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2015年9月

利己的な遺伝子

「いいかい、伊野華絵ちゃん。本音の話だが、人間というものはね。どこまでいっても『自分だけが生き残りたい生き物』なんだよ」

以前、易学の先生がこう語ったとき、昔むかし、とても若くて無邪気だったころ(笑)、お付き合いしていた科学者の卵みたいな人から、「利己的な遺伝子」というテーマで似たような話を聞いたことが一気に蘇りました。分野は違えど同じものをみているのかも・・・と思ったものです。

利己的の反対に位置するのは、利他的ですが、これは表裏一体なのですね。人のために、人のために~と思ってやっていてもあるときそれは全部自分のためだったと気づくときや、自分が好きだからとただただ楽しんでいたことが、いつの間にか周囲の喜びになっていた、とか。

うまく作用すれば「吉」現象として出ますし、そうでなければ「凶」になるのでしょう。

この視点はとても大切なことだと思うのです。人はそもそも利己的な遺伝子の集合体だと思えば、他人に過度な期待はしません。期待は自身にかけるものだということがわかってきます。そしてそこから不思議と他者に対する理解が深まることも大いにあるのだと思っています。みんな、自分が大事だということについてはおなじなんだねえ、って。

スピリチュアルな世界で、魂の話がよくでます。人は肉体を去ってもその先があり、この私は続く・・・輪廻転生という考えもあります。これも、観方によっては非常に利己的ともいえます。

自分という存在は、いつまでも生き残ってほしいもの、消えてしまっては困るんですね。この場合「自分という存在」をどういうスケールでとらえるか、ということになりますが、たとえ、「個の私はなくなってさらに大きな私に戻り、そして魂は続く」という解釈であってもやっぱり「自分」はその中の一部で存在する必要があるという考えがそこにはあるのです。つまり、サイズは違っても存続しつづけたいという欲なのですね。これぞ利己、です。

欲や利己的さを悪やネガティブなものとしてとらえる傾向があるかもしれませんが、それも違うのですね。ホメオスタシス的な性質の一部、として観たほうがあっているように思います。そして、自分だと思う範囲をどのぐらいの広さまで拡大してゆけるか、ということもこの世に生きているときから始まっている、大いなるチャレンジだといえますネ。

こうして書いていて、朝からコムズカシイ話にしてしまいました(^^;)

神戸は今朝も晴れています。朝から洗濯物が気持ちよさそう~。

さあ、今日も一日元気にまいりましょう。いってらっしゃい。私もいってきます☆

季丘便り 伊野華絵(いのはなえ)
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漢字というシンボル

◎戦国時代武将・伊達正宗公のお言葉:

に過ぎれば弱くなる
に過ぎれば固くなる
に過ぎれば諂(へつら)いとなる
に過ぎれば嘘をつく
に過ぎれば損をする

◎江戸時代の長編物語・「南総里見八犬伝」(曲亭馬琴 作)の中で登場する、シンボルとしての8文字:

仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌

赤で記した文字、不思議と共通したものがありますが、これらすべて、易学の先生の眼に留まると

「おい、ちょっとまて」

となる文字ばかりです・・・。
※該当する字をお持ちの方、あまり心配なさらぬよう。すぐ吉凶に結びつけないでください

漢字というのは実に不思議なもので、たった一文字ですがその中に気の遠くなるような歴史と人々の想いと記録(いわばアカシック)が包含されているのですね。漢字は「表意文字」です。その名のとおり、文字の中に「意」が含まれている。

一方で、アルファベットは「表音文字」とされています。アルファベットはその分、「音域」が重要になってくるかと思います。発音する際も音楽のようなリズムや音の強弱が必要ですし、ネ。

漢字を観た瞬間に、その一文字から一つの絵のような風景が見えるようになったら私も一人前かなあ。まぁ、楽しく飽きるまで続けてるのでしょうね(^-^)

さて、今朝の神戸は爽やかな晴天。一昨日の十五夜は夜散歩で楽しみましたが、昨晩のスーパームーンは見上げることもなく早めに就寝してしまいました。強烈な眠気が早々にきてしまって・・・(^^)

今日も素敵な一日を♪

季丘便り 伊野華絵(いのはなえ)
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当たるも八卦、当たらぬも八卦

「当たるも八卦、当たらぬも八卦」・・・占いは当たることもあれば当たらないこともあるということ。(故事ことわざ辞典より引用)

私がこれに大いに頷くのは、占術家の眼は「ミクロの世界」をのぞきこんでいるなぁということです。

先日の記事でご紹介した動画で語られているように、「量子」つまりミクロの世界はあいまいであり、そこには複数の可能性が同時存在しています。それが物質のサイズが大きくなるとそのあいまいさは影をひそめ、ミクロ世界で存在していた複数の可能性はただひとつになり、残りは消えるのです。

つまり、この三次元世界は、ミクロの世界のルール・量子力学の法則ではなく、マクロの世界のルール・ニュートン力学の法則で現象があらわれますから、色んな可能性からただひとつが「事実」としていわば「選ばれて」この世に顕現するんですね。

占いは、予め(あらかじめ)観る、ということですから複数の可能性が走っている「量子」を見ているのです。どれが現実化するか(選ばれるか)は、当たるときもあれば外れるときもある、ということなのですね(^-^)

できれば、自分で自分のミクロ世界を覗きこんで、望む現象を厳選したいものですねえ~。でもこれ、無意識化では自然とやっていることなのだと思います。え、こんな現実望んでいない?・・・どうかなあ???(^^)

さて、今朝の神戸は晴れやか~。気持ちの良い朝です。新しい一週間ですね。11:51頃、本年最大のスーパームーン&アメリカ・欧州方面で皆既月食という天体模様です。

みなさま、本日も健やかにお過ごしくださいね。

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お釈迦さまの手のひらで

『西遊記』で、孫悟空はお釈迦さま(の目の届くところ)から離れて、うんとうんとう~んと遠くまできてエッヘンと誇らしげ。最果てにたどりついた5本の柱に何か書くのですが、その柱とはお釈迦さまの手の指だったという・・・

この、結局はお釈迦さまの手のひらの出来事だったという話は色んな解釈があります。

受け手にとって捉え方は様々。

最近、「やっぱりこの世はゲームだなぁ。どこまでいってもゲームだなぁ」と感じることがありました。そう、お釈迦さまの手のひらがゲーム場。私は、お釈迦さまの手のひらこそ、「人の概念」というフィールドだと思うのです。誰もがその外へ行って遊ぶことはできない。でも遊ぶならその中でめいっぱい、あそぼ!

みなさんはこのお話、どうとらえますか?(^-^)

今晩は中秋の名月ですね。今21時過ぎですが、もうすこしたてば、お月さまがいい感じで南中しそうです。これから夜散歩にでかけます。・・・みなさまも素敵な月夜の晩を♪

季丘便り 伊野華絵(いのはなえ)
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人生で一番大事な日

「人生で一番大事な日は二日ある。生まれた日と、なぜ生まれたかを分かった日。」 ~マーク・トウェイン

"The two most important days in your life are the day you are born and the day you find out why." - Mark Twain

・・・『トム・ソーヤーの冒険』の物語がなつかしいです(^-^)

今日はあなたにとってどんな日になるでしょう? 冒険が待ってるかな? 楽しい時間をお過ごしくださいネ。

Hana_0926
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自分に合ったやり方が一番(^-^)

1.第一印象で感じるAさん

2.挨拶や会話をする程度の関係で感じるAさん

3.仕事や私生活でお付き合いをする関係で感じるAさん

4.Aさんという人間の本質

「人を知ってゆくうえで、おおまかに4段階あるとしたらこんな感じだね。占術のプロなら、会わずしてAさんの名前を観た瞬間に一気に「4」に行かないといかんね。あるいは、名前を知らずにお会いしたら1の時点で4を見抜かないとね、伊野華絵ちゃん♪」

「ええ・・・ハイ。」(言うのは簡単ですが・・・先生(^^;))

誰でも潜在的にこういうセンサーは持っているものです。特に人事の採用面接官、未来のスターを探し出すスカウトマン、名探偵など、特有で強烈な目的意識をもって人を探し人を観ている職種のプロ中のプロはこの才能が特に伸びます。適性もあるでしょうが。

「相」を観る占術家も同じです。

占いは、生年月日から観る「命術」、人相・手相・名前などから観る「相術」、タロットなどの占う瞬間の景色で観る「卜占」の主に3つの分野があります。

命術は、生年月日から命式(あるいはホロスコープ)をつくり、綿密に調べる必要があります。これは少し時間がかかります。私も西洋・東洋両方の命術を学んだことがありますが(続行中)、自分には「相術」や「卜占」のほうが楽しいなという感があります。

つまり、「せっかち」なんですね(^フ^)。一瞬で知りたい、感じ取りたいんですよ。それがすごくワクワクするし、楽しい。生年月日というデータ見ているより、生身の人間と対峙してその人から感じ取る、あるいはカードや名前という象徴言語から一瞬にその人自身にアクセスする面白さのほうが私にはフィットするのです。

占術といっても色々あるのです。自分に合ったアプローチでその世界に潜っていくのが一番ダイビングしやすいなと思います。そして枝葉を広げてゆく。というかいろんな海に潜ってゆく。どの分野でもそうですよね。

さて、今朝の神戸は・・・おやまぁ、晴れてきました(^-^) 

今日は金曜日ですね。シルバーウィークに続けて連休を楽しんでいる人も多いでしょう。私はこれからお仕事です。それもまた楽し。ではいってきま~す。良い日を!

※~花からの便り 9月~ もホームページにアップしました。ぜひご覧ください♪
http://homepage3.nifty.com/inohanae/Message-from-seasonal-flowers.html

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繰り返し、繰り返し

一時期、電話を利用して先生から占術の講義を受けていたことがあり、ボイスレコーダーに記録されているそれを何度も繰り返し聴くたびに驚くほどの発見があります。

一つの鑑定例を、これでもか~これでもか~ぐらい、繰り返し聴くのです。全部聴いているつもり、聴き取ったつもりでいても、必ず取りこぼしがあります。また、脳で受信した際にかならず私のフィルターにかかり解釈が変質しますから、何度も繰り返し聴くことで、前回認識していなかった新たな発見がいつも出てくる、という感じです。

私はこういう学習時は本当に「しつこい」性格がでます(^-^)。とにかく一例をとことん掘り下げる。鑑定は数も必要ですが、一つをとことん観ることである時ビックリするような気づきがもたらされます。

そして付属的に面白いのが、講義のやり取りの中での自分の発言と声です。自分が知らなかった癖、声質などなど、客観的に自分を知るひとつのやり方だなぁと思いました。声も「声紋」といってその人の性質がよく出るそうです。そういえば好きになる人は、声が自分にとって非常に魅力的かもしれません(^^) 先生は、電話の声からもその人の「相」を読み取られます。やはり、細部から全体像が見えるものなのですね。

「繰り返し、繰り返し~」・・・飽きないの?といわれそうですが、飽きないところをみるとやっぱり好きなのですね。好きなことって誰が止めても続けますし、逆にモチベーションあげないとやれないということは好きなことではない、ともいえますね。

さて、今朝の神戸は雨。昨日までのポカポカ陽気から一転してひんやりしています。寒暖の差があるときは特に体調管理にお気をつけて。今日明日は連休に続けてお休みの人、そうでない人とわかれそうですね。私は今日明日仕事です。元気にいってきま~す(^-^)

※~花からの便り 9月~ もホームページにアップしました。ぜひご覧ください♪
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だるまさんがころんだ。・・・ハイ、鬼はアナタです!

『だ~るまさんが こ~ろんだ』 おぼえていますか? なつかしいこの遊び。

鬼になった人は壁に向かい顔を伏せて 「だるまさんがころんだ」とつぶやきます。その間のみ、鬼以外の参加者は鬼に向かって歩くことが可能。鬼が振り返って自分を観た瞬間は、静止しなければならない。というルールです。

子供の頃、本当によくこの遊びをしました。

実はこの遊びの構造、量子論が展開するミクロの世界そのものなんですね。

量子論とは、物質(原子)を構成している粒子や光という非常に小さな単位のものたちのふるまいを解読しようとする理論のことです。そのふるまいとは、古典力学(ニュートン力学)といわれる、原子以上の物質のふるまいの法則にはあてはまらず、非常に摩訶不思議な世界といわれています。

現代物理学には、古典力学と量子力学があるのですね。それらは法則が異なっています。それぞれ測り方が異なる=常識が違う世界、なのです。

量子論では、粒子は「あいまいである」とされており、観測者が粒子を観測するその瞬間までその粒子の性質はわからない、つまり、観測する(測定する)行為そのものが、その粒子の位置を決めると考えられています。

これって・・・まさに、「だるまさんがころんだ」じゃないですか(^-^)

観測者はアナタです。つまり、ハイ、鬼はアナタ。鬼のアナタが見ていない間は、他の皆は位置を確定されず動き続けています。アナタが見た瞬間、彼らはその位置に固定されます。観測者のアナタが彼らの位置を決めているんです。

面白い昔遊びがあったものですね。もちろん、量子論の世界を説明するために創られた遊びではないでしょうが、遊びの中にもこうして色んな真理というか万物の法則がひょっこり出てくるものなのですね。それは、人はみなどこかで「すべてあらかじめ知っている」ということを示唆しているようですネ♪

こういう発見が何より面白いと思う私です。

さて、連休最後の今日は秋分の日。占星術上では、太陽が「てんびん」入りです。

みなさまにとって良き日でありますように☆

Hana_0923
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宇宙 ~時空超越の旅~ 量子力学で見る「現実」

科学や数値について調べものをしていたところ、Youtubeで面白い番組に出会いました。

宇宙 ~時空超越の旅~ 量子力学で見る「現実」

文系な私でも十分楽しめる内容です。私は、東洋占術を教えてくださる先生を通して、量子論の世界に興味を持ちました。これを観ながら、科学と占術が私の脳の中で十分に交差します。

「量子論」という『概念』は、実に興味深いものです(^-^) 

それは、「物事には多様な観方があるのですよ~」と 天から神様が耳打ちしてくださっているように感じます☆

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雌鶏(めんどり)歌えば家滅ぶ

雌鶏歌えば家滅ぶ」・・・めんどりがおんどりに先んじて時を告げるのは不吉なきざしである。妻が夫を出し抜いて権勢をふるうような家はうまくいかず、やがて滅びるというたとえ。
デジタル大辞泉より引用)

似たような表現は、易学を学ぶうえで、しつこいほど先生から教わります。先日投稿した記事、「傅く女性には加護がある」でもお伝えしたように、女性は『陰』の領域での能動性が役割として与えられており、『陽』での能動性は自然体ではない、ということです。

古事記に出てくる、国産みの話もこのことを指していますね。女性(陰)であるイザナミから発せられた行動の結果生まれた水蛙子(ひるこ)は、子供の数にはかぞえられませんでした。

・・・昔と今は違うから、という意見もあるかと思いますが、男女という形に分けられた「陽」と「陰」の根本性質を、古代の物語や言い伝えの中から深く探っていくのも大切なことだと思います。

これは、男女(陰陽)どちらが良い、どちらが上、という話ではないのですね(^-^)

さて、今朝の神戸は晴れたり曇ったり。晴れ間に見える日差しは強そうです。洗濯物、あっという間に乾くかな?

一昨日、昨日とVIPの来日者対応で職場は本当に賑やかでした。さすがに少し疲労が残っています。今日はのんびり過ごそう~っと♪

みなさまも楽しい休日を☆

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理屈ではないもの

理屈ではないもの・・・これに従って動かされる情動ほど大きなものはないのだと思います。

たとえば、「全然タイプではないのにどうしても惹かれてしまう」とか

「うまくいくかわからないけれどこれをどうしてもやってみたい」とか

理屈を超えたところで心が身体が動かされるコト、人生で随所にありますね(^-^)

どうやらそれは、その人の根底に内在している「何か」が動かしているのですね。

「理屈ではないもの・ないこと」に動かされている自分に気づいたとき、自身は奥底で何を感じ取っているのか、自分を動かす動機は何なのかを探る大きなチャンスといえます。それは結局は、相手や事象そのものとの結果云々ではなく、自分の中の何かに気づくことが最終目的地のように思えます。

人は、自分ではまだ気づいていない、自分の奥底には眠っている沢山の宝物があるのです。宝の持ち腐れにならないよう、自分を掘り起こす作業を色んなやり方で試してみると毎日が楽しくなります☆ 私にとってはその方法のひとつが「占術」なのです(^-^)

さて、今朝の神戸は快晴です。アメリカ、アジアからビジターが来日中なのでぜひぜひオフィスから「青い海」を観てもらいたかった。海の色はお天気で随分と表情が変わるのです。今日は晴れてとってもウレシイです(^^)

今日も楽しい一日をお過ごしくださいね。金曜日~♪

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記憶に逃げるな

「この名前は初めて観る、という状態で姓名判断はやらなきゃいかんよ。

前に観たことがある・・・、たとえそう思っても、その記憶に頼ったら逃げになる。

いつでも、『まったく新しいページをめくる』 という気持ちでやらなきゃね」

私の先生は、鑑定の過去帳は定期的にすべて破棄(焼却)しておられます。せっかくコツコツ創ったホームページですら、自分の意識が変わったら惜しげもなく一掃します。

そういえば、東京で占星術などを教わった先生も、アドレス帳(連絡網)を1年ほどですべて削除するという人でした。

お二人とも、組織従属という状況にはなじめない性分で、それを貫く生き方をされています。

経験は蓄積であり財産だといえますが、一方で「記憶」というものは時に、前進の妨げになることがあるのですね。まったく新しい眼で物事を観る。そしてその新鮮さは、0.3秒以内の瞬間の中にいきづいているんだなぁ。

さて、今朝の神戸は雨。いつもより1時間早起きをしました。今日の職場は海外からのビジター対応で賑やかな1日になりそうです。

新しい日、今日も(^-^)でいきましょう!

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素直が一番・・・かな?

何を学ぶにおいても、「師」という存在に出会うわけですが、これこそ深い深い縁(えにし)なのでしょうね。

そしてどの分野でも同じ対象を掘り下げつつ、観方の違いが出てくるのでいわゆる「流派」というものも生まれます。

『先生、サンズイって3画で数えますよね? 4画という観方もあるようですが・・・?』

こんな質問を投げかけたところ、

『3画でみなさいね。そして鑑定の際に、4画かもしれないという意識は一滴も入れないように』

流派ではサンズイを4画と観ることもあるようです。そういう師に出会った人はその観方でいけばよいのだと思います。

きっとここでとても大切なのは、縁のあった考え方(流派)を、素直に自分に浸透させることなのです。一ミリの疑いもなく。とことん素直に吸収することが上達の一番の近道なのですね。

そして時が経ち、自分の中で何かが熟してきた際に独自の観方が突如現れてきたら、今まで素直に受け取ってきた教えと融合させて次へ進むことが成長なのでしょう。

やっぱり、『守・破・離』の順序に従ったほうがよいのだなあ・・・。と思うこの頃です(^-^)

さて、今朝の神戸はどんよりな曇り空。お天気は下り坂模様です・・・が、脳内天気は晴れマークでいきましょうね。今日もいってらっしゃい~♪

季丘便り 伊野華絵(いのはなえ)
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進化するしかない

「箒で掃いている人の後ろから掃いてはダメだよ」

子供のころ、掃除のしつけとして親からいわれたひとつの言葉です。

これは、掃いている人の掃除を疑う(きれいになっていない)のは失礼な行為である、と同時に、きれいになった場所を再び掃くという重複は効率が悪い(無駄)、いう両方の意味があります。

今朝、家の前の掃き掃除をしながらふっとこの言葉を思い出しました。誰かが一緒にいたわけではないのですが、親の言葉を思い出しながら、「う~ん。もっと効率よく、きれいに掃くにはどういう導線がいいかな~」と工夫したくなりました。

過去に何度か触れたかと思いますが、易学・姓名判断の世界では

『変化しないこと・重複すること』を大変忌み嫌います。

したがって、名前でも同じ画数がいくつもある名前は不具合が起きやすい・・・自然体の景色に見えないという考え方です。

重複するとは、無駄が増え、効率が落ちます。重複することで変化速度も遅くなります。そういえば遺伝子上も重複は問題とされるようです。

「結局はね、『進化』なんだよ。進化しないものは淘汰される。それが自然界だよ、伊野華絵ちゃん。」(先生のお言葉)

昨日と同じ今日はないし、同じにしては(重複させては)いけないんですねえ。毎日新しい風を自分の生活の中に意識的に持ち込む・・・ちょっとしたことを工夫してみるとか、新しい観方を取り入れてみるとか・・・そんなことも「進化」の後押しになるのだと思います(^-^)

さて、今朝も快晴の神戸です。過ごしやすい季節になりましたね。昨日はランチの後、オフィスを出て散歩しました。少しの時間ですが、ベンチでぼ~っとして木々を眺めるだけでも十分リフレッシュできます。お天気のよい日はそんな工夫も身体が喜びますヨ。

それでは今日も元気にいきましょう~。

Hana_0915
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ユダヤ暦新年

おはようございます。快晴で涼しい朝を迎えています。日の出が刻々と遅くなっていますね。5時はまだほんのり暗かったです・・・

さて、昨日は新月で日蝕でした(南極、インド洋、アフリカ南部にて)。そして今日9月14日は、ユダヤ暦で新年にあたります。

ユダヤ暦とは、ユダヤの人々の間で使われている暦法です。

新年をヘブライ語で「ローシュ・ハシャナ」といいます。

以前、ユダヤの歴史・文化などについて集中的に勉強していた時期がありました。ユダヤの人と人生を共に歩こうとしていた頃です。ユダヤ暦の存在もそのときに知りました。

暦というのは、Wikipediaから引用すると

「時間の流れを、年・月・週・日といった単位にあてはめて数えるように体系づけたもの」です。1年というサイクルをある基準で設定していくわけですが、大きく分けて

太陽暦・太陰太陽暦・太陰暦の3種類があります。

名前からわかるとおり、「太陽」と「月」の動きをもとにしているのです。

西暦(グレゴリオ暦)は太陽暦、ユダヤ暦や日本で使われていた旧暦は、太陰太陽暦にあてはまります。

暦は、作物を収穫するために天候のサイクルを把握しようとした古代の人たちの偉大な知恵のたまものです。そして、天の動きが国家や個人の人生サイクルまで同期をとっていると考え生まれたのが占いです。すべての生き物が同じように地球船に乗っているのですから、この発想はごくごく自然なことといえます。

とはいえ、発想は同じでも地域や民族で少しずつサイクルの設定が違うのですね。ローカル環境が違うのですからこれもごく自然なことですね。

自分とは異なる民族の人たちの世界を知るアプローチは色々ありますね。歴史・言語・旅・文化・食等々。「暦」もそのひとつ。そしてそれは非常に興味深いものがあります(^-^)

さて、9月もあっという間に中旬に来ています。毎日大切に一歩一歩進みましょう~

今日も元気で!

季丘便り 伊野華絵(いのはなえ)
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余分な程に完全 ~数・12の不思議~

今日は9月12日です。12日にちなんで「12」について少し書いてみたいと思います。

姓名判断をしていると、12画(12格)というのは実によく登場します。そしていつも

「不思議で、解釈が難しい数のひとつだなぁ」と頭を抱える私(^^;)

姓名判断上においては12は

『なかなか実力が発揮できない。あるいは実力不足。ただ鋭い直感力はある』 とされています。吉凶という観方をすると、12は「吉数」の意味合いがあまりありません。

ところが、12という数は暦(占術)や神話・宗教の世界でも重要な位置を占めています。

1年は12カ月。(時間は12進法)、十二星座、十二支、十二単衣、12使徒等々。

1ダースは12ですね(^^)。

重要な数なのに、姓名判断の世界だとあまりよくない解釈なのはどうして・・・? と、先生にしつこく質問したことがありました。

「うーん。12っていうのは、『中心』なんだろうね。中心なんだけどトコロテンみたいなツルツルしたものの上で右に行ったり左に行ったりして不安定。でも極限までいく力はない。すごい直感力を持ってるんだけどねえ。悪い方にひっぱられて正義心をもつ。良い方にひっぱられて反感心を持つ・・・(延々と続く)」←先生のアタマは抽象度が高すぎて意味不明(^^;)

そうこうしながら、12について調べていたところ面白い表現に出会いました。

12というのは、“「余分な程に完全」という意味で12が使われることがある。たとえば、10まで数えても足りない時、余分に12まで数える習慣がある。” (Wikipediaより引用)

人に貼りつける姓名というラベルにおいて、「余分な程に完全」なシールは少し具合が悪いのかな? よく名付けの漢字も、おめでたい字、聖なる漢字は避けるようにと言われます。姓名判断での世界は、「地上の人間は、個としては神でもないし全体でも完全でもない」という解釈なのか・・・とこう書きながら感じています。

12についてはまだまだ理解を深めていきたいな~と思っています。やっぱり数って面白いのですヨ(^-^) 以下、伊野華絵のホームページでも数についてまとめていますのでぜひご覧くださいネ。
http://homepage3.nifty.com/inohanae/Oracle-from-Numbers.html

さて、神戸は爽やかな秋晴れです。洗濯物も嬉しそうに日光浴中。

楽しい土曜日をお過ごしくださいネ。

季丘便り 伊野華絵(いのはなえ)
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決めてから迷わないでね

「右か、左か」・・・選択の話ですが、どちらの方向へ進むか迷ったとします。そしてどちらかを選んで進みはじめたとします。そうしたら、迷わないほうがいいです。

よく、選んだ後でもなお、

「右かな、左かな。右を選んだけど左だったかな」と迷い続けている人がいます。

選ぶ前に迷ったり吟味するのは大いによいし、時間がかかることもあるかと思いますが、自分で選択しておいてさらに迷うというのは、真剣に迷いと向き合わなかったか吟味しなかったか、の証です。

正しかったかどうかより、選んだ行為に「イエス」というラベルを貼ってさらに進むことがとってもとっても大切です。進んでいった結果、途中で引き返したくなったり、「やっぱり左がよかったね」と方向転換するのは全然構わないと思います。それもまた次なる選択の局面が見えてきた、ということです(^^)

「決意した自分に迷う」ことばかりやっていると、人生全体が迷い道になってしまう・・・と思うのです。

個人的に私は決めるまでにとても時間がかかります。時間をかけます。・・が、決めたらその選択に「迷い」シールは貼りません。ニコちゃんマークシールを貼って次に進みます。きっとその繰り返しが自分の世界を楽しく創っていくことに繋がるのだと思います(^^)

さて、今朝の神戸は晴れ間が見えています。今日も二度とない一日です。大切に過ごしましょう。

季丘便り 伊野華絵(いのはなえ)
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傅く(かしず)く女性には加護がある

傅く:かしずく、と読みます。傅くとは、『人に仕え、人に従い大切にお世話をする』という意味です。辞書で調べると、例文として

「嫁が姑にかしずく」とあります・・・。この例文ですと、思わずネガティブ連想をしてしまう女性もおられるかもしれませんね・・・(^^;)

易学上では、「傅く」ことができる女性は最高級の運勢と解釈されています。易学や姓名判断の世界では、陰陽、つまり男女の役割に与える意味をはっきりと分けていることがとても多いです。とてもざっくりと書きますと、男性は「陽」(表だって活躍する)、女性は「陰」(裏側で支える)という役割分担です。

そういう意味で、「傅く女性」というのはその陰の役割を全うしているという意味で最高級なのだそうです。

女性も大いに社会で活躍している現代に、この考え方は「ふる~い!」と受け取る人も多いでしょう。私もこれを教わったとき、そのように思ったりしました。・・・が、よくよく学ぶとそうではないのですね。

「傅く」というと、「自分を抑えて、消極的に受動的に生きる」のイメージがあるかもしれませんが違うのです。

「傅く」とは、表現としては「控え目にしている」行為に見えるでしょうが、これは立派な「能動的生き方」だ、と先生はおっしゃいます。受動ではなく、「傅く」という能動なのです。陰という役割の中で陽を発揮している、ともいえましょうか。これが自然にできる女性は、人生において色々と起こっても何らかの加護があるといいます。

「家庭生活ではね、男(夫)が船頭で女(妻)がその船に乗るお客様だからね」と先生はおっしゃいます。

「船頭が二人乗っていたら、船がおかしくなるから」

そっか。たしかにそうですね(^^)。ただ、時代はかわりつつありますから、船頭が二人いてもいいのかもしれません。ただし、同じ方向に船を進ませようとしていて、「一緒に漕いで行こうね」としているなら、ですけれど(^フ^)
(・・・こんなこと先生に言ったら「コラコラ」と叱られそう・・・)

さて、今朝の神戸は徐々にお天気になりそうな空・・・かな?空気はひんやりしています。昨夜は寒くて夜中に一度目が覚めました。先月との温度差がすごいですね。体調管理をしっかりしたいと思います。

それでは今日も素敵な一日を。

季丘便り 伊野華絵(いのはなえ)
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9月9日~重陽の節句~

おはようございます。本日は9月9日。五節句のひとつである「重陽の節句」にあたります。

といっても季節的には旧暦の9月9日(10月中旬ごろ)が本来の重陽であり、今日は、数値的・新暦(グレゴリオ暦)上の重陽。いろいろややこしい昨今ですが(笑)、私たちは器用に両方扱えているとも言えますね(^^)

五節句は、「奇数は陽であり陽はおめでたい」という考えからそれが重なる日は非常に縁起の良い日として設定されたという歴史があるそうです。

一方で、9という数字は東洋では「苦(九)」と結び付けられ、姓名判断上でも「9画(格)は苦労する」という解釈があります。9は一桁数の最後で最大の数ですから、容量がいっぱいになったら動きが悪くなる・・・満ちればあとは欠けるだけ、ということでしょうか。

物事には良い面とそれが反転するような良くない面があります。どちらも私たちの「解釈」が良し悪しを決めているわけですが、これは吉凶にこだわっていた古代からもう解っていることのようです。易学(姓名判断含め)でも、

『良い面と悪い面は背中合わせなのだ』ということをよく教わります。陰と陽はセットなのですね。

また、陽は良いイメージ、陰は悪いイメージがとかくつきまといますが、これも一方的側面からしか見えていない景色です。陰陽を掘り下げていくとそんな解釈は自然と消えてゆきます。もし吉凶(良し悪し)をあえて判断するとしたら、陰陽の「組み合わせ」なのでしょう。

さて、少しお話を戻して。重陽の節句は別名「菊の節句」とも呼ばれ、菊を愛でたり食したりする風習だそうです。といっても新暦上では季節感が合いませんので、菊の楽しみはもう少し先におあずけです。気持ちの上では旧暦リズムで「季節とともに」過ごしたいものですね。・・・というわけで、今日は九九でも唱えようかしら~(大笑)。インドの子供たちのように九九を二桁まで暗記したいと思っている私です(^^)

神戸は雨。台風の影響で東海・近畿地方は特に荒れ模様のお天気ですね。みなさま外出時はお気をつけて。今日も(^-^)でお過ごしください。

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もうひとりの私

親しい人の中に、「自分の行動や考え、生き方は世間から逸脱している」と悩んでいる人がいます。具体的にはかけませんが逸脱性は幼い5,6歳の頃から始まっていたとか。その方から今まで経験したことや歩んでこられた道のりをお聴きする機会が幾度もありました。

それは、私には今まで聞いたこともない「物語」である一方、その方にとってはまぎれもない「事実」でした。本人は苦悩の中ですが、私はその物語から教えられることが沢山あります。

話は、ときおり反感を抱くこともありました。「ちょっとそれは人としてどうなんです?」って。私がいわゆる「常識」の視点で聴くときです。感情が鋭く反応する自分が出てきます。

が、面白いことに、同時に自分の中にもうひとりのさらに大きな自分がいて、ただただその人の話を聴きたいな~と思っていることにも気づいているのです。

人は、自分が自分と思っているのとはまた別の、さらに大きな自分があって(これを大いなる自己とか考え方によってその他いろんな呼称がついていますが)、その存在の視点からみると人生の風景がまったく違って見えてくるものです。

このような気づきは、自己啓発的な本から得た知識だけではアタマの表層でしか受け取れないことだと思います。理解したつもり、の状態でとまります。気づきは深い体験を通して得ることが一番の血肉になるのですね。

気づきというのは自分の内側で起こるのですが、きっかけを創ってくれるのは主に外界からの刺激。カタイ殻でできた自分の世界観にヒビを入れるようなボールを投げてくる現象(人や出来事)と出会うほど、気づきを得るチャンスに恵まれるかもしれません(^^)

・・・あらあら、そう思っているからでしょうか、私の周りには「逸脱」したような人が結構多い(大笑)。有難いことですネ♪ ユニークな考え方を持ってそれを生き様に反映させている人は本当に魅力的だと思います(^-^)

さて、今朝の神戸は曇り。昨日よりさらに涼しいです。あの暑さはどこへやら・・・ですね。そして台風が接近中ですね。

それでは今日も健やかに。

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サインカーブ(正弦波)

「まぁ、文系的に言ったら『因縁』。理系的に言ったら『遺伝子。サインカーブ』だね」

易学の先生のお話です。観方は違いますが、因縁もサインカーブも同じことなのです。

サインカーブって正弦波のことです。よく見るコレです

つまりサイクルなんですね。家系の中でも(つまり遺伝子的にも)これはあるそうです。そして名前にも不思議と現れる。歴史は繰り返す・・・でしょうか。

よく文系・理系と分けて考えたりしますが(私もしかり)、実は同じ景色を観ていた、ということも多いのかもしれないですね~

さて、今朝の神戸は曇りがち。さきほどは少し晴れ間も見えましたが、今週は雨が多そうな予報です。(あくまでも予報~♪)

それではみなさま元気な月曜日をお過ごしくださいね。いってらっしゃい(^^)

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ゼロの概念

「人間が、0(ゼロ)という概念を受け入れたために今の世界が出来上がってしまった」

彼女は遠い目をしてぼそっとつぶやきました。「出来上がってしまった」といいました。かれこれ7、8年前になるでしょうか。タロットの世界を通じて知り合った彼女は、京都に住む『不思議な』人でした。私にはなかなか理解のできない時間を超えた次元の世界の話をいくつも披露してくれましたが、いつのまにか霞のように消えてゆきました。消えていったというのは、関係性のことです。いつのまにか音信不通になりました。今はどうしているのかもわかりません。

彼女の語った不思議話の中で唯一強く記憶に残っているのが「0(ゼロ)の概念」についてのつぶやきです。今思えばもうあの頃から私は「数値の世界」にアンテナを張っていたのですね。その他の話はもうあまり覚えていないのです。

ゼロの概念は、インド数学で確立されたといわれています。コンピュータの世界は「0」なしではありえないと聞きます。姓名判断では「0(ゼロ)格」は良い意味でもそうでない意味でも特別視されます。天才的な要素を持ちながら突然「無」と化す。タロットの世界では数が割り振られていない「愚者(FOOL)」というカードに0を番号としてつけることもあります。愚者はトリックスター的な意味を持つカードです。

私たちの住む世界は、人類が合意して創り出す「概念」で成り立っていますから、ゼロの概念を受け入れた段階でそれに基づいた世界がどんどん育っていくのですね。・・・なんてわかったようなことを書きながらたぶんちっともわかっていないと思います、私(大笑)。

数値の世界は、人が考え出したあらゆる概念の中の主軸=背骨なのでしょうね。私は文系アタマですが、占術を通して数値の世界を覗き、マイペースで何か面白いものを発掘していきたいな~と思っています(^^)。

今日の神戸はほとんど一日中雨でした。それでも歩きたかったので、雨の中を散歩しました。緑が一層濃く目に映り、少しリフレッシュできたようです。

日曜日の夜ですね~。ゆっくりお過ごしくださいネ♪

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カタチになるとき

私には、毎日飽きもせず続けてやっていることがいくつかあります。それは日常のやるべきこと以外の類で、誰に頼まれるわけでもなく、好きでやっていることです。こういうことってホントによく続くものですね。過去に、やってみて続かなかったものも沢山ありますが、それは今思えばそれほど好きじゃなかった、それにハマらなかったんだなぁと思います。

続いている事柄は、1日のうちに費やす時間はどれもほんの数分です。1日1回のものもあれば、数回やるものも、気がついたらいつでもやるものもあります。ただ、やっているときは他が見えないくらいそのことだけに集中します。

コツコツ続けてきたものが、ある日突然、今まで味わえなかったゾーンにシフトする感覚を味わうことがあります。あれはまるで、ゆっくりと一滴ずつコップにたまり続けた水が、ついにコップから溢れ出る瞬間のようです(^^) もしくは、長いトンネルを掘り続け、それがめでたく開通した瞬間のようでもあります。

自分が続けてきたことの中に、そろそろコップの水が満タンになりそうなものがあると予感しています。こういうときこそ「ワクワク」しますね~。

コップから水が溢れたら、どんな世界が見えるのかしら・・・?

『好きこそものの上手なれ』 『毎日コツコツ』 は 必ず何かをカタチにしてくれるものですネ☆

さて、今日の神戸は穏やかに晴れています。静かな土曜日の午後。外も家の中も心地よいです。洗濯物のも楽しそうに日光浴中(^^)

それではみなさま、引き続き楽しい土曜日をお過ごしください♪

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「いただきすぎ」は困ったもんだ。の巻

「あのね、絶対にこういうことをしたらいけないのですよ。」

ただでさてコワモテの先生が、禁忌事項に触れるときは鬼化します(苦笑)。

姓名判断の鑑定練習のときのお話です。

「人は先祖があって生まれてきてはいるが、個人個人はまったく「個別」の人生なのです。生まれ落ちたときの星の位置がそれぞれ違うように(同じ星回りというのは二度とない)、まったく「個」として生まれてきている。・・・のにもかかわらず、親や先祖から〇×☆※▽(ここは控えます)・・・というのは絶対にアカン。」

えー。姓名判断の世界ではそうとらえるんですか・・・(驚愕)・・・知らなかった・・・

「というのは、先祖からもう〇〇を100%いただいているでしょう?それ以上受け継いだらそれは『いただきすぎ』なのですよ」

以前、「受け継がせてはならぬ、刻んではならぬ」という日記を投稿しましたが、ここはまたさらに別のお話です。ですが主旨は相通じるものがあります。

ハラ8分目がよろし。。とは言いますが、他にも当てはまることは沢山ありますね。パソコンも容量がいっぱいになると何かと不具合が起きます。

オナカをすかせた野生動物はいつも俊敏ですね。オナカ一杯の状態は「隙」がでます。酔っ払いも同様。「隙」は時に魅力も出しますが、「魔が差す」こともお忘れなく。

身軽が良いのですね(^^)。いただきすぎ、気をつけたいものです~。

さて、今朝の神戸は久しぶりに朝から爽やかに晴れています。気持ちよく、お洗濯と庭周辺の掃き掃除に励めました♪ 朝の時間は最高です。お掃除も、占術の勉強も、この日記も何もかも私は朝活のサイクルで動かしております。

それではみなさんよい1日を。今日はもう金曜日なんですね!(はや)

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自分を素直に感じる

人づてや何かの本で見聞きしたことですが、

『私はすべての人、すべての存在を愛せるようになりたい』 と言う人がいるそうです。

「愛」という言葉は実に曖昧でして・・・人によって「愛の景色」は違うでしょうし、愛は言葉では定義できないという人もいます。

そのことはひとまず横に置いて(^^)、私はどうかな~と考えると

「今はそうなりたいとは思えないな~」というのが正直なところです。

だって、嫌な人は嫌だし、嫌いな虫だってあるし、本当にキライだとそれこそ瞬間的に「拒絶」体勢に入ります(苦笑)。

ですが、「対象を嫌っている、嫌だと思っている自分」には気づいています。気づいているもうひとりの自分がいるので、「何をどう嫌なのかなあ」というところには焦点をあてることができます。

今の私はそんな感じです(^^)。等身大の自分を素直に感じてそれを認めることはとても大切です。

そして、「すべての存在を愛せるように・・・」という気持ちも、「ふ~ん。そう思える人、そう願う人もいるのね」という気持ちで受けとめます。発言者が本気でそう思っているのかどうかには興味がありません。一昨日の記事「ふ~ん。の効果」みたいに受けとめるだけ、です(^-^)

さて、今朝の神戸は曇り。今朝は鳥たちがよく鳴いています。心地よい自然音です(^^)

それではみなさま素敵な一日を♪

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人相もろもろ

私はこれまで、仕事と趣味の両方で様々な職業の人と接触する機会に恵まれました。秘書として働く上で、そして占術の世界の両方の中で、です。

経営者の秘書をしていた時代は、出会う人々が際立って多岐にわたっていました。一般企業で働く会社員の方々以外に、財界、政界、芸能界、法曹界、学術界、官庁、報道関係等々で活躍する方々とお会いする機会に恵まれました。そのことは今振り返ってみても、実に貴重な体験だったと感謝しています。顕在意識的にはかなり記憶が遠のいてしまったような感じですが、潜在意識的には私の中に出会った方々のお名前とお顔がデータとして蓄積されています。

一方で、占術の世界を通して出会った方々はこれまたユニークな人が多かったです。秘書の仕事を通して出会った上述の方々にはない個性、生き方を沢山見せてもらいました。

人が醸し出す雰囲気、特に人相は職種(仕事)の影響を少なからず、いえ、大きく受けています。何をしているか、どこに所属しているか・・・名刺でも日本語の場合は「会社名・部署名・肩書・名前」と明記しますね。これら全てを「ラベル」として自分にペタっと貼りつけているわけです。周囲はそのラベル=「あなた自身」と見て接してきます、この社会では。そしてあなたはそのラベルに沿ってこの世という舞台を演じます。・・・熱演してますか?(^^)

私は関西に移転してちょうど2年になりますが、今は昔以上に出会う人のお名前と人相に敏感になっています。関東と関西の人の人相の違いもこれまた興味深いです。やっぱり違うんですね。関東にも関西の人は沢山おられますし、その逆ももちろんなのですが、住む土地がその人(の人相)に与えている影響というものが確実にあるのだな、と感じます。

そして私自身も、何かしら変化しているんです(^-^)。

長々書いてしましましたが、人って複合的に、360度の全方位から外の影響を受けて生きている存在ですね。そんなことを想うとですね、

「私って言っている この「私」って何?」 とも思います。だって色んな影響から形作られているから。そしてその中で最も影響が大きいのがやっぱり「姓名」かなぁと今は感じます。会社名や所属名が不要な人はいますが、お名前がない人はこの3次元上の社会ではいませんので。。。だから私は姓名判断の世界にとても興味があるのです(^^)

さて、今朝の神戸は少しずつ晴れ間が見えてきました。昨日は空模様が目まぐるしく変わりましたが今日はどうかしら? ともあれ、笑顔で過ごしたいものですネ。

ではいってらっしゃい。私もいってきま~す♪

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ふうん。の効果

私は、自分が話すことより人の話を聞かせてもらうほうが好きです。特に人が好きで取り組んでいること、非常に興味を持っていること、叶えたい夢などを活き活き話してくれるのを傍で聞くのが好きです。

その際、必ず相手に問いかけます。

「どうしてそれが好きなんですか?」「なぜそれを叶えたいんですか?」

その人を駆り立たせる源の場所へ一緒に行ってみたいからです。相手がこの質問に答えてくれたら、さらに「なぜ?」を繰り返して掘り下げてゆきます。相手の答えは、その想いが純粋であるほど映像として私の前にどんどん広がります。時に不思議なことに、その人が今まで気づいていなかった「本当の動機」に行きつくこともあります。

もっと若いころは、人の話に耳を傾けられる自分ではなかったように思います。相手の話を聞いているようで、自分が次にどう答えるとよいかとか、いや自分はそうは思わないとか、ジャッジの眼がすぐ発動して無意識に会話を切断していたのかもしれません。

この変化は、経験や年の功・・・ということもあるとは思いますが(^^)、私が自分の世界観を大事にするようになったから、ということが強く影響しているように思います。自分を大事にすると、周囲の人の世界も尊重できるとは本当のことでしょう。

とはいえ、たまに、あまりに興味にはほど遠い話題だったりすることもあります。その場合私は、

『ふうん』 と受け止めるようにしています。

『ふうん。そういう世界もあるのね。ふうん。』です。 よくわからないけれど、否定はしない。コレ、とっても大切なことだと思いますヨ(^フ^)そして、そういうときこそ、「なぜそれに興味があるの?」という問いかけをすると、その話題そのものを超えてその人自身の心の奥へ入っていきますから、相手への理解を深めるチャンスとなります。

というのは、例えば占術の世界に対する見解は様々で、私が自分のことを話すと間髪入れずに「キライ・お断り」と一刀両断する人がいます(大笑)。それはそれでまったく構わないのですが、おそらく

「ふうん。そういう世界もあるんだ。」という余裕をもつと、相手を理解する姿勢が生まれるのと同時に、自分の中に新しい発見の芽が出てくるはずなのです。

世界観は人の数だけあるとはよく言われますが、それでも自分で自分の世界だけに閉じこもることは避けたいなあと思っています。それは、誰かの世界観を見せてもらうことで、自分の世界がもっと広がることを知っているからです。

さて、今朝の神戸は曇り空。昨夜も雨がよく降ったようです。今週は雨模様が続きそうですね。そして今日から9月です。光陰矢のごとし。毎日を大切に過ごしましょうね。

Hana_0901
季丘便り 伊野華絵(いのはなえ)
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※「数 ~神からの便り~」のページを更新しました

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