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2011年9月

パリでの日々

ブログのアップが久しぶりです。約1週間、パリで過ごしてきました。20日の夜に羽田を発ち、今日の早朝に帰国。ただいまぁ。

帰宅してまだ8時間ほどしか発っていないのに、

『あれは夢の日々だったのではないか』と思えるほど遠く・・・そう、遠いというのは、まるで遠い昔のことみたいだという時間的距離ではなく、次元的相違の差といった感があります。

日常をいったん手放し、別の世界へトリップしたような。それほどパリでの日々が私にとっては異空間でありました。ひたすら歩き、パリ市内に点在する様々なシンボルをたどりながらその各々の場所のエネルギーをひたすら感じてきました。身体は相当に疲れているはずなのに、テンションと波動が最高に上がっていて・・・元気です^^

旅は、自分の心と向き合う絶好の機会を与えてくれます。日常のタスクから離れ、できれば遠くそしてできれば一人で赴くと、内的な旅の体感度が格段に上がります。

普段はタロットをしながら日常からの気づきを深めていくことが私の在り方ですが、こうした一人旅も何年かに1度とり入れると、非常によいスパイスになります。最高の旅でした。

これから少しずつ、旅で気づいたことを綴っていきたいと思います。どうぞお楽しみに☆

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身体への感謝

入浴時、朝の目覚めの時、夜の眠りの時、ヨガを終えた時・・・

1日の中で私は数回、意識して自分の身体に感謝の言葉を発するようにしています。

できるだけ声を出して。

「自分を大切にしましょう」といいますが、これは心もカラダも両方ともを指します。

また、心を大切にしていれば自ずと身体も大切にするようになりますし、身体を大切にしていればいつの間にか暖かい心模様になってきます。

永らくやっていて感じたのは、実際に声をだして「ありがとう」を言うことは、健康に大きな影響力があるということです。自分の身体の全細胞に語りかけるように、感謝の言葉を伝えます。かつ、タッチングすればさらによいと感じます。

人は皆、人から感謝の言葉をもらったら心から嬉しいように、細胞もまた同じなのです。そのことに気づいた時、

身体の中の1細胞も、自分と言う人間一人も、そして地球も、・・・サイズは違ってもどれも意識をもつ生命体なんだなあとしみじみ思ったのでした。

そして、生命体にとっての一番の活力は、感謝のエネルギーなのでしょうね。

一番身近な、そしてお世話になっている自分の身体内の細胞への感謝をぜひ皆さまも。

心臓が1秒たりとも休まず動くことも、呼吸が寝ている時も続けられるのも、当然なことなのではなく、実は奇跡であり、その背後で数えきれない生命体の働きがあるのですね。

そう思うと、自然に出てきませんか? 『ありがとう』って。

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タロットと繋がる

占い師は自分のことは占えないもの。というか占うのは難しい。

なんて、聴いたっけ。タロットを習った学校でもそう聴いた。教えられた。

果たしてそうだろうか? ・・・と今の自分はそれに対し疑問を投げかける。

「占う」という行為をどうとらえるかによるのかもしれない。

未来予知、という意味なら、確率は100%でないのかもしれない。

でも。

「自分はどうしたいのか」については、如実にでる。カードがそのまま語っている。

語っていないように思えるのなら、読みが甘い。もしくは、カードに問うときに何か別のことを一緒に思い、その想念を混じらせていただけだと思う。

『自分はどうしたいのか』。究極のところ、皆これを求めているのだと思う。どうしてよいかわからないから迷う。不安になる。誰かに依存したくなる。

自分がどうしたいのかが分かっている人は、成功するか失敗するかだけに焦点を当てていない。したいからする、やりたいからやる、実にシンプル。

リーディングでも、自分がどうしたいか、に導くとその人の顔は別人のように輝く。

タロットと繋がるってそういうこと。だから、自分のことをリーディングするときも、

『自分はどうしたいのか』という心の声を聴くスタンスなら、占い師も自分のことは観ることができる。私はそう思ってマス。

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お月見の夜に

中秋の名月。仕事帰りに最寄駅を出てふと空を仰いだら・・・お月さんと目が合って、

自然に思いだしたこと。数年前、ある神社で引いたおみくじにあった言葉。とても心に響いて、大事にとっておいたのだ。

『憂さも、つらさも腹立たしさも、心ひとつのおきどころ』

~大空にすむ月の光(かげ)も、見る人々の心によって、楽しくも、悲しくも、腹立たしくも眺められる。自分の身辺に起る凡(すべ)ての事柄の中に神様の有難い御教(みおしえ)、忝(かたじけ)ないみさとしを味わって、感謝の気持ちで眺めれば、身も心もほがらかに、禍いも自から転じて幸(さいわい)となって来る。~

今宵のお月さまを、あなたはどんな気持ちで眺めているのでしょうか?

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人生は舞台

リーディングを通して、あるいはそれでなくても人の人生経験を聴くたびに、

『人の数だけ 人生があり、ドラマがあるなぁ』と しみじみ思います。

人生はまるで舞台ですね。その人の「人生舞台」では、その人自身が主役です。関わる人は何らかの役割を持って、その舞台に出演し、一緒にドラマを創り上げてくれます。

あなたという舞台は、どんなテーマを掲げて幕を上げたのでしょうか。

あなたは、幕が上がって下りるまで主役です。脇役に主役を乗っ取られたり、降板して代役に主演をつとめてもらうことは避けなければなりません。

あなた以外の人たちも、舞台のテーマに沿ったそれぞれの役割をもって出演しているわけですから、そこに良いも悪いも、善悪の判断もないのでしょう。ウルトラマンには怪獣という戦う相手がいないとドラマが成り立たないように、です。

同時にあなたは、他人の舞台にも出演しています。関わる人全ての舞台に、何らかの役として。

人はお互いに関わり合って生きているんですね。不必要な縁(役割)など何もないのかもしれません。大事なことは、「舞台の上で役を演じきる」ことなのではないでしょうか。主役の舞台はもちろん、どんな小さな脇役の舞台でも、です。

人生は舞台。・・・そう思うと、人と関わること、関わるその瞬間の大切さを感じませんか。

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顔は語る

今朝。ラジオから聴こえてきた美容家のコメント。

『20歳(ハタチ)の顔は 親からもらった顔。 40歳の顔は自分が創った顔。』

なはは~。そうでしょうねえ。顔にも人生が刻まれるものですね。

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他人をジャッジするようじゃぁ・・・まだまだ

朝の出勤時。

オフィスでは、いつも警備員の人が出入り口の数か所に立っておられる。

出社する社員に向かって、『おはようございます』と挨拶してくれる。

義務的な感じをぬぐえない人もいれば、一人一人の目を見て丁寧に挨拶してくれる人もおられる。私はその警備員さんをひそかに尊敬している。

もちろん、私も『おはようございます』と元気に挨拶する。

・・・ところが、挨拶をされても何のリアクションもなく平気で通り過ぎる人のなんと多いこと。
毎朝私はその様子に「そりゃないだろ・・・」と感じていた。

だけど・・・ですが。なんと私もやってしまったのだ。

その日の朝はオフィス到着時に何か深い考え事をしていたようだ。色々思いめぐらせているうちに、挨拶をしてくれる警備員さんをよそに平気で横切っていた自分に後になって気づいた。

なんだ、自分も同じことやる人間じゃないか。・・・何か大きなことに気づかされた。

挨拶をしない人に対して、私は自分の勝手な思い込みで「なんて人」とジャッジしていたのだ。その人は前日は挨拶を返していたかもしれない。たまたまそのとき、何か考え事をしていて挨拶もそっちのけになっていたのかもしれない。

人はその人のその瞬間の事情が必ずあるのだ。

毎日挨拶しない人もいるだろうが、それも私が「ジャッジする」範疇のことではないのだ。

なんでもアリなのだ、というわけではない。でも何か人に対して批判的になる場合、その視点はどんなものなんだろう? 自分は他の状況で実は同じことをしていないか?の客観的観察は必要なのだと思った。

この挨拶のケースに限らず、私の体験から感じることは、

「人をジャッジしていることがあったら、自分もそのことを過去か未来にしている行為だ」ということ・・・デス。う~ん、日常の出来事から教わることは多いです。

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自我をなくす=最高の自己表現?

テレビを見なくなってもう・・・5ヶ月近く経つだろうか。

ちょっと止めてみよう、という軽い気持ちだった。

止めてみて、意外にもテレビは「なくてはならないものリスト」には登録されていなかったことを実感。面白い気づきだった。

代わりに、たまにラジオを聴くようにした。すると面白いインタビュー番組が連続してやってきた。

ひとつは、山形でレストランを経営するシェフへのインタビュー番組。もうひとつは、建築家へのインタビューだった。

二つのインタビューに共通していたことが、私の興味をひいた。

それは、『自分の個性を作品(料理あるいは建築物)に出さないこと』だった。

シェフは言う。

『その食材の素材を活かすため、最高の形で引き出すために、自分は調理のテクニックを極力抑えるのです。そうすると、食べた瞬間は劇的な感動がなくとも、食していくうちに、お客様は徐々に『・・・うん、美味しい』と納得してくださる』

建築家はこう語った。

『自分の才能や個性を、どうだ!と出すのではなく、その環境に溶け込むような建築物を建てることが大事なのです。』

言葉の表現は上述とは若干違ったかもしれないけれど、時間をそれほど隔てずラジオからこのお二人のインタビューを聴き、深く心を打たれた私。

・・・そして、最高の自己表現とは、自我をなくし、全体の調和に溶け込むこと、全体の調和を保つために力を注ぐことなのだなぁと改めて気づかされました。

一見、相反することのように思えるけれど、自我をなくすことと最高の自己表現はイコールで結べるのだと。

そういうことができる状態は、おそらく、意識が『俯瞰的存在』であるのだと思います。

ひとりひとりが、「自分は全体の中の一部であり、全体のために今自分はどう機能できるか」の視点をもてたら・・・とつくづく思う今日この頃です。

まずは自分自身がその実践をできる人間でありたいですね。

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内なる太陽

内なる太陽・・・それは、自分の心の中にある太陽のことです。

霊的太陽とも言われます。

誰もが内なる太陽を持っています。持ってはいますが、それをいつもその輝きを外へ発しているか否かは、その人次第です。

空にある太陽は、お天気の日は光が地上に降り注ぎますが、雲に隠される日もあります。

内なる太陽も同じで、雲(曇った心)に隠されて、本来の光を周囲へ発することができないこともあります。

・・・ということを、タロットを学ぶ過程で聴いてはいたのですが、私は長いこと、この『内なる太陽』についての実感がわきませんでした。

ただ、今は完全にその太陽の存在に気づいている自分がいます。どういうプロセスを経て気づいたかはわかりません。タロットに長く深く接してきたことももちろん関係があると思いますが、それだけでもない気がします。年を重ね、経験を増やし、日常の生活の中からも太陽への気づきのきっかけが沢山あったように思います。

一人でも多くの人に、自分の中の太陽に気づいてほしいと思います。気づくとどういう感覚になるかは今はうまく言えません。ですが、気づくことで

『自分が宇宙そのものなのだ』、ということに疑いをもたなくなります。

これは、「自分こそ一番だ」とか「自分が誰よりも優れている」という感覚とは違います。むしろ全く逆で、

『自分は 全体の一部で、全体と一体化している存在だ』、と思えるのです。

これは本当に・・・なんというのかな、あえて表現するならば、幸せな・・・感覚です。(うーん、ちょっと微妙に違う)

太陽は、誰の心の中にもあります。いつも晴れの日にさせるかどうかは、その人次第なのですね。

Tarot_19_2

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