« 2015年9月 | トップページ | 2015年11月 »

2015年10月

名前とは「キャスティング」

私・伊野華絵をよく知る人はご存じのとおり、私は占術の世界が好きでずっと勉強を続けています。

東洋・西洋どちらにも興味があり、おもにタロット、西洋占星術、四柱推命・人相そして姓名判断の分野に携わっています。今はとりわけ「姓名判断」に時間を注ぐことが多いです。また、ときおりタロットを使ったカウンセリングもしています。

複数の占術に関わっていると、それらが相互に影響し、深く面白い発見をすることがあります。以下はその一例です。

タロットは、基本的に78枚のカードをシャッフルしてクライアントの方にカードをめくってもらい、出たカードの象意からその人の問題を解決に導くリーディングをしてゆきます。

クライアントの方がカードをめくる前は、すべてのカードが裏返っている(表が見えない)のですが、その状態を私はよく

『カオスとはこれだなぁ』と思います。

そこにはすべての可能性があり、ゆえに、何も決まっていない。量子力学的に言えば、「観察者が不在状態」です。

そして、クライアントの方がご自身の手でこれだと思ったカードを「選択」します。それを表にした瞬間、私たちはカードを初めて「観ます」。・・・観察者の登場です。そこで、すべての可能性の中からある「選択」がなされ、現象が固定します。ということは、自動的に可能性は「限定」されます。

選択とは、言い方を変えるとそれ以外の可能性はすべて「裏側へまわる」ということです。

タロットって、面白いことを気づかせてくれるなぁ・・・と感じながら、ふと、姓名判断の世界に想いを馳せました。

私たち人間はどこからやってきてどこへ還るのかは諸説ありますが、まだまだ謎です。ただ、無限の可能性の存在でその存在が何かを体験したいために、一人の人間という個体に入り込み、約80年の地上世界を生きるストーリーだとしたら・・・。

その人間に貼られたラベル、すなわち「名前」というものは、タロットカードをめくった際の「選択」という現象の固定化の行為にそっくりだと思うのです。

かの有名な劇作家・シェークスピアは、「人生は舞台だ」という名言を残していますが、名前をつけるということは、この地上世界でのキャスティング(配役)に似たようなものなのだと考えます。

もともとは無限の可能性がある私たちですが、ある役柄(名前)を選んで舞台に立つのです。そこには英雄もいれば、悪役もいます。だから舞台が盛り上がる、ともいえますね。

姓名判断の世界をのぞきながら・・・この世はそういうものかしら・・・と感じる昨今です。

と、こんな考え方もありますヨ(^-^)

さて、すっかり秋めいてきましたね。朝晩は寒いと感じる程です。真夏と同じく、エアコンなしでどこまで頑張れるかな~。ほそっこい私は寒さのほうが少々苦手なので、たぶん、もう少しで電気ストーブの登場となりそうです(^^;)

明日から11月ですね。みなさま素敵な秋の週末をお過ごしくださいネ♪

季丘便り 伊野華絵(いのはなえ)
http://homepage3.nifty.com/inohanae/

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

仕掛け人の正体

とっさの出来事に対する反応・対応は、「その人が出る」なんてよく言われますね。

全ての現象は、自分の脳で情報として受信しそこで再構築され、それが目の前に投影されたものを私たちは「各々で」観ているといわれています。

例えると、「映画鑑賞」です。

その映画を観て、どう反応するか(泣くか笑うかつまらなく思うか・・・等々)は、過去の体験を通して得た思考・感情が大きく影響しています。そしてそれは、ほぼオートマティックに発動しているのですね。そこには個々の反応が出ますから、たとえ同じ映画を観ても感想が異なってきます(^-^)

以前、本当にビックリするような事件(私にとって)が起きた際、なぜだかわからないのですが、私の内側でこんな声がしたんです。

『私、何を仕掛けてこんなストーリーにしてるのかしらん?』 って(^フ^)

そのとき、何やらですね・・・自分の脳内で「カチッ」と音がして、

「この出来事って自分で自分に仕掛けている・・・?」と無意識に感じたのでした。

そしてこれまた不思議なことに、そう感じた私はその起きたことに対して、自分でも驚くほど自然で冷静に対応できたのです。やがて事は徐々におだやかにおさまってゆき、解決にいたりました。

とっさの出来事に対する反応は、自分が培ったある意味「個性」が発動させるものですから自動反応が多いのですが、ちょっとそこで「仕掛け人」についての視点を持つと、もしかしたら今までとは違った反応が自分から出てくるかもしれません。

・・・という、自分の体験談でした(^-^)

さて、今朝の神戸は穏やかな快晴です。昨日は夕方から急に雨が降りました。久しぶりの雨だったように思います(^-^)

今日も良き日を♪

季丘便り 伊野華絵(いのはなえ)
http://homepage3.nifty.com/inohanae/

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

陽だまりの午後

今日は急に予定が変更になり、自宅でゆっくり過ごしています。神戸はとても良いお天気。暖かすぎると感じるほど日差しいっぱいの土曜日です。

いつもの洗濯とは別に、おしゃれ着類を手洗いクリーニングしました。それら洗濯物が窓の外でゆらゆらと踊っています(^-^)

この揺れる洗濯物・・・眺めていて飽きない光景のひとつです。今日はおひさまの光が特別なような気もしてきました・・・揺れる洗濯物が実に神秘的に見えます(^-^) じっと観ていると瞑想しているような心地よさを感じます。

ふふふ。私ってちょっと不思議ちゃん? でも本当に気持ちいいんですよ、揺れる洗濯物を眺めるって。日常のちょっとしたお楽しみです。

それではみなさま、どうぞ銘々の楽しみ方で週末をお過ごしくださいネ♪

季丘便り 伊野華絵(いのはなえ)
http://homepage3.nifty.com/inohanae/

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

すべてを、チャンスに。

世の中には実に色んな人がいるものです。もちろん、私も含めて(^-^)

そして、心地よい関係を保てる人もいれば、ビックリするようなことを目の前で披露してくれる人もいます。対人関係で味わう感情的体験は様々ですね。

よく、「人は変えられないけれど」と言いますが、半分そうで、半分そうでもないなぁと感じることがあります。

例えば、自分にとってとても不快なことをする(あるいは見せる)人がいるとします。嫌だなぁと思います。この感情をほおっておかないで、見て見ぬふりをしたり加工したりしないで、とことん味わいつくしながら「観て」いると、あるときふっと、

『あれ?・・・私も同じようなことをあのときやっていたかもしれないなあ』と、過去の自分がフラッシュバックすることがあります。他人の行為で毛嫌いすることって案外自分もどこかでやっているものです(苦笑)。

また、あるときは、その感情がどこから湧いてくるものなのか、自分がどんな考えを握りしめているからその感情がもれなくついてくるのかに気づくことがあります。過去にあった出来事を感情的に許していなかった(手放していなかった)と気づきます。

たとえばですけれど、上述のような視点でその「不快な人・対象」を感じ取っていると、その人は何かを教えてくれる『役割』で登場した、自分の人生舞台の重要人物という風景にみえてきます。

本当に面白いことなのですが、何かに気づくと、その不快な人あるいは不快な現象は驚くほどの早さで去ってゆきます。その人がいなくなるとか、自分がその人のことをまったく気にならなくなるとか、です。まるで相手が変わってしまったかのように見えます。

これは何も特別なことではなく、みなさん随所でこのような体験をされていると思います(^-^)

私が昔お世話になった先生がおっしゃっていたのですが、自分が講師となる講演会の当日朝、目が覚めたら高熱で体調不良だったそうです。そのとき、

「ラッキー♪」 と 思ったとか(笑)

「この最悪の状態で自分はどんなパフォーマンスができるんだろう」 とワクワクしたそうです。・・・そういうとらえかたもあるんだ!と感動したのをおぼえています。「現象」と「感情」のドッキングは人それぞれだと言えます。

毎日心地よいこと、楽しいことが沢山あってほしいですが、そうでないことも視点を変えて面白がってみましょう。

すべてを、チャンスに。

最近、会社の仲良しさんとの合言葉がコレです(^-^)

さて、今日はもう金曜日ですね♪ 神戸もよいお天気です。みなさま素敵な一日をお過ごしください。

季丘便り 伊野華絵(いのはなえ)
http://homepage3.nifty.com/inohanae/

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

朱に交われば赤くなる

「朱に交われば赤くなる」とは、人は関わる相手や環境によって良くも悪くもなるというたとえ。(故事ことわざ辞典より引用)

故事成語は、長い歴史の中で人間を本当によく見据え語り継がれている言葉なのですね。それを強く感じるひとつが上述のたとえです。最近、自分の周辺の様子を観察していても痛感させられる場面が多いです。

易学の先生は、「人をよく見て(本当の意味でよく『観て』)お付き合いしなさいよ」と口を酸っぱくしておっしゃっていました。

「みんな仲良く、という民主主義は 易学にはない」

人間は個々であっても境界線があるようで、ない。繋がっているのですね。いつも自分の在り方をしっかり見つめながら周囲の環境とのよい関わりを意識してゆきたいと思います(^-^)

さて、快晴続きのこの頃ですね。神戸も朝からよいお天気です。みなさま、楽しい一日を♪

季丘便り 伊野華絵(いのはなえ)
http://homepage3.nifty.com/inohanae/

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

聞くこと

あなたは、精神が問題を作り出していく様に気づかなければならない。あなたは完全な傾聴の状態を達することを望んでおられる。言い換えれば、あなたはお聞きになっているのではなく、ある状態を達成することを望んでいるのであって、その、あるいはほかに何らかの状態を得るためには、時間と関心とを必要とする。時間と関心への必要は、さまざまな問題を生み出す。あなたは、あなたが聞いていないということを、単純に気づいておられない。あなたがそれに気づくとき、あなたが聞いていないというまさにその事実が、それ自体の行為をもたらす。その事実の真理が働くのである、あなたがその事実に働きかけるのではなく。しかしあなたはそれに働きかけること、それを変えること、その反対物を培うこと、所望の状態をもたらすこと、等々を欲しておられる。その事実に働きかけようとするあなたの努力は、問題のもとになるのだが、これに反してその事実の真理は、それ自身の解放行為をもたらす。あなたの精神が努力、比較、正当化、あるいは非難で、いずれにせよいっぱいであるかぎり、あなたは真理に気づくことはないし、また虚偽を虚偽として見ることはない。

「生と覚醒のコメンタリー2 クリシュナムルティの手帳より」(J.クリシュナムルティ著/大野純一訳  春秋社)P319より引用

この週末、本当の意味で「聞くこと」とはどういうことなのだろう?ということについて考えさせられる、あるいは少し気づきのようなものを感じさせてくれる機会が何度かありました。

そんな矢先、今朝久しぶりにふと開いた本のあるページが上述の部分です。

さて、神戸は今朝も爽やかな秋晴れです。また新しい一週間ですね。(^-^)でいきましょう~♪

季丘便り 伊野華絵(いのはなえ)
http://homepage3.nifty.com/inohanae/

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

夢から始まる「出会い」

みなさんは夢を観ますか?

私は波はありますが、実によく夢を観ます。

映画「インセプション」のように、夢には階層があり、その階層は意識の深さによって成り立っているのだと感じています。

夢の中で様々な登場人物と遭遇しますが、それは実際に知っている人のことも多いです。

ときおり、「昨日、夢に華ちゃんが出てきたよ」なんていわれると、「え~。ワタシ、何していたんですか?」と聞きたくなります(^-^)

みなさんは、夢に出てきた人と現実で出会ったこと・・・ありますか?

出会いは「夢」が先で、「現実」が後です。

私はひとりいます。今までの人生の中ではたった「ひとり」。

その人と出会った瞬間は思い出せなかったのですが、しばらくしてある出来事があった時にその夢が脳裏にフラッシュバックして

「あ~!あの人!」と 思い出したのです。

夢を観ていても覚えていない場合が沢山ありますから、もしかしてこういうことは頻繁に起こっているのかもしれませんが、顕在意識でもしっかり把握している「夢から始まった『出会い』」は、私の場合そのひとただひとりです。

不思議なものですね。その人は現実の世界でどういう関係に発展してゆくかもとても楽しみなのですが、それ以上に「象徴」として重要なメッセージをくださる存在なのだと感じています。

夢ってとっても不思議です。ここ1カ月ぐらいかけて徐々に内容が発展していった夢も観ました。そのような場合はあまり急がず、私の中で徐々に咀嚼したいなと思っています。

さて、今朝の神戸は爽やかな秋晴れ。キンモクセイさんの香りがより一層「秋」を感じさせてくれます。家の周囲のノラニャンたちも朝から心地よさそうに縄張り(?)を散策しています。

今日も良い日を☆

季丘便り 伊野華絵(いのはなえ)
http://homepage3.nifty.com/inohanae/

それでは、

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

キンモクセイ

みなさま おはようございます。今朝の神戸、爽やかすぎるほどの秋の陽気です。さきほど家の前の道を掃き掃除していたところ、どこからともなく「キンモクセイ」の香りが漂ってきました。

おもわず箒をもつ手をとめて深呼吸しました・・・。不思議といろんな思い出が脳裏をよぎります。

嗅覚と出来事としての記憶はしっかりと結びついて脳内に収納されているようですね(^-^)キンモクセイの香りがトリガーとなってその情報が引き出され、ふっとタイムスリップしたようでした。人間って面白い生き物ですネ(笑)

嗅覚は、五感(視覚・聴覚・味覚・触覚・嗅覚)のなかでももっとも古い記憶を保持しているといわれています。香りで思い出されること、様々にありそうですね。みなさんはいかがですか? キンモクセイの香りにはどんな想い出が刻まれているかしら?

さて、今日は午前9時6分ごろ新月を迎えます。占星術上でのメモリでは「てんびん19度」あたりで太陽と月が重なります(重なって見えます)。

今日も心穏やかな日を・・・♪

季丘便り 伊野華絵(いのはなえ)
http://homepage3.nifty.com/inohanae/

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

「ていねいさ」は豊かさを呼ぶ

この週末は三連休をお過ごしの方も多いかと思います。秋の行楽シーズンであり運動会の時期ですね。そして食欲の秋も楽しめるなんとも美味しい季節です(^-^)

めいめいの楽しみ方がありますが、私はこの土日は特別な予定を入れずに「静かに」過ごしています。好きな占術のことも数にまつわる調べものも少し遠くにおあずけ・・・して、とにかくゆったりと過ごしています。

その中で、ひとつだけ心がけてやっていることは、『日常の行為のひとつひとつを、いつもよりていねいに取り組む』ことです。

朝起きてから、部屋や身支度を整えること、歯を磨く、掃除、洗濯、料理、靴を履く、ドアの開閉、食事、手を洗う・・・そして接する人たちとの交流(対話)・・・普段、ともすれば慣れているがゆえに自動機械のようにあつかってしまいがちな日常のアレコレすべてを一瞬一瞬、とりわけ丁寧に意識して取り組むのです。

これはずいぶん前から、普段心がけようと思っていることなのですが、多忙な(多忙だと思い込んでいる)時間の経過に巻き込まれ、ふと気づけば機械的にやりすごしていることが多いなあとつい最近反省したからです。機械的に、とはその行為に意識が伴っていない・・・心ここにあらず、ということです。

こういう見直しは、少し余裕があるときに取り組むとよりやりやすいので、この週末を利用しています(^-^)

とりたててすごいことでもなく、ただ当たり前の自然なことではありますが、こういった行為の「ていねいさ」は自分の心の中に豊かさを呼んでくれます。

ここで、私の好きな本から一部ご紹介します。

"いましていること、いまいる場所を人生の主要な目的とみなすなら、あなたは時間を否定しているのです。これはとても大きな力ですよ。たったいましていることを第一に考えて時間を否定すると、内なる目的と外部的な目的、『在ること』と『行うこと』がつながります。時間を否定すると、エゴを否定することになるんです。何をするにしても、すばらしくうまくできます。行為そのものが関心の焦点になりますからね。そしてその行為は、意識がこの世界に入り込む通路になります。これはどういうことか。どんなに単純な行為であっても、電話帳のページをめくるだけでも、部屋を横切るだけでも、その行為に質が伴うということです。ページをめくる行為の主たる目的はページをめくること、二次的な目的は電話番号を見つけることです。部屋を横切るという行為の主たる目的は部屋の向こうへ行くこと、二次的な目的はあちらにある本を手に取ることで、本を手に取る瞬間には本を手に取ることが主たる目的になります。"
(「ニュー・アース」エックハルト・トール著(吉田利子訳)サンマーク出版 P285-286から引用)

昔、ある方からいただいた言葉があります。

「難しいことは特にいらないんですね。ひとついうならば、『何事もていねいに』 でしょうか」

以来、これが私の内側でひとつの宝物になっています。

「ていねいさ」とは、いまここに完全に在ることに繋がると思うのです。その連続性がいまを生きること、そして内なる豊かさを呼ぶ、取り戻すきっかけになってくれます。

さて、今日の神戸は少し曇り空です。みなさんの街のお空はいかがですか?

今日も心豊かでありますように♪

季丘便り 伊野華絵(いのはなえ)
http://homepage3.nifty.com/inohanae/

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

水面(みなも)のような現実(うつつ)

昨日、オフィスから見下ろす海はひときわ青く輝いていました。夏の太陽の下での海も素晴らしいですが、秋空をうけての海も独特の「青」があります。

太陽の光で、水面(みなも)が宝石のようにキラキラと輝き、おもわずその眩しさに目を細めました。

そして、感じました。「自分が見る現実(うつつ)は、一瞬もとどまることのないこの水面と同じなのだ」

ミクロ世界の「素粒子」はであり、同時にでもあるといいます。そう、水面に表現される景色と同じですね(^-^)

海は「潜在意識・無意識」の象徴とされますが、海を眺めていると自分の内側の大切な部分と共鳴することが多いです。

自然の風景から教わること、優しく気づかされることが沢山ありますネ。

さて、今朝の神戸の朝も爽やかです。素敵な木曜日を♪

季丘便り 伊野華絵(いのはなえ)
http://homepage3.nifty.com/inohanae/

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

しあわせな日

私が、「しあわせな日だなぁ~」としみじみ思うのは、

内側から自然と感謝の気持ちが湧きあがるとき(日)です。

それは、仕事を終えた夕方ごろふっと起こることが多いです。

常々思うのは、感謝とは、「自然と」湧き上がってくるものなのですね。誰かに強制されるものではなし、ましてや「感謝しなきゃ」と自分に強いるものでもないのです。

どこか、自分の中の奥深くに在る、大切な宝手箱のような場所からそのフタが自然に開いて

ふわ~っと 浮かび上がるような、そんなイメージです(^-^)

それはコントロールするものではないので、顕在意識での自分ではなんともしがたいのですが、日中の自分の在り方が大きく影響していることは確かだと思います。だからこそ湧き上がってきたときは、しあわせだと感じます。

いつもそんな日であってほしいし、そんな気持ちで一日を締めくくりたいですね♪

さて、今朝の神戸は快晴。最近のおひさまはもうすっかり秋の表情です。優しく、そして熟しきった果物のような・・・そんなエネルギーを感じる光です。

今日も元気でいってらっしゃい。私もこれからいってきま~す。

季丘便り 伊野華絵(いのはなえ)
http://homepage3.nifty.com/inohanae/

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

逃げなさいね(^-^)

「こういう時は逃げなさいね」

「こういう人からはすぐ逃げなさい」

・・・ダメなものはダメ、アカン人はアカンのですよ。易学の先生が強い口調でおっしゃるときは、冗談のカケラもなく、本気の訴えです。

私は何かを任されたら、自分を放り出してでも没入してしまう傾向があり、気づくと自身のことがおろそかになっているケースがあります。・・・過去によくありました。自分がなんとかしなくては、自分でなんとかしなくては・・・「逃げてはいけない」。そんな心境でした。

これは責任感の強さという意味では、好ましい性質に見えますが、もっと掘り下げると、自分がよく見えていない場合でもあるのです。自分を大切にできていないときです。あるいは、自分の力量をわかっていないとき。俯瞰を忘れているときですね。

なんとかしなくてはいけない対象に「抱きついてしまっている」(^^;)ともいえます。

先生は、そんな私の傾向を見抜いておられたのでしょう。鋭く、強い口調で何度かいわれたことがあります。少し時間がかかりましたが、いまはそのいわんとする意味がわかってきているように思います。

「逃げないでガンバレ」「任されたんだから最後までやるのよ」

親をはじめ、周囲で応援してくれる人たちの声の大多数はコレ、です。過去に、その先生以外にほんの何人かいたかなぁ、私の背中をよりよい方向へ押してくれるように

「逃げてもいいと思う」 と言ってくれた人。

そういう人は、本人が意識していようとしていまいと、私のことを深く理解してくれている、あるいは理解できる何かを持っている人なのだなと思います。

誰かに投げかける言葉は、それを受け取る相手次第で変化するものではありますが、そこには相性というか、二人の間の不思議な「化学反応」があるのだと思います。

「ガンバレ」も「逃げろ」も毒にも薬にもなる・・・ どのタイミングで何を言うか・・・う~ん、深く、そしてそんなことを考えだすとちょっとこわいかな。でもそれもキャッチボールというひとつのミニドラマ、なんですね。

さて、今朝の神戸は爽やかな秋空。日に日に涼しさが、いえ、もう「寒い」と思わずつぶやきそうな気温になってきました。ほそっこい私には寒さが・・・モリモリ食べてお肉つけようっと(笑)

それでは今日も(^-^)な日を♪

季丘便り 伊野華絵(いのはなえ)
http://homepage3.nifty.com/inohanae/

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

塞翁が馬

塞翁が馬: 人間の吉凶・禍福は変転し、予測できないことのたとえ。また、だから安易に喜んだり悲しむべきではないということ。
語源由来辞典より引用)

私が好きな故事成語のひとつです。・・・あら、占術好きなのに矛盾しているかしら?(^-^)

いえいえ、占術に長けておられる方々もよくこのことをおっしゃいます。

吉凶・禍福は、ある価値基準があってその尺度で判断されます。ということは、価値基準が変われば吉凶・禍福も変転しますね。

矛盾するようですが、占術をしていると不思議とこの「塞翁が馬」の言葉をよりかみしめるようになります。そして、物事を観る視点の範囲がぐっと広くなります。

占術は、「予測する」すごさももちろんありますが、「人を本質で理解する」ことと、「自分を成長させること」が本意だと感じます。・・・人は誰しも、自分も含めて完璧ではないですが(そもそも完璧とはこれまた一つの価値基準があって定まりますね)、だからこそ成長し続けるし、味があるし、愛おしいなあと思えるのです(^-^)

さて、今朝の神戸はまた一段と涼しい朝です。日の出時刻も着実に遅くなって・・・最近は朝起きてもまだ真っ暗なのでもう一度お布団に戻りたくなります(笑)

今日も元気で。いってらっしゃ~い。

季丘便り 伊野華絵(いのはなえ)
http://homepage3.nifty.com/inohanae/

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

気のモレを防ごう

どうもやる気がでない・・・ですとか、疲れがとれない・・・こういう、自分ではどうにもならないと思われるところでパワーがでてこないときがあるかもしれません。

そういうときは、身体のどこかから「気」がモレている可能性があります。

量子力学を少しでもご存知の方ならおわかりのように、私たちの身体はじつは「スッカスカ」です。毎瞬、素粒子が身体を通過しています(^-^)。よって、「気」も身体から漏れてしまうことがあるんですね。

これは、水道で例えれば蛇口の締りが悪くてポタポタと水が漏れているような状態です。

ではきっちり締めればよいのですが、どこから漏れているのでしょう・・・?

今はいろんな身体の整え術がありますから、どなたか専門家に相談しても良いのですが、一番いいのは、自分で自分の身体に聴くことです。自分の身体に耳を傾けると、身体は本当に素直に回答をくれます。

というわけで私は、自分の気モレはどこの蛇口をきっちり締めれば防げるかを探しあてました。そこを閉めておけば、「覇気」が全く違ってきます(^-^) 蛇口は複数あるかと思いますが、モレやすい蛇口というのはある気がします。(人によって違うかもしれません)

締めるというと、力を入れればよいかと勘違いしがちですが、全く逆で、「超リラックス」して締めるんです。そして「意識」で締める。

「締めました」という意図をおくるのです。・・・わかってくださるとうれしいな~♪

みなさんもご自身の身体の蛇口探しをすると面白いと思います。色々試してみてくださいね。自分で試してみて身体の反応を確認するのです。この過程も楽しいですよねっ。

では今日も楽しい日曜日を☆

季丘便り 伊野華絵(いのはなえ)

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

ニョキニョキ運

「あら、この方、『ニョキニョキ運』 持ってる・・・」

『ニョキニョキ運』の名付け親は、私・伊野華絵なのですが(^^)、ニョキニョキ運とは、その環境において必ず頭角をあらわす(リーダーになる素質がある)運勢のことを指します。

ある格数が名前にあるとそれを決定的にするのですが、配置や他の数との組み合わせにもよるので、格数だけではまだなかなか判断し難く、今は身近な人で必ずその実際の仕事ぶりと人相をみながら鑑定するようにしています。こういった実践が自分のスキルを上げてくれます。

野原でも、群生した草花の中に、ひときわ目立って「ニョキニョキ」成長しているものがいくつかありますよね。あんな感じです。強くたくましく、ニョキニョキ伸びて、太陽をさらにいっぱい浴びて、他の草花より高い視点で生きています。

「社長になりたい、人の上に立ちたい」など、頼もしい野望を抱く人は多くいますが、やっぱりこの「ニョキニョキ運」がないと難しい・・・。そして、ちょっと皮肉なことに、ニョキニョキ運を持っている人本人はあまりそういった野心がない場合が多いです。とにかく一生懸命に目の前のことをやる。そして周りを上手に巻き込む。気づいたらリーダーになってる・・・そんな感じです(^-^)

すばらしいニョキニョキ運の人たちがもっともっと社会で活躍してほしいです。そのもとで働く人たちも幸せになるので。環境が安定するのです。

さて、今朝の神戸は雨上がりの曇り。・・・昨夜はまるで嵐でしたね。台風なみの暴風雨でした。家の前はさぞ落ち葉ですごかろうと覚悟をもって玄関を出たのですが、排水溝の隅に面白いように落ち葉が集合していました。風さんが集めてくれたんですね(笑)。おかげで今朝の掃き掃除はラクチンでした。

金曜日ですね。今日も元気で。いってらっしゃい♪

季丘便り 伊野華絵(いのはなえ)
http://homepage3.nifty.com/inohanae/

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

星から教わる「人との距離感」

私が生まれたときの天体配置の特長のひとつは、「さそり」に多くの天体が集中していることです。

さそりの特長に、感情の深さ(水を表すサインのため)・集中力・粘り強さ・吸引力などがあります。

天体が集中しているサイン(ここでの場合、さそりのこと)は、そのサインがもつ特徴を人生で体験させられることが多いです。

さそりは水の性質を持っていますので、感情に関わること、つまり人間関係での深い体験が必然的に発生します。

私は、秘書という仕事ゆえにその深い体験を嫌というほど味わったことがあります。秘書は受動的な仕事のように見えても、いわれたことだけをやっていてはまったくつとまりません。また、上司を超えての決定権はもっていませんが、決定に至るまでのプロセスにおける目に見えない影響力は絶大です。まさに家庭での奥さまのようですね。「受動(陰)の中の能動(陽)」なんです。

上司との相性が合い、うまくいけばいくほど、「あ・うん」の呼吸や「ツー・カー」の間柄になります。仕事をやればやるほど、できればできるほど、それは進行する。業務上は実に良好な関係なのですが、ひとつの目的に向かっての共有時間が長くなるほど、何かまるで「冥王星」のような見えない大きな力が働いてその中にとりこまれ、ひとつの「運命共同体」のようなものに仕上がってしまうことがあります。運命共同体とは、大きなパワーを持ちますが、ともすれば「共依存関係」となります。

こうなると・・・さそりの行き過ぎた性質が出てきます。一体化してしまうんですね。これは良いようで悪い。悪いようで良い。周囲は気づいているのですが、本人たちにはその逸脱さがわからないのです。お互いの距離感というものが。

わたしはこの「さそり」独特の運命共同体的体験をした後で、占星術の世界を学びました。そして深く深く納得したわけです。そしてさらに大切だと思ったのは、「体験の意味に気づいて卒業する」ことでした。

よく、「わたしは〇〇座だからこういう性質なんだ」とそこで終わる解釈があります。自分の性質を星が示す傾向にあてはめて、ハイ、おしまいというやり方です。これは本当の占術の使い方ではないと思います。そうではなくて、星が表す傾向を知って、自分の体験と照らし合わせ、そこから「次はどうするか」「どう改善・成長するか」なんです。

たとえばわたしの場合、対人関係で「さそり」の過剰な性質を体験で学ぶことによって、人との距離感について自分で吟味しました。そして、自分と相手にとって健全な距離感を取る努力をする。自分が潜在的に持つ傾向を上手にコントロールすることで、私の中の「さそり」にいる天体たちが進化するんです。それができるようになると、本当の意味で「自分と他者を同時に尊重する=真に深く理解する(これぞ、さそりの本性質)」ということがどういうことなのかわかってくるように思います。

これができれば、もう「運命共同体」がいびつにでるような相手は自分の人生には登場しなくなります。わかっていなければ似たようなパターンが再びやってくる。わたしにとって、星たちはそうやって体験を通して学ばせてくれる「先生」のような存在です(^-^)

私は占星術を例に出して書きましたが、人は何らかのメジャメントで自分や他者を測定して納得するとスッキリする性質がありますから、占術もそのツールのひとつなのです。他であってもいいわけです。

自分の内側を測る(批判する、じゃないですよ、くれぐれもご注意を☆)何かを持っている人は強いです。客観視ツールみたいなものです。

あなたにピッタリの測定器、ぜひお持ちくださいネ。

さて、今朝の神戸は一段とひんやりしています。今日から10月ですね。公私共にここのところ身辺の変化が多い人が続出しています。変わり目なのですね。皆がそれぞれの場所でいきいきと輝いていてほしいなあと思います(^^) モチロン、私自身もです♪

Have a nice day!

季丘便り 伊野華絵(いのはなえ)
http://homepage3.nifty.com/inohanae/

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

« 2015年9月 | トップページ | 2015年11月 »