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2011年7月

夢の不思議

2年ぐらい前に観た夢を急に思い出した。

友人と電車のホームで待ち合わせ。予定していたのとは違う方面の電車に友人と共に飛び乗る。電車の中で彼女はある不思議な行動をとる・・・

そして現在。その友人は今、あの夢が象徴したような人生を歩んでいる。仕事の路線を少し変更し(=乗る電車を変更する)、あの不思議な行動は彼女の仕事の象徴となっている。

上述の夢は私のことでなく、彼女の将来を暗示していた夢だった。夢は自分へのメッセージとは限らないものだ。でもどの夢も、とても何かを私に伝えたがっている。それが誰のことなのか、内容は予知なのか警告なのかアドバイスなのかごちゃまぜなのか・・・うーん、解読には訓練が必要だ。

タロットと同様、夢解釈を活用して自分を含め、誰かの助けになれれば、それもまた嬉し。

さぁ、今日も夢をみるぞ。・・・と気合を入れる日は観ないことが多い(笑)

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何が真実か

この世の何が真実か・・・について、下記の記述はすごいな。はっとした。自分の判断基準なんて、所詮こんなものなのか。よく、「ジャッジしないこと」と言われるが、それにも通じるか。

http://laitman.jp/2010/08/27/the-sweet-taste-of-truth/

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フレミングの法則

先週、連休に繋げて小旅行をした。前半3日間は、いわゆる聖地といわれているような場所を訪れ、朝5時台から夕方まで、毎日20-30キロぐらい歩いた。ほとんど下調べもなく行ったが、さくさく動けたし道中、よい出会いもあった。緑の多いところは実に気持ちがよい。良い気=プラーナを取り込んでいるからか、そういう旅のときはおなかがすかない。普段も少食な私だが、さらに拍車がかかる。気持ちよくて嬉しくて、おなかがいっぱいなんだな。1日1食程度、汗を大量にかいたので、水と塩は豊富に取った。

滞在時の2日目の晩、夢にあるサインが登場した。

右手。しかもこんなポーズ。まさにこれ。音もセリフもなし。ただこの右手だけ、ニュ~っと出てきた。

http://www.geocities.jp/hiroyuki0620785/k4housoku/fureming.htm

翌朝目覚めたとき、「どこかでみたよな~。あの指って・・・なんのことだっけ?」と首をかしげたが、物理か理科の授業で習った「フレミングの法則」だと思いだし、自宅に戻ってから色々調べてみた。

現時点、あの夢がいったいどんなメッセージを私にもたらしてくれたのかは半分もわかっていないけれど、あの右手の象意はとても重要な意味があるのだと思う。

そしてたぶん、あの聖地といわれている場所の磁場と関係があるのだろう。もしくは、磁場、磁界、素粒子、電気の流れ、、、そういう類に関連してのメッセージなのだと思う。

・・・聖地なら、天使とか観音様とかいった夢が膨らむような象意で登場してくれればいいのに(笑)、夢にも個性があるのだろう、私はこんな感じ。いや、むしろスピリチュアルとは関係のない象意で示してくれたほうが自分にとっては有難い。妄想ではないメッセージ、とわかるからだ。

やはり、夢は面白い。特に旅先での夢はダイナミックだなあ。解釈に時間がかかりそうだけれど。

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皆が先生、皆がメッセンジャー

『出会う人皆を 神様だと思えばいい』

以前交流があった人(彼はいわゆるヒーリングを生業とする人)にそう言われた。

そのときは、

「そんなアホな。思えるわけがない。あの人も?この人も?・・・無理無理。ありえな~い」と思っていた。

でもですね、ちょっと心の持ちようを変えてみると、神様とまではいかないまでも、出会う人すべてが先生に見えるわけで。先生かつ、自分に何かを伝えてくれるメッセンジャーに思えるのだからこれ不思議。

心の持ちようを変えてみるというのは、うまく言えなけれど、おそらく

『ハートを開く』ということなのだと思う。

現在の私は、ハートが開いている。つまり、心が開いている。この感覚は確かなものだ。これは、誰にでも愛想がいいとかおしゃべりというものでは決してない。これまたうまく表現できないけれど・・・わかる人はわかると思う。

ハートを開くと、扉を開くようなもので、あちら側から色々入ってくる。

それで、出会う人々の色んなものが入ってくる。出会う人というのは、自分の鏡なので、その鏡に映った存在が入ってくるわけである。

ということは、相手を通して、自分が入ってくるわけで・・・。

自分を、もろ「目の当たり」にするのであるから、『ハイ、これがあなたね』と言われているようなものである。

相手の言動、すべてが自分のうつし鏡なのであるから・・・素敵だと思えばステキだし、感じ悪いと思えば感じ悪い、そのものが自分なのだ。

感じ悪ければ、改めなければならないのは、相手でなく・・・自分である。

そういう意味で、

『出会う人すべてが先生であり、メッセンジャーである』のだ。

世の中うまくできていますね。

そうそう、私はこの言葉が好きだ。

「自分中心に世界が周っていると思ってるよね」

自己チューな人を非難するときに使われる表現だけれど、いやいや、その通りでしょう。

目の前の世界は、自分が描いた世界でしかないのだから、自分中心に世界が周っていて正解です。そして、人の数だけ、世界があります。そして、見える世界は自分で創っている=自己責任、ということです。

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占い師は脅し屋?

苫米地英人さんが、著書の中で

『占い師は脅し屋です』と書いているのを読んで、思わず大笑いしてしまった。

・・・当たっている、そのとおりだと思うのだ。

でもねえ、ときには脅し屋さんも必要なわけですよ。

人を脅してでも、その人の命を救う占い師さんも私は知っているし。震えあがるほど動揺しないと、意識改革ができない場合もありますでしょう。

単に脅してお金を取る占い師もいるでしょうけれど。どんな易者に会うかは・・・まぁ、その人の運命?

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いにしへの

「いにしへの 道を聞きても唱えても わが行いに せずばかひなし」 島津忠良

~昔の貴重な道について聞き、それを口に出して唱えることができても、それを自分自身の行動にすることができなければ、何の甲斐もないことである。~ 『島津日新公いろは歌』

・・・おっしゃる通りで御座います。 

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後ろ姿

私は後ろ姿の美しい人が好きだ。

姿勢、肉づき、歩き方。後ろ姿から、その人のもつありとあらゆる情報が私には見える。生き方の景色、みたいなものか。その人の「目」と同じぐらい、私は注目してしまう。

「子供は両親の背中を見て育つ」というが、これも真実だと思う。

鏡を見て顔を洗って髪をとかし、女性は化粧をし(最近は男性も?)・・・も大事な身だしなみだけれど、後ろ姿にも気を配りたいものである。

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心こそ

『心こそ 心迷わす 心なり 心、心に 心許すな』

以前にある人から教わった 沢庵宗彭による言葉だが、やっと今になって

このメッセージの深さが把握できるようになってきた。面白いことに、毎日ある運動を始めてから、である。体を動かすってやはり大事なこと。

外側の世界でもなく、他の誰かでもなく、一番気をつけて(監視して)いなければならないのは、自分の心であ~る。ハイ。

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真の教師

生きるうえで、本当に大切なことを「さりげなく」教えてくれる存在は、

『先生』と呼ばれない人なのだろうなとつくづく思う。

教壇のような少し高い位置から物をいう人、あなたに~を教えましょう、と高い料金徴収して何かを授けようとする人の中には、真の教師は少ない。そもそもそういう人は、『先生』と呼ばれることで、知らず知らず無意識界の中にエゴと傲慢さが膨れ上がるからだ。

「先生と呼ばれ始めるとロクなことがない」と誰かがいってたっけ。

真の教師は、まるで空気のような存在なのかもしれない。あるいは、近所にいる人懐っこいおじちゃん、おばちゃん、・・・いやいや、年上とは限らない。無垢な赤ちゃんや子供もおおいに真の教師になりうるから。

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