hiroi/t.html

娘を産むと同時に息を引き取った女性が主人公。彼女は家族のことが心配で、「自分の意志」で霊となって12年間その家にとどまることに。もちろん家族たちは彼女の存在に気づくことなく、時は流れます。やがて、夫の再婚話が持ち上がることで幽霊の彼女も心おだやかではありません。子供たちも、母親に早く先立たれた影響もあり、だれもが個々に悩みを抱えています。目の離せないテンポのあるストーリー展開で素晴らしい作品でした。

主人公の女性をあの世へ旅立たせなかったもの・・・それは『家族を思う気持ち』。前回のブログで触れた平知盛は『恨み』の感情が霊となっていました。コレ、実はどちらも「感情」という意味では同じことです。では、どんな「感情」でもこの世にとどまってしまう要因となりうるのでしょうか。

最終的には、主人公の女性は迎えの天使とともに無事天国へ旅立ちます。ラストシーンをみながら、「ああそういうことか」と、"あること"に気づきました。

その女性は、幽霊になってとどまると決めた時は『家族を思う気持ち』の中心は「自分を忘れないで」だったのです。私がいないと心配=皆はわたしのもの というような。

ですが、ラストでは彼女はその気持ちを手放します。手放すというより、その気持ちを超えるもの・・・もっと崇高な想いが彼女の内にあらわれていたのです。それは、「私の願いは、みながいつも笑顔でいてくれること」というセリフが物語っていました。自分(母親)を思って泣いたり悲しんだりしていないで、それぞれがそれぞれの人生を笑顔で歩いていってもらいたい・・・それこそが私の喜びでもある、と。彼女は「感情」をもっと高いレベルのものへ昇化させたといえます。だから旅立てたともいえましょう。

死後の世界はわかりません。私もまだ行ったことないですし・・・。ただ、週末の2つの劇を通して、命の終わりに自分がどんな気持ちを抱いてこの世からあの世へ旅立ってゆくのがよいのか、ということを考えてみたのでした。

今回のように、形は違えど同時期に似たような体験をする場合、そこに大切なメッセージがこめられているものです。そのことを自分の内側で咀嚼し、読み取ることが重要です。そう、タロットでも連携カードといって、同じシンボルをもつ2枚のカードには注目するのです。タロット生活のおかげでその読み取り作業がずいぶん上手になったんですヨ。

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この世とあの世との間で・・・~能~

満月の夜、神社の神楽殿で『薪能』を観ました。天候にも恵まれ、舞台の脇で燃え盛る薪から火の粉が躍り出し、最高の環境設定。

『薪能』のお題目は「船弁慶」。

ストーリー:源義経が兄・頼朝に追われ、弁慶とともに舟で逃げることに。前半は愛する静御前との別れの場面。静御前の悲しくも美しい別れの舞がみどころです。後半では、大海原へくりだした義経たちの前に、かつて義経が滅ぼした平家の大将・平知盛が亡霊となってあらわれます。義経は、果敢に立ち向かいますが、最終的には弁慶の法力(念仏)で知盛を退散させます。(武蔵坊・弁慶ですから、彼はお坊さんなのです) 前半の静御前と後半の平知盛はおなじ一人の役者によって演じられるという、オドロキの舞台。被る面“を変え、義経を愛する役と恨む役を演じわけます。

能は、観る側にも相当の想像力が求められます。お面は表情が変わるわけではありません。場面が海の上の設定でも、バックの壁には松の木、役者のうしろには楽器を演奏する男性陣が座っており、舟も驚くほど簡素(棒で組み立てた・・・ぐらいのまるで子供のおもちゃのような・・・ちょっと失礼かしら)なものでした。ですが、不思議なことに、自分もその世界の中に入ろうと意識することで、見える景色も変わってくるものです。

能は、この世の存在ではない、つまり幽霊が登場する設定が多いようです。船弁慶は、前半こそ静御前でしたが、後半の平家の大将は「亡霊」です。大きな長刀を持ち、ものすごい形相(のお面)で義経めがけてとびかかります。義経が憎くて憎くて仕方がないのです。

平知盛を演じたシテ役の人が被っていたお面はそれはもう恐ろしく、まるで鬼のよう。

「人は死んで、肉体がなくなった後、もし恨みだけ残そうとすると、たとえばこんな姿になるのかしら」その姿をみながらふと思いました。

普段、なかなかお目にかかることのできない能の世界を楽しみながら、一方で、人間の『感情』というものは、たとえ肉体が滅んでも、共に消滅しないほどの強い力をもっているのだということについて、うーんと考えさせられた時間でした。

死ぬときに、なんらかの強い感情を執着として地上の誰か(または何か)に残そうと思えばできるのかも・・・と考えると、なんだかゾッとしてしまったわけです。

そして、この思いは翌日のミュージカルでさらに強まることに。

・・・つづく

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この世とあの世との間で・・・

非常に面白い週末を過ごしました。感じることが多すぎてまだ消化中なため、なかなか文章に書き起こすことが難しい状態です。が、興奮冷めやらぬうちに(?)したためることも大切かと思い、何回かにわけながらブログに記します。

この週末、2つの観劇をしました。土曜日は『薪能(たきぎのう)』、日曜日は『ミュージカル』。

不思議なことに、全くタイプの違う「古代日本の野外劇」と「現代ミュージカル」には大きな共通点がありました。どちらも主役が『この世を去った(死んでしまった)のにもかかわらず、まだあの世へ旅立たず(旅立てず)、とどまっている人物』だったのです。いわゆる「幽霊」という存在です。

2つをあらかじめ予定していたわけではなく、日曜のミュージカルは急なお誘いだったので、結果「不思議だなぁ」と思ったわけです。しかも週末(5月9日・土曜)は、1年のうち最も強力なエネルギーが天界から降り注ぐといわれている5月の満月。日々、ベールの向こう側と接触をはかっているタロットリーダーとしては、なにやらただならぬものを感じました。

まず、土曜日の「能」から書いてゆきたいと思います。続きはまた明日・・・

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