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2014年6月

命日によせて

夢にある人が久しぶりに登場しました。

神社の縁日のような風景でしょうか。レトロな感じのするにぎやかさの中で、大きな車から降りたその人はなつかしそうに周囲を眺め、顔をほころばせながら嬉しそうに何かを話しています。

わたしはそばにいて、そっとその人を見上げています。そういえばこの人はお祭りが大好きだったっけ・・・。

今日、6月30日はその人の命日なのです。あれから何年経ったかしら・・・。

月日が流れても、思い出せばすぐ寄り添ってくれる感触は今も変わりません。

特に今月は地上の私にわかるように、いくつかの具体的な「おしるし」をくれました。そして久しぶりの夢出演(笑)。カメさんペースな私の成長をほほえましく見守ってくれていることに心から感謝しています。

また、今日は「大祓(おおはらえ)」の日でもありますね。2014年も半年が経ちました。今日は今年半年分の自身を振り返りながら、静かに過ごしたいと思います。

Lavender

季丘タロット
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緩む大切さ

緩める。心と身体どちらも、緩めることってとても大切ですね。

ヨガも、緩めるために敢えて緊張するポーズをとるといいます。

ふぅっと息を吐いて安堵するのも、あくびも、緩みのポーズですね。そして、泣くことも。

身体は驚くほど、心のリクエストに素直に反応しているのだと思います。心の緊張をそのままダイレクトに感じ取ることが難しいときは、身体が自然と欲する動きに耳を傾ければわかることはとても多いはず。

緩むとは、リラックス状態のことをいいますが、リラックスすると、起こった出来事を俯瞰できるようになります。出来事という現象に飲み込まれるように没入すると、視野が狭く固定され、他が見えなくなります。固くて小さなハコにずっと押し込められていたら・・・身体も心も固くなりますね。

1日の中で、少しの時間でもひとりで自分をリラックスさせるような時間を意識的に取り入れると、心の中に空きスペースができます。パソコンでいうと、デフラグ作業でしょうか。

それを続けていると、自分の中のある「波のようなサイクル」を感じるようになります。それが自分の本当のキモチに気づかせてくれることも多々。

方法はひとそれぞれ。瞑想でも散歩でもなんでも。お気に入りの場所でお茶を飲んでもよし。空を眺めてもよし。考えることが遠ざかり、ただ感じることができるような行為が最適です。

心緩むような自分だけのひとときを日常にとりいれることは、とても大切ですネ。

Photo_2

季丘タロット
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夏至

本日6月21日(土)19時51分、太陽は、太陽黄経90℃に位置し、夏至を迎えます。

夏至は、春分・秋分・冬至とあわせて、1年のうちで最も重要なエネルギーポイントとだといわれています。特に夏至は、太陽のエネルギーが最大限に発揮される日。

古代から世界各地で夏至を意識したお祭りや建築物があるということだけでも、人々が太陽やその他の天体の動きを長い年月をかけて観察し、そのサイクルと密接にかかわりながら自分たちの命を繋いできたことがわかりますね。

占星術上では、夏至=太陽が「ふたご」から「かに」へ移動 となります。

「かに」は、「さそり」や「うお」と同じく四大元素(火・風・水・地)のうちの「水」に分類されます。水は、愛情や心、情緒などを表します。かには特に、人と感情を共有しそれが自らの活動力になります。そしてあの生き物の「蟹さんたち」を見ればわかるように、集団力は強大です。

『かに』というとわたしはいつも、「カップ(杯)」を思い出します。

水を受けとめる器としてのカップ。このカップの大きさはいろいろ。個人として満足を得られる範囲から、友人や恋人、家族、企業、社会、国、地球、太陽系、銀河系・・・器(うつわ)のサイズは、人や状況によってそれぞれですね。

自分の中のカップは、どのぐらいのサイズまで大きくできるかな~。これは視点を変えてみることと連動していますね。

そして、カップからあふれんばかりの情感豊かな毎日を送りたいものです。

Cup_2

そんなことを思いながら、今晩の夏至を迎えることにします。

季丘タロット
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【タロットカウンセリング】~対話から生まれる気づき

今月から、紹介制で対面式のタロットカウンセリングを始めています。

東京にいたころも細々とやっておりましたが、神戸への転居後、自分の軸がこちらの土地にしっかり定まるまで少し時間が必要でした。春ごろからしっかりとした安定感がでてきたように思いましたが、ようやくこのたびカウンセリングを再開する運びとなりました。

また、今住んでいる場所はとても「気」の流れのよい所で、いらっしゃるクライアントの方々もみなさん口をそろえて「気持ちがいい」といってくださるのが嬉しいです。

人は場所の影響を確実に受けるものです。改めてここ神戸の土地に感謝しています。

カウンセリングをしていると、「対話から生まれる気づき」とは本当に双方向のものなのだと痛感します。

カウンセリングの場合、立場としては相談をする側と受ける側という役割が割り振られますが、そこには上下関係はなく、対話のやり取りの中でどちらもが大きな気づきを得ます。当然、シナリオもないので(いえ、見えない背後で用意されているとも言えますが)、結果的に質問とは違うテーマに導かれ、深い内的体験に至ることもあります。そのとき必要な気づきを得るためにお互いがその時同じ場にいる。空間を共有し、エネルギーが共鳴しあいます。

この微細なエネルギーに触れると、不思議な高揚感と解放感にみたされます。物事を視点を変えて視ることと微細なエネルギーを感じることの間は深い関係があるように思います。

タロットカードはそのときのエネルギーを映し出してくれる景色ですね。その景色をみて自分の気づきを確かめられる、という効果があります。人は物理的に確認できる景色があったほうが納得しやすいのですね。

そして。涙というのは本当に「浄化」を促すものだと感じます。泣くって・・・スバラシイことです。解放感がもれなくついてくるのですもの。

いらしてくださるクライアントさんに沢山の気づきをいただいています。心から感謝しています。

ゆっくりと、自分のペースでこの道を進んでいきたいです。

そして、書くことでの自己表現ももう少し掘り下げていきたいな。自分が感じるビジョンを言葉にする産みの苦しみ・・・いえいえ、楽しみ。これにももっと力を注いでいこうと思います。

Hikari

季丘タロット
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白黒つけない

物事、できれば早くはっきりさせたほうがスッキリ、ですかね。でしょうね。

特に仕事の面、時間がせまっていること、焦っていること、停滞中でどうにかせねば・・・の状況のときなど、

「白黒つけたく」なりますね。

それでも時には、白黒つけないでそのままにしておく。

このことが流れをつくることもあります。

むか~し。お付き合いしていた人がそれを「囲碁」の話で言っていたのを思い出します。

「白黒つけないで、ちょっとね、グレーにしておくんだ。そうするとね・・・」

囲碁って、白と黒の石しかないじゃない~? 白黒つけないってどういうこと?
なんてサッパリ?だった私。

あれから随分経ち、なぜかこの今、記憶の図書館からそのときの会話が飛び出てきました(笑)。

考えないのではなく、見ないふりをするのではなく、「白黒つけないでおく」。

年を重ねると、視点を変えて受けとめることができる状況が広がりますね。きっとあらゆる経験のおかげなのだと思います。

白黒つけないタロットカード。一枚選ぶとすれば、これかな。ぶら~ん。吊るされた男。
ちなみにこの人は自ら逆さになり、そして笑っています(^^)

Tarot_12_3  

季丘タロット
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後ろ姿

午後、氏神様へお参りに行きました。

毎月、日は決めていませんが必ず氏神様にはごあいさつを欠かさないようにしています。お参りに、とふと思った日に身体が自然とお参りに出向きたがります。

御手水の場所で、白っぽい服の女性二人に会いました。親子(母・娘)のように見えました。私より先に鳥居をくぐり、ゆったりと歩きながら本殿の前へ。わたしは二人が参拝する間、少し後方で立ち止まり、その様子を見つめていました。

こんなに美しい後ろ姿を見たのは・・・久しぶりだなあ。

おもわず見とれました。本殿の前で手を合わせる二人はさすが親子というべきでしょうか、立ち姿、たたずまいが瓜二つでした。そしてその後ろ姿からは、何かを願う気持ちよりも感謝の念があふれているように思えました。

参拝後、娘さんが振り返り身体をこちらに向けたとき、彼女のお腹のあたりがふっくらしていることに気づきました。妊婦さんでした。わたしは自分の心の中がふわっと温かくなりました。彼女の中のもうひとつの生命と対話させてもらったような気持ちになりました。

誰かの後ろ姿でこんなに爽やかな気持ちになれるのですね。

自分の後ろ姿はどんなもんかなあ~。

なんて思った午後のひとときでした。

0616_shrine
季丘タロット
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異視点の間(はざま)で

「人生を俯瞰するシステム」を手に入れている人は強いです。

何が起こっても心をニュートラルに戻し、人生を駆動してゆく力を忘れないからです。

人生を俯瞰するシステムとは、人生サイクルの全体像をつかめるような世界観です。世界観にはトータル性が必要です。わたしは目下、占星術やタロットをそのシステムとして活用しています。

世の中には様々な占術や哲学、思想がありますが、それらはすべて「人生の俯瞰システム」なのだとわたしは考えます。

「東洋の○○占いでは当たっているけど、西洋の△△占いではあまりピンとこない」ということがあるとしたら、それは自分に合うシステムが東洋の○○占いのほうだ、ということです。

なんとなく惹かれるもの、興味が向くものは自分の内在と合うシステムでしょうから、そこから入っていけばよいわけです。東洋人だから東洋の・・・とも限らないところが面白いですね。

意識が肉体に宿った時に、人それぞれその人に適した俯瞰システムがプログラミングされているようにも思います。それを現実世界で意識的に活用するかどうかは別として。

どの占い・哲学・思想も、それらが発祥した歴史的・文化的背景がありますので、それらを無視して成り立ってはいません。ただ、源流をたどればたどるほど、交点がありそうですね。とはいえ、そこを突き詰めると、「これこそ唯一の」と排他的視点になりかねないのであまり重要視したくないです。とはいえ、東と西の占いの交点はなにかなあと、興味はあります。

さて。わたしが俯瞰システムを理解するうえで、強烈に影響を与えてくる人物が二人います。仮に、AさんとBさんとします。彼らはどちらも占術家ですが、極端な相違点と共通点があります。

二人とも、システムの軸は、「数の論理」です。数値に異常にこだわります。ただ、その数への観方はそれぞれです。たとえば、数字の4をどうとらえるかは景色が全く異なります。

また、両者とも、日々、自身の可能性を追求すること尋常ではありません。「可能性を掘る」、ということ以外の執着はほとんどないのでしょう。組織にも従属せず、何もないところから何かを始める人たちです。どちらもわたしよりうんと年上ですが、その生きる活力は、まるで少年のようです。ああ、カッコイイってこういうことだよなあ。なんて、惚れ惚れします。

一方、二人の決定的な違いは、「今回の人生」への視点です。

一冊の本を「人」にたとえるとしましょう。Aさんは、その一冊をすべて眺めます。全部読んだとして、今回の人生という1ページの中身を読み込みます。他のページは別の人生、つまり、魂や輪廻転生はある、という概念をもとに今生に挑みます。

ところが、Bさんは、一冊の中の1ページにとことんこだわります。他のページはどっちゃでもええ(どっちでもいい 笑)、とにかくこのページを解読しきろう、という意気込みです。
したがって、前世の話など一切しません。輪廻転生があるかないかの議論は不要、という姿勢です。(ないと思っているわけではないようですが)

面白いことに、Aさんの読書量は半端ではなく、歩く図書館みたいな人で、Bさんは小説など読んだことがない、という人です。オモシロイ。

二人とも、それぞれの俯瞰システムから世界を見ています。・・・で、わたしは同時期にこの二人に会ってしまい、どちらからも影響を受けています。

一時期は、二人の相違点の間で神経が引き裂かれそうになりました。・・・いったいどっちがほんとうなのか?と。

その異なる視点の間(はざま)で、ワンダラーになっていたのです。

そして、迷いの中で気づきました。どちらかのシステムに丸ごと染まろうとするから、迷うのだと。同時に、どちらの世界観にも惹かれるのであれば、わたしという個の中に、どちらの俯瞰システムの因子もあるのだな、と。それを融合しつつ、では、自分の視点の位置はどこなのだろう?と模索しているのだなと気づきました。

今現在、わたしは自分の視点を「丘」という言葉を使って表しています。この視点は固定ではないように思います。自分の経験と意識の変容によって位置が変化するだろうなあ、と。そして、それが成長なのだと思います。

人との出会いや出来事は、さまざまな視点をわたしに与えてくれます。上述のお二人のみならず、日常で出会うすべての人々がわたしに異視点を投げかけてくれることを歓迎したい。それが、わたしを成長させてくれる化学反応だから。そう思えたら、快・不快どちらもよい経験なのですね。経験を積み上げる中で、自分の中の俯瞰システムを構築していけたらなと思っています。

Tokiokatarot_flowerhill

季丘タロット
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片思い中の貴方へ

いま、片思い中の貴方へ

好きな人がいるって、素晴らしいことですね。その人が視界に入るだけで人生バラ色になるじゃないですか。さらに目が合った、話が出来た、一緒に帰れた~なんてことになったら心臓バクバクですね(^^)

その想いが募ってくると今度は辛くなったりして・・・。ううう、恋、ですね。

好きなら、素直に好きと言えばいいんです。

・・・が、現実そう簡単にいかないもののようですね。どうしても相手の気持ちを先に探りたくなったり、告白してもフラれたらどうしようとか、それでなくともときには「言えない」事情があったりしますね。

そんなとき。

ひとつ、自分のためになる考え方があります。

異性を好きになるとき、異性に惹かれるときってどういう時だと思いますか?

好きになるのに理由なんてない。という声も聞こえたりしますが・・・

実は、自分の中の欠けたものを見つけたときなのです。

欠けたものというと、「ない」みたいに感じるかもしれませんね。別の言葉でいうと、本当は持っているのにうまく発揮できていない、外に表現できていないところ、ということです。

その発揮できていないところを目の前で披露してくれる相手に、、惹かれるのです。

占星術でみると、火星は男性を、金星は女性を表します。誰の中にもどちらもあります。

男性がある女性を好きになったとき、それは自分の中の「金星」を彼女に投影しています。

女性がある男性を好きになったとき、それは自分の中の「火星」を彼に投影しています。

これをふまえ、好きな人を観察してみましょう。

「いったい自分はあの人のどの部分に惹かれているのだろうか?」 と。

外見が好みなだけ、と思うこともあるかもしれません。でもそれは思い込みで、実際外見で惹かれる部分はほんの少しだと思います。誰もが見えない内在部分をしっかりとキャッチしているものなのです。本当に惹かれたならば。

この観察は、自分の可能性を掘り出すヒントになります。惹かれている部分は、自分がまだうまく発揮できていない、活用できていない部分だからです。

えー。・・・そんな説明味気なくて、恋じゃない?

そういう方は、どうぞ片思いの気持ちに悶々とひたってください。いえ、素直に「好きだ」と伝えちゃいましょうね。

というわけで、今朝は片思いをテーマに綴ってみました。

Photo

季丘タロット
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恒星~自ら光る星~

恒星とは、自ら光を発する星のことです。

わたしたちの住む太陽系では、太陽が唯一の恒星です。太陽を中心として、他の天体が回っています。恒星である太陽の周りを回っているのが惑星です。地球も惑星のひとつです。

太陽は月と同様、暦の上では欠かせませんし、占星術上でも主役となる天体です。

占星術で太陽をみるとき、そこには自分の人生を創造してゆくときの可能性(方向性、性質)が刻まれています。
「今日の星占い」などで、あなたの星座になっているところが太陽星座です。太陽系にはほかにも天体が沢山ありますので、太陽星座だけとって自分を探るのは限界がありますが、少しは参考になるのかもしれません。

繰り返しますが、太陽は恒星であり、恒星は自ら光を発する星です。

自ら光る ということはどういうことなのか・・・。

感じ方は、人それぞれです。

視点を変えてみると、星たちを「占い遊び」よりももう少し深いまなざしでみることもできそうですね。

Sun
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見えないものを感じるコツ

見えないものを感じるコツ。・・・何だと思いますか?

仮に悩みがあったとします。どうしてよいか迷っているとき。悶々としますね。・・・決められない自分。ちょっと苦しいです。

その後、決断できたとします。ようやく答えを探しだしました。

霧が晴れたようにスッキリしますね。心が何かを「選択」できたときです。

これをタロットカードに例えると、山盛りのカードの中から一枚選んで表を向けたその瞬間です。カードは絵柄を通じて何かしらのメッセージを伝えてきます。

ところが、よく見てくださいませ。

表になったカードの周りには、裏向きに置かれたままのカードが沢山横たわっています。
それらは、あなたが選ばなかった可能性のすべてを含んでいます。

そう、決断するとは、選択したもの以外の可能性を見ないことにする、ということです。

だから、めて、そして、つ(=ほかの可能性を)、なのですね。

カードをシャッフルしていてふっと、思ったのです。

あ~。一枚めくるって、他のカードを裏側のままにしておくことなんだな~、と。

これが、見えないものを感じるコツ。

つまり、自分の選択の背後にある裏側の存在もしっかり認識することだと思うのです。

わかりやすいのは勝負事かもしれません。

例えば自分が勝ったとします。そしたら、必ず、負けた人がいるのです。競争で自分が一番だったとします。そしたら、必ず一番以外の人たちがいるということ。そういう状況の「選択」があったということ。

別に勝つな、勝つことがいけない、ということではないです(笑)。

裏側の存在にささえられている目の前の世界。そんな認識をいつも心のどこかに忘れずにいたいな、と。それが、見えないものを感じるコツなのだとわたしは思います。

Moon

これ、月の「裏側」です。月は、いつも地球に同じ側しか見せていないってご存知でしたか?そう、お月さんにも「裏側」があるのですよ~。

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内と外

誰の言葉かは忘れてしまったのですが、こんなことを聞いたことがあります。

「瞑想していると、身体から離れた意識は拡大し、ひたすら遠くへいくように感じるのだけれども、それは同時に自分の体内の中に小さく、小さく入って自分の身体の中を旅しているような気もする。」

不思議だなあと思って聞いていました。
が、なんだかわかる気もします。

みなさん、「涅槃寂静」という言葉をご存知でしょうか?

涅槃寂静(ねはんじゃくじょう)とは、仏教用語で「悟りの境地」をあらわす言葉です。

この言葉、実は「数の単位」でもあるのです。

涅槃寂静=10のマイナス24乗。 日常使う単位とは程遠い、小さな小さなミクロ世界です。

では、「阿僧祇」という言葉をご存知でしょうか?

これも仏教用語で、「数えることのできない」という意味だそうです。

阿僧祇(あそうぎ)=10の56乗。これまた日常生活の中ではあまりなじみのない、大きな大きなマクロ世界です。

面白いですね。宗教的な言葉の中に「数の単位」になるものがあるなんて。

そして、最初の話題に戻りますが、

瞑想して意識が遠くへいくのは、あたかも阿僧祇の方向へ進んでいるようで、同時に涅槃寂静へも向かっているのではないかな、とわたしは思うのです。理由はわからないけれど、直観的にそういう気がするのです。

だから、外へ行けばいくほど、実は内へ内へ、とベクトルは向けられる。

よく、ひとつのことを探求しつくすと、そこに「世界」が生まれて他のことにもあてはめ物事を見られるようになるといいます。これは、上述の瞑想と逆で、内へと向けられたものが外側に拡大していた、ということではないでしょうか。

内と外は、どんどん進んでいくと内に向かっているのか外に向かっているのかわからなくなるということなのでしょうか・・・。たどり着くところが同じだ、と思うのかもしれませんね。

『人の振り見て我が振り直せ』

あらっ、急にこの言葉を思い出しました。・・・同じことを指しているようにも思えます。

内と外。深いなあ・・・。

みなさんはどう思われますか?

Nonohana_2

季丘タロット
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動けば落ち着く

考えがまとまらないとき、どうも気持ちが落ち着かないとき、わたしはよく散歩に出かけます。近くの住吉川はもちろん、歩くのに気持ちの良い環境のおかげで、散歩が一番のリフレッシュになります。

思考や感情が滞ると、身体も同じような状態になりやすいものですね。このままじっとしていると悪循環だな、と気がついたらすぐ散歩に出かけます。

テンポよく歩くときもあれば、速度をおとしてゆったりのんびりブラブラしたり、そのときの気分に任せてルートもさまざま。

歩いていると徐々に頭がすっきりし、気持ちも落ち着いてきます。

また、面白いことに、目に留まるなにげない風景が、自分の潜在意識からあがってきたメッセージを代弁してくれることも多々あります。たとえば、すれちがった誰かの会話の中にとか、散歩中のワンコと目が合った瞬間とか、近所の家の壁の模様をみたときとか・・・ひょんな偶然の景色から知りたかった答えをもらうのです。散歩中のわたしは相当リラックスしているのでしょうね。

散歩に限らず、仕事でもそれ以外でも、身体が動いているときのほうが考えも感情も「落ち着く」ような気がします。

「落ち着く」とは、心が安定していてかつ頭がピンと冴えていること。

自分にピッタリの落ち着き方を知っていると疲れにくくなります。

以前、ある方のタロットのセッションを受けたとき、セッションの間中ずっと、なぜかその方も私も、1時間以上「立ったまま」でした。これがたまらなく楽しく、充実していたのをおぼえています。座っているより躍動感があって、思考が発展的になりました。その方も、椅子に腰かけた状態は苦手だとおっしゃっていました。

ちなみにわたしは部屋の中で立ったまま本を読むのも好きです。頻繁に場所も移動します。落ち着きがないのではなく、これが落ち着くんです。

・・・たまに歩きながら本を読んでいる人をみかけますね。アブナイのでわたしはやりませんが(笑)。

季丘タロット
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言葉や形を超えた世界

今朝はなぜか、昔観た映画「ヒア アフター」を思い出しています。

大津波にのまれ臨死体験をしたジャーナリストの女性。

自分の霊能力に悩まされる男性。

双子の兄を交通事故で失った少年。

この3人の人生が運命的な交差をするストーリー。

マット・デイモン演じる霊能者は、自分の能力を嫌悪しながらも
様々な依頼者の相談を受けることに。
彼はそのとき、相手の手を握ります。
形のない微細な世界を、肉体の手という媒体を通して読み取っているのですね。

わたしも以前、ある人の手に偶然触れたとき、突然思い出したことがあります。

『あなたに出会う前に、わたしはあなたと夢で逢っていた』ことを。

理屈ではないところで確信がありましたが、証明できるはずもなく、ましてや
その人に伝えたところで・・・なのですが、ここに書くということは伝えたい気持ちがあるのかもしれません(笑)。

わたしたちの身体は意識の乗り船としての「器(うつわ)」だと思うのですが、その器は膨大な記憶の図書館のような場所と繋がっているのでしょう。

目にみえる世界は時間枠の中に制限され、目にみえない微細な世界は時間を超える。

ふたつは一見別世界と思われがちですが、切り離して考えられない、切り離しようがない陸続きの関係なのではないでしょうか。

どちらにも同じまなざしを向けたいと思います。

Ajisai
紫陽花が楽しめる季節になりましたね。
わたしの心をふっと解放してくれた想い出の花。紫陽花さんはそんなつもりはまったくなかったのでしょうが・・・(^^)

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天使のラッパ

タロットカード20番は「審判」。上空から天使がラッパを吹いています。

Judgment_20

私の中でも、天使がラッパを吹くときがあります。

実際に天使が現れてラッパを吹くのではありません。
そういう意識体みたいなものを もうひとりの大きな自己で感知するといった感じです。

そのときは、

「我に返った」

ようになります。

我に返るの「我」って誰でしょうね?(笑)

それまで考え事をしていて はっと我に返る・・・という我ではないです。

このカードには時間の制限を超えた世界が入り込んでいます。
天使のラッパは過去のものを呼び出すことができる・・・だから「復活」という意味もあるのですね。

それから、「生きよ」というメッセージがとても強いと感じます。

ラッパは、強く息を吹きかけないと音がでません。

息を吹く=呼吸する

呼吸をすることは、「生きること」 の大きな象意です。

呼吸も生きることも、ただするのではなく、意識的に取り組んでいきたいですネ。

Tokiokatarot_astrology_birth2

季丘タロット
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雑感:タロットと占星術

わたしは長らくタロットと西洋占星術の世界に魅了されています。

本格的に学び始めたのはタロットが先です。10年以上勤めた会社を退職後、2ヶ月ほど欧州を一人旅している最中、なぜかふっとおもいつき、そこからがスタートでした。

占星術はそれ以前から興味はありましたが、実際に学び始めたのはタロットよりも後です。また、本腰を入れだしたのは去年のこと。タロットとはまったく違った脳の使い方をしますし、とにかく調べること、覚えること、先が遠すぎて観えなくて・・・正直、凹んでいます。

これからもっと凹むでしょう・・・(笑) 終わりはないのですから。途方にくれる。。。

ですが、一生モノの学びだと喜んでもおります。また、何事も、たとえ道の途中でも活用できることはおおいにありますものね(^^)

タロットも占星術も、自分がどのような意識で接しているかを自分に突きつけられます。

タロットに、星に、自分の意識が投影されてしまうのです。

人をジャッジするための道具にしていないか、自分が今観ている景色はどの位置からの視点か。常に注意、です。俯瞰が大事です。

ただ、最近、この「俯瞰」ばかりしていると、細部に没入してなんというかこう、
思い切り人間臭いドロっとした味わいを忘れるのではないか、

もしかして自分はそれを「避けよう」としているのではないか、
ということにも気づきました。

たとえば「感情」に入り込む、ということもときには必要なのではないか、
と思ったりもします。

私は、自分の成長のためにタロットや星の世界の扉をあけたのだと、いまははっきり思えます。

タロットも占星術も人間が創った思想体系のひとつに過ぎませんが、トータル性のあるものを学ぶと、その体系と自分が共鳴し、自分という宇宙全体を客観的に眺めることができます。その結果、自己の気づきや成長に確実に繋がるのだと感じます。

人って、生まれて、体験して、そして成長して、源に還っていくのですね。

巡り巡る、サイクルです。

Tokiokatarot_astrology_consciousnes
季丘タロット
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☆上記サイトに、季丘の星・あなたの星をUPしました☆

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遠近両用でいきましょう

遠近両用でいきましょうね。・・・ってメガネの話ではないです(笑)

占いの世界にハマるとですね、時としてド・近眼になってしまうのです。

あの人とはどうなるんだろう、試験に受かるだろうか、引越しは・・・から始まり、極端な例だと

「明日は何を着て出かけたらよいのだろう~」
「今日のお昼は何を食べたらよいのかしらっ」

ということですら、何やらにお伺いを立てて・・・という事態が。

コレ、実際に聞いた本当の話です(笑)。笑い事じゃないかも・・・。

特に強烈に何かについて当たったことがあったとすると、そこからハマっていくのですね。細部に。細部になりすぎて何も決められなくなる、精神が閉じ込められて何もできなくなるのです。

逆に、ド・遠視になってしまうこともあります。
タロットは象徴言語としての「絵」で描かれていますので、抽象度が高いです。すると、俯瞰しすぎてしまい、かなりぼやけてきます。ビジョンは素晴らしいのだけれど具象化・着地したくなくなって浮遊します。

カメラのレンズでたとえると、ズーム・インとズーム・アップの上手な調整が必要ということですね。

占いは、適度な遠近両用がいいと思います。

20140530_uji_006
話題が変わりますが・・・上は、先日訪れた宇治の平等院。
カメラのズームイン・ズーム・アップにかなり苦心して、やっと撮った1枚デス。

季丘タロット
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ジョバンニとカムパネルラ

「カムパネルラ、また僕たち二人きりになったねえ、どこまでもどこまでも
いっしょに行こう。僕はもう、あのさそりのように、ほんとうにみんなの
幸(さいわい)のためならば僕のからだなんか百ぺん灼いてもかまわない」

「うん。僕だってそうだ」 カムパネルラの眼にはきれいな涙がうかんでいました。

「けれどもほんとうのさいわいはいったいなんだろう」

ジョバンニが言いました。

「僕わからない」 カムパネルラがぼんやり言いました。

「僕たちしっかりやろうねえ」 ジョバンニが胸いっぱい新しい力が湧くように、
ふうと息をしながら言いました。 

~「銀河鉄道の夜」宮沢賢治著より~

主人公・ジョバンニは、友人のカムパネルラと丘の上から銀河鉄道の旅に
出かけます。このお話は、星やシンボルがふんだんにちりばめられていて、
著者・宮沢賢治からのあふれるほどの霊的なメッセージを感じます。

彼は仏教徒(法華経)ながらキリスト教の教えの影響も強く受けていたようですが、
作品からは、特定の宗教という枠を超えた真の信仰心の高さがうかがえます。
何度読んでもじんわりと奥深く、読む度に新しい発見があります。

ジョバンニとカムパネルラは、タロットカードの「太陽」にあらわされるツインの関係
だったのでしょうね。

Tarot_sun_2

このツインは、カードを読む視点によって幾通りにも解釈できます。ジョバンニは
カムパネルラと一緒になることで、「みんなの幸(さいわい)のためならば・・・」
という境地に至ったということ。それは、自己(低次の自我)が
もうひとりの自己(高次の自我)と合体した象徴なのだと思います。
二人ひとつになれたから、銀河鉄道の旅に出発できたのです。

タロットカードも奥深く、自分の霊性の成長度合いでさらに理解が深まってゆきます。

季丘タロット
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めぐりあい

「めぐりあい」。・・・なんだかドキっとする言葉ですね。

めぐりあい は、出会い とはまた違ったニュアンスを含んでいますね。言葉で説明できずとも、わたしたちはそのニュアンスを解っているものです。日本語は奥が深いですね。

「巡り」、そして「出会う」のです。

巡り とは、サイクルですね。人はお互いそれぞれの人生の巡り(サイクル)の中でどこかに交点があり、出会うのです。別れてもまた再び出会うことがあると、まさに、「巡り・会い」ですね(^^)

サイクルも色んなスパンがあります。一日・一月・一年・一生、そして・・・

あなたは輪廻転生を信じますか?

わたしは・・・あってもよい「概念」だと思います。という程度で今のところは信じています。

わたしたちが魂として輪廻しているのであれば、「めぐりあい」は別の人生からの続きとしての「めぐりあい」ともなりそうですね。そう思うと、「袖振り合うも多生の縁」を彷彿とさせるような言葉にもなります。

人生、不思議なことが沢山あります。

「めぐりあい」もそのひとつ。・・・この言葉、思わず両手で包み込みたくなるくらい、大好きです。

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季丘タロット
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