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2014年2月

ルドルフ・シュタイナー

今日、朝から何度となく頭をよぎったこの方の名前。

ルドルフ・シュタイナー。

気になって調べると、なんと。・・・本日 2月27日は彼のお誕生日ではありませんか。

すでにこの世を去っているので、天に向けて Happy Birthdayの想いを送りました。

Steiner_2

彼の世界観を語るには、私はまだまだ理解が足りません。

ただ、彼の

『 「精神“科学”」という言葉にも表れているように、霊的な事柄についても、理性的な思考を伴った自然科学的な態度で探求するということを、最も重要視していた。 』 *Wikipedia ルドルフ・シュタイナーから引用

この姿勢に私は心から賛同しています。

シュナイナーの名前をご存じでない方は、以下を"ほんの"ご参考までに。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%83%89%E3%83%AB%E3%83%95%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%8A%E3%83%BC

人間とは何かを追い求めた先人が数限りなくおられます。そしてその探求の仕方は人の数だけ、あるのですね。

季丘タロット 伊野華絵
http://homepage3.nifty.com/inohanae/

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夢の不思議

こんばんは。今日も楽しい夜がやって来ました。毎日お布団に入るのが楽しみな私です。寝ることが大好きなのですが、なぜ好きかって、ズバリ。夢を観たいから、です。

Moon_2

以前からよく、「不思議な夢」を観ます。西洋占星術から探る私の特質によると、どうやら私は夢を観る力がとても強いようです。いや、観た夢を覚えているのが得意といったところでしょうか。これは走るのが速いとか、料理が上手とかいったようなひとつの技能のようなものです。そう知ってからはますます寝ることが好きになりました(^^)

私にとって「不思議な夢」とは、その後の人生の流れに大きく影響する夢のことです。これから起こる事象を示唆する類のものだけでなく、夢を観ることで劇的な心の治癒(ヒーリング)が起こったこともありました。亡くなった人からのメッセージ的な夢もあります。いつもそのような夢とはいかず、もちろん、日常の雑多な思いがなだれ込んだだけのものもよくあります。そんな夢の翌朝は、ひとりで残念がります。雑念にやられたあ~と(笑)。

夢のストーリーはきわめて象徴的に展開するので、観た後の解釈が必要です。これはすぐわかることもあれば、解釈に何か月も、ときには一年以上かかることもあります。今振り返れば、夢解釈のスキルはタロットのリーディングの能力の向上と比例しているように思います。どちらも、絵やそのストーリーから真意・深層の世界を読み取ることだからです。

「夢は観るけれど、起きたらすぐ忘れてしまう。覚えていられない」 という声を聞くことがありますが、ある程度訓練すると、少なくとも印象的な夢は覚えたまま目覚めることができるようになります。

一番よい訓練は、夢日記をつけることです。起きたらすぐつけられるように、枕元に紙とペンを置いておくのもよいでしょう。録音機も便利かもしれません。断片的でもよいのでとにかく覚えているシーンを書き綴ります。そしてできるだけ思い出すようにがんばってみましょう。

それから寝る前に、「明日起きたとき、私は自分が観た夢をしっかりとおぼえています」と宣言してねることも効果的です。そしてさらに大事なことは、寝る前は外界のモロモロ刺激物(テレビ、音楽、読書、心が揺さぶられるようなモロモロ)をなるべく遠ざけること。それらが夢へ影響しないために。夜は心静かに過ごし、落ち着いた状態でベッドに入ることです。少し瞑想してから寝るのもよいかもしれませんね。

また、観た夢の分析については、夢解釈の本やインターネットでのサイトなどが参考になるでしょう。ただこれはあくまでも参考だと思います。歯が抜けたらこうだとか、お葬式の夢はこうだとか、一般的な解釈がありますが、それは本当に参考程度にして、その夢を観たとき自分はどう感じていたか、前後の期間に他にどんな夢を観たか・・・などを加味しながら分析してゆくことがとても大切に思います。そして日常生活での自分の変化と照らし合わせ、現実的な出来事と心の部分をよく見つめるきっかけにするとよいと思います。ですので、夢解釈は長いスパンで観ていくのがオススメです。夢解釈は、自分をより深く知るための偉大なツールのひとつだと思います。

毎晩、私たちは眠りながらどこを旅しているのでしょう? おそらく、肉体から離れ、「意識」としての体で、日常よりも高い(深い)意識階層にのぼっている(潜っている)ように思います。(飛んでるのか潜ってるのか微妙な感じ)そう、誰でも毎晩意識は身体から離れているのです。そのいつもとは違った意識階層で観る景色が「夢」なのだと思います。階層はいくつもあるのだと思います。そして観る夢はどの意識階層かによって異なってくるでしょう。

こう書きながら、「インセプション」という映画を思い出しました。まさにあの世界ですね。

日常で自分が気がついている自分の意識は氷山の一角です。夢を通してもう一歩高い(深い)意識を覗くことで、驚くほど自分の中の何かが解放されます。そしてこの現実世界が動き出すことがあります。現実世界での実行ボタンは「あちら」にあるのだ、ということですね(^^)

最後に補足で、お昼寝の夢。短時間の睡眠中に、コッテリ・ビックリなものを観ることがあります。さらに上級編は、通勤途中の電車の中でたった一駅の間のコックリで観る夢(笑)。

夢の不思議。タロットや星とともに、もっともっと掘り下げていきたいと思っています。

さあ、今日はどんな夢が待っているかな?

おやすみなさい。

季丘タロット
http://homepage3.nifty.com/inohanae/

 

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ラヂオ体操第4

なんとまあ、こんな体操がっ(笑)

その名も、「ラヂオ体操第4」。

キレのある動き。そしてバランスと柔軟性。自分が昔、体操をやっていたからでしょうか。ファッションモデルさんたちのポーズやウォーキングより、こういうお姉さんたちを観るほうがよりうっとりしてしまいます。

人間の身体って美しいですね。・・・鍛錬すればするほど(^^)。

ハード(肉体)もソフト(精神・心)も、どちらも日々意識して動かし、大切にしたいですね。

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久しぶりに The Snowman

ここのところ冷え込みが厳しいですね。

神戸は、雨まじりの雪がちらついたぐらいでしたが、旧住所の東京では大雪だったようですね。今日は積もった雪でゆきだるまが作れるかな?

ゆきだるまといえば、Snowmanのアニメですね。大好きな作品。大人になった今でも、です。約26分、この世界にがっつりと引き込まれます。で、最後はいつも泣く。坊やの気持ちに同化しきってしまう私です。

Snowmanは夜中の午前0時に主人公の坊やが作った身体に命を宿します。そういえばシンデレラの魔法は0時に切れましたね。午前0時は不思議な時間です。

Snowmanの設定はクリスマスだけれど、ゆきだるまが作れるほど雪が降ったなら見ごろかも? ぜひお楽しみください(^^)

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マイペースで星学び

「誰でもみんな、その場所でそれぞれの役割があるからねえ」

むか~しむかしの職場でのこと。あいつは全く仕事ができない、皆に迷惑をかける人だと、ブーイングの声があがっていた社内で、とある部長さんが発した言葉でした。

昨日、しげしげとホロスコープを眺めていた際、そのときの部長さんの言葉が突然蘇りました。

ホロスコープとは、占星術で占うときに作成する天体の配置図のことです。

Chart

このホロスコープから、実にいろんなことが視えるのです。タロットと同じで、理解すればするほど深く視えてきます。

例えば何か聞きたいことがあるとします。悩みがあるとします。それを星に問いかけると、そこで展開されたホロスコープにその質問に対するあらゆる事象が刻印されています。占星術師はそれを読み取るのがお仕事です。

展開されたホロスコープ上のどこに惑星、恒星が位置していて、それらの関係性はどうなっているかで、投げかけられた問いに対する答えの景色は変わってきます。この円内には12の部屋があるのですが、その部屋にはサインといって12種類の性質に色付け(専門的な説明は省きます)られています。ホロスコープはまるで舞台のようです。配置されている天体たちはみな、その舞台に登場する人物、出来事、関係性を表します。・・・ね、とっても面白いでしょう?

私がなぜむかしの部長さんの言葉を思い出したかというと、このホロスコープに配置する天体たちを視ていて、

「人はそれぞれ役割を与えられて、各自が各持ち場で精いっぱい演じて光っているのだなあ」

と思ったからです。

ここでとても大切なことは、その舞台上から、たとえば火星はいらないから除外、とかはできないのです。太陽系内で発見されている、そして占星術上で取り入れられている天体はみなこの円の中のどこかに必ず位置します。いつもオールスター・キャストです。天体はどれもある固有の「役割」を担っています。

また、太陽が2つあることはないのです。太陽系内で太陽はただひとつです。水星も金星も、他の天体もそうです。

置かれた立場でそれぞれが必要な「経験」をします。それは単体ではできません。他の天体との交流があってこそ生まれる経験です。そこには、楽しい経験だけではないところがミソです。不快な経験、悲しい出来事からも学ぶ「何か」が秘められています。その体験をするために悪役を担っている星もあるのです。舞台も悪役がいると盛り上がりますね、なぜか(^^)

シェークスピアの有名な言葉を借りて。

この世は舞台、ひとはみな役者。・・・ホロスコープは舞台、星々はみな役者。

地上での出来事は、天の星々の軌道が織りなすハーモニーなのだと思うと、

宇宙のロマンが体中を駆け巡ります~。

好きなことの勉強は楽しいものです。ただ本を読んで用語や技法を覚える、という学び方ではなく、テキスト内容に沿いながらもそこに自分の体験から得た気づきをブレンドさせ、少し寄り道をいれつつ勉強してゆくと、進みは遅いですが本当に心が活き活きとしてくるのが感じられます。

Yozora

季丘タロット
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0.3秒の勝負?

出会った瞬間、聞いた瞬間、なんでもいいのですが、何かを受信した瞬間に、

パパパァッ!

と、すべてが把握できることがあります。

易者さんでも、クライアントさんが座るやいなや、弾丸のようにしゃべりだす人がいるでしょう? あれも最初の瞬間の情報を逃さずに伝えている姿です。

すごいときは、質問する前に答え始めますね(笑)。

最初の情報をしっかりキャッチできれば、判断を誤ることはまずないです。

それは、0コンマ3秒以内の勝負だと思います。

そうでないと、脳で「思考」が動き始めますから。外側から仕立て上げられた価値観で分析し、答えを探そうとしてしまうのです。

見た瞬間、聞いた瞬間、感じた瞬間、何かを始めたその瞬間。ココのポイントがとても大事なのです。西洋占星術でもそのことが語られています。

東の地平線と黄道(太陽の通り道)の交点をアセンダントと呼ぶのですが、ここは天体が上昇してくる点であり、つまり、視界に入ってくる瞬間の地点なのですが、このポイントはホロスコープを読むうえでとても重要な情報を含んでいます。

Asc_5

たった0.3秒の試合に勝てるときってどんなときなのでしょうね。

うーん。まだつかめていません。・・・ですが、十分リラックスしているときであり、受信アンテナが5本ぐらい立っているときであり、きっと、どなたも日常のどこかで経験していることだと思います。ただ、幸運の女神の前髪のようにあっという間に通り過ぎてしまい、つかみそこなうことが多いだけですね。

0.3秒の勝負、日ごろから勝率あげる努力をしておくと、何かと便利です。

動物は能力高そうですね。・・・ネコでも見習おうかな・・・ニャ。

Cat_2

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「あなたは代わって下さったのだ」の視点

昨日、神谷美恵子さんの本について触れましたので、もう少しそのことを書いてみたいと思います。自分の過去を振り返りながら。。

彼女の本を初めて手に取ったのは、20代前半の頃。当時の私は精神的にとても不安定でした。昨日のイアン君の話ではないですが、ディプレッション(うつ)に陥っていたと思います。

いわゆる「うつ」の時期は、私の人生で何度となく波のように押し寄せました。

おそらく小学校の頃からあったように思います。学校の成績はすこぶるよかったのですが、いつもどこかでしらけ・冷めていて、学校や先生や授業の内容に生き生きとした光を感じられませんでした。先生や友達の前で「いい子」を演ずれば演ずるほど、心は裏腹に自分を闇に追い込んでいくようでした。家では若干気が緩むからでしょうか、たまに発狂じみた行動をしていたと思います。当時はそんな自分を俯瞰できるはずもなく。

思えば赤ちゃんの頃から奇妙だったのかもしれません。ふと昼寝から目覚めて天井の模様を見つめ、

「わたしという存在は ひとりなのだ」 と ハラをくくったのを覚えています。そこに悲壮感はなく、「ひとり」というのも孤独感から来るものではなく、自ら望んだ「独り」を覚悟するという気持ちでした。

どの部屋に寝かされていたか覚えていますので、そこに住んでいた時期を確かめるとたぶん2歳以下、のことです。そんな記憶あるの?と疑われてもあるのだから仕方ないです(笑)。

コントロールが効かないほどの最初の大きな落ち込みピークは、タイミング悪く、高校時代の大学受験の頃にやってきました。

突然、「なぜ生きているのか」、本当にわからなくなってしまったのです。いえ、なぜ生きているのかわからない自分に気がついてしまったのです。

当時私は進学校に通っており、周りは大学受験対策に大忙し。生きる意味そのものを求めて彷徨っている私は勉強に忙しくなれるはずもありません。成績も燦々たるものでした。

親を交えての進路相談の時間。先生の前で私は突然泣き出しました。

「先生、わたしはなぜ生きているのかわからないのです」、と。

ところが先生(故人)は、私の大泣きを冷静に受け止めてくれました。静かに苦笑して、

「悩む時期が今なのが困ったなあ」と言いました。彼が私を拒絶せず、私の悩みを心では「よ~しよし、大いに悩め」と喜んでいるのが私の救いでした。母親は隣でただ黙っていました。さぞ驚いたことでしょう。悲しいことに、一番身近な家族にこの問いをぶつけられない自分がいました。先生にはあの日の私をあのように扱ってくれたことを今でも感謝しています。

通学途中のJRの電車のなかで、「この電車は終着駅まで行ったら海に近いから、このまま乗っていって海に入ろうか」と思った日もありました。ただ実際そんな勇気はなかったのか、いつもの駅で人の流れに押され自分も降り、そのままふら~っと学校に向かったのをいまでもぼんやり記憶しています。

そんな落ち込みの続くある日、私はふと庭先に目を遣りました。梅雨の時期らしく、雨がしとしと静かに降っていて、あじさいがその中でしとやかに青とも紫ともいえぬ花を咲かせていました。

私の頭をこんな思いがよぎりました。

「毎年誰にも教わらないで、こうやってちゃんと梅雨が来たら咲いてるんだ」

と、そのときに、自分の中に巣食っていた黒いベトベトしたものがポロリと剥がれ落ちたのです。

理由はわかりません。ただ、花を観たその行為で私の中を今まで支配していた何かがきれいになくなっていました。

Photo

その後、私は流されるように同級生と同じように受験勉強のモードに入ってゆき、いつしか「うつ」という症状は消えていました。消えたというより、時期が悪いからとりあえず押入れにしまった、という感じですね。希望大学に合格し、うつはどこへやら喜び勇んで東京へと移転しました。

ところがまた、同じような、いや、もう少し深いレベルで向き合う時期が来たのが20代前半でした。

ちょうど社会人になりたての頃です。就職し、秘書という特殊な立場でしたが人にも恵まれ、一見順調にOLを楽しんでいるかのようでした。が、それはやってきました。

渇望しているのです。「恵まれているのに」のなぐさめが全く効きません。ヒタヒタと忍び寄る、「漠然とした不安感」は何よりも恐ろしいものでした。

そのころ出会ったのが、神谷美恵子さんの著書です。

神谷美恵子さんは、美智子皇后さまのご相談役としてのお顔が有名ですが、国連関係の仕事にも従事され、精神科医であり、翻訳家でもあり、自ら執筆もなさったようなマルチな女性です。

彼女の著書の中で初めて読んだのが、昨日ご紹介した

生きがいについて』 です。

何をしたい、何になりたいというより、生きることそのものについての答えを欲していた私にとって、彼女からのメッセージは救いのような存在でした。同じころ、聖書や仏典、あらゆる心理学・カウンセリング関係の本を手に取ってみましたが、どれも何か自分からはほど遠いところで語られているアドバイスのように聞こえました。

私が神谷美恵子さんについて知る中で受けた一番の衝撃は、彼女が19歳の時に訪れた、ハンセン病患者の施設で感じた彼女の想いです。

彼女が、岡山県の長島愛生園をたずね、そこにいる人々と接して思ったことを詩にしているのですが、その中で彼女は

「なぜ私たちでなく、あなたが? あなたは代わって下さったのだ」 と表現しています。

神谷美恵子さんのこの言葉を知った時、私は

「なんという視点をもつ人なのだろう」と 驚愕の想いでした。

そのころ誰もが敬遠し嫌う病を患っている人々を、"あなたは代わって下さったのだ" と感じられる神谷さんは生きるということについてどのような考えを持っておられるのだろうか?と。

善意ぶってその場で言葉だけにすることなら私なんぞにもできるのかもしれません。

ところが彼女はその後、その愛生園の医長に就任し治療にあたることになります。その希望も周囲の反対がありなかなかその意志が叶わず、長い間その思いを秘め決してあきらめませんでした。妻・母・医師・執筆・研究の役割も果たしつつ、病に倒れるまで愛生園での仕事を続けられました。

詩に綴られた彼女の想いは本物だったことがよくわかります。

私は今、タロットや星を通し、人間について深く知りたいと思っています。20代の頃に出会った神谷さんの著書は、「生きる」ということはなんぞや?の当時の私の苦しみに別の視点を投げかけてくれました。

彼女の

「あなたは代わって下さったのだ」

の視点は、私が日常を送るうえで、そしてタロットをするうえで 灯台のような「光」となっています。物事をとらえるとき、あらゆる視点・・・たとえば、少し高い位置から俯瞰できるような視点、あるいは相手の立場からの視点を自分の視点と並行してもてるかどうかで人生の景色が変わってゆきます。私はそのことを、「丘」という場所を象徴として表現したいなと思っています。

季丘タロット
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イアン・ソープ氏のこと

昨日、水泳選手でオリンピック金メダリストのイアン・ソープ氏が「うつ病とアルコール乱用治療で入院」との記事をインターネットで目にしました。(以下、記事掲載ページ。)

http://mainichi.jp/sports/news/20140131k0000e050242000c.html

シドニー、アテネオリンピックでの大活躍時代、テレビでこの人を見たとき

他の選手にはない、独特のオーラを感じたのを思い出します。何か非常に精神性の高い、隠者のような一面を持つアスリートだなぁと。

好きな選手だったので今回のニュースには少なからずショックを受けました。

と同時に、とても高いハードルを自ら用意してそれを飛び越えようとしている真っ只中なのだなと強く感じました。

話題を変えますが、私の愛読書の一冊に、神谷美恵子氏の

『生きがいについて』 があります。

20代前半のころ、彼女の著書を食い入るように読んでいた時期がありました。

上述の本の中にこのような一節があります。

「・・・ウォーコップにいわせると、人間の活動のなかで、真のよろこびをもたらすものは目的、効用、必要、理由などと関係のない「それ自らのための活動」であるという。たしかに何か利益や効果を目標とした活動よりも、ただ「やりたいからやる」ことのほうがいきいきしたよろこびを生む。」(「生きがいについて」みすず書房 P20. から引用)

実は、今朝、本棚にあるこの本がとても気になって、久しぶりに手に取り、パラパラとめくったところこの文章が目にとまり、私の脳裏で昨日のイアン・ソープ氏の記事と重なりました。

彼は泳ぐことが大好きだったに違いない。それだけでなく、水泳競技の中で自分の精神を高めることを怠らない向上心の高い人なのだろう。ただ、期待、名声、評価など外界から押し寄せる途方もない波にいつの間にか飲まれてしまい、真のよろこびが霞んで見えなくなってしまったのではないだろうか? と。彼は、子供たちへの慈善事業にも積極的に取り組んでいるようですが、その活動すらも彼の内的な生命力を活気づけるものでなかったのですね。

一度引退したものの、ロンドンオリンピック出場を目指し再復帰していたと知りました。その夢も絶たれ、自分とは何かを水泳以外でとことん見出そうとチャレンジしているからこそ、「うつ」という症状を体験しているのだと思います。わたしは、「うつ」の症状は、エネルギーを発する方向にとまどって、自分の内側に放出してしまっている状態だと理解しています。うつになりやすい人は、もともととても強いエネルギーの持ち主。発する方向さえきちんとしていれば素晴らしい活動を展開できるはずなのです。

彼はあれだけの実績を出した人物。持っているエネルギーは測り知れないでしょう。それだけに、今の症状も深刻で苦しんでいることと思います。

今回のようなニュースを聞くと、

「いくら金メダルをとっても、有名になっても、そのあと幸せ続かないんだよなあ」

と言う人は沢山いると思います。

たしかに金メダルが人生の幸せを保証してくれるわけではありません。ですが、彼のような人たちがすごいのは、目標に向かって他の可能性はすべてシャットアウトして、全身全霊でチャレンジしているということなのです。そこまでする人はそういませんね。ふつは皆、「そこそこ適当」がラクでいいわけです。

イアン・ソープ氏が目指すのは、この後のさらなる高みだと私は信じています。

努力してきたことを最高の形で証明し、喜びを味わった。その後、自分からその証をとったら自分に何があるのか?と必死で向き合っている最中です。自己証明であるような水泳を自分から取り除くなんて、「死」と同じ思いでしょう。そう、一旦、自分の努力で作り上げた誇り高き「塔」を自分で壊したのです。そして次のチャレンジです。自分が愛していた、全てをかけてのぞんでいた水泳から切り離した自分でも、何のタイトルもない自分でも、「私の存在そのもの」を心から愛おしく受け入れたとき、彼の中でディプレッション(うつ)が終焉するのだと思います。

私が彼のことを「隠者」のように感じるのは、彼がその高みにまで行ける人だと思うからです。

オリンピックの「オ」の字の可能性もない私のような立場の人間が、
「金メダルとっても幸せにはなれない。本当の幸せとは〇〇なのだ」

というのと、

オリンピックで金メダルを取った彼が
「金メダルとっても幸せにはなれない。本当の幸せとは○○なのだ」

というのでは、意味に雲泥の差があります。彼はいずれそれを言って人々を導ける人になるのだと思います。

赤道の反対側にいる、会ったこともない日本女子にああだこうだ~言われたくないと思いますが(^^;)、イアン君のファンのひとりとして、ここに応援メッセージを記します。

彼は自叙伝を一昨年秋に出版しているのですね。「This is Me」、ぜひ読みたいな。・・・といっても今は占星術の洋書で手一杯な私でした。・・・いや、読もうと思います(^^)

★追記(2014.02.03):
海外のメディアによるニュースですと、その後イアン・ソープ氏が病院に行ったのはうつやアルコール乱用治療のための入院でなく、肩のケガ治療のためであり、彼のマネジメントチームは報道を一部否定しているようです。事実のほどは本人や関係者しかわかりようもありませんが、彼が内的に不安定な状態と長らく闘っていた(いる)のは確かなようで、自叙伝でそのことを告白しているとのこと。やはり著書は読みたいな・・・。

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