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2011年3月

エネルギーの誤用

予断を許さない状況が続く福島の原発事故。・・・現場の人たちや専門家に任せるしかないのだが、原子力という「エネルギー」の問題を通して、人間ひとりひとりが抱える大きな問題に気づく。

それはエネルギーの誤用。私たちは普段、自分が発しているエネルギーをしっかり管理できているだろうか。内側で怒りや恨みなどの負のエネルギーをためこみ、誰かに向けて発射したりしていないか。考えてもらちがあかないことにエネルギーを注ぎ、体が漏電状態になっていないか。想念はエネルギー化する。自分が発するエネルギーの質や方向性に責任を持っているか。・・・わが身を顧みる。

この世はマトリョーシカ。身の回り、社会、世界で起こる事象は、人間個々の「何か」の投影とも言える。原発事故は、今後実際の原子力問題を見直す必要があるとともに、自らのエネルギー管理について内観をしてみるきっかけになると思う。

エネルギーの誤用。自分が事故を起こしてしまう前に、見直そう。

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四股ふんじゃった

ここのところ不安で眠れなかったり、落ち着きがなかったり、・・・そういう人がとても多い。私も含め。

そんなとき。どっしり落ち着ける方法がある。

四股ふんでみてください。・・・まさか、この感じが読めない人いないですよね?(笑) 四股(しこ)です。一応書きます。そう、お相撲さんがやってるアレです。

実際やってみると、お相撲さんのようにあそこまで足あげるのは大変なんだな、こりゃ。必死でやると体が熱くなります。そしてどっしり感が出てきます。第一チャクラ強化。落ち着きます。

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日本列島

なんで今まで忘れていたんだろう。・・・テレビの横に、去年の11月から飾ってあるポストカードに気づいてハッとした。私は誰かにハガキを送るのが好きで、気に入ったカードがあると買っておくのだが、そのカードだけは自分用に手に入れ、そして飾っておいた。

そのハガキとは。・・・上空から撮った日本列島。全景だ。青い海に囲まれた、バナナのような、龍のような島。

昨日一日中、一人で家にいたせいか、気が滅入ってしまった。友人に連絡をしたり、家族と電話をしたり。・・・でも不安な気持ちはなかなか消えなかった。

カードを観ていると、不思議と落ち着いてきた。そしてまた「君が代」を思い出す。私はこの日本列島という船の船員なのだ。

自分一人のことだけを案じていると不安になる。恐怖の足音がする。日本全体の景色に意識を置くと・・・不思議と落ち着く。これって何だろう?あ、そうか。『個を全体に溶かす』作業と同じことなんだ・・・。エゴへの執着は不安と恐怖を呼ぶ。

もう何年もタロットを通して気づいてきた様々なことがあるが、ここにきて意識に関しての大きなシフトを迫られているのだろうなと思う。体主霊従ではなく、霊主体従、だ。タロットカードで思いだすのは『塔』のカード。塔にエネルギー(霊)が注ぎ込まれ、その中にいた肉体(人間)は外へ追い出される。家の主が変わるのだ。

私はタロットの世界に魅せられながらも、いわゆるスピリチュアルワールドには懐疑的な人間だ。否定的というより、見えない世界に参入することへの畏怖感のようなものだと思う。そこへの扉が少しずつ今、開き出している。開いたら・・・入るしかないのだろう。

震災後も地上での命の存続を許されている者として、これからの自分は何ができるか、今までの古い概念を一度クリアにして、自ら再出発する決意でしっかり生きていきたい。

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君が代

被災地の人たちのことを思うと・・・と自分を叱咤激励しつつも、余震や原発事故への不安をぬぐえずに過ごしている関東圏の人たちは数多くいると思う。

少し冷静に考えれば思いとどまるできるはずなのに、自分を守ろうとする本能が、『買占め』のような行為に走らせてしまうのだろう。

今こそ『観自在菩薩』を実行するときではないだろうか。自分を客観的に観る試み。

ここ数日、私の心を落ち着かせてくれるのは『君が代』だ。

不安に思うとき、心の中で君が代を唄う。君が代を思う。すると不思議と落ち着きが戻ってくる。日本という国で生きている人たちと繋がっている感覚を「取り戻す」ことができる。

私たちのひとりひとりがさざれ石の小石のひとつ。ひとつひとつが個をとかして全体の一部となる。そして大きなひとつになる。

君が代は 千代に八千代に さざれ石の 巌(いわお)となりて 苔(こけ)のむすまで

個のそれぞれが自分の意識に責任を持って(=客観的に自分を観て)、今自分にできること、自分がやるべきことをやっていこう。私たちはそれができる民族だから。

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この出来事をどう受け止めるか

水曜の夜、映画『ヒアアフター』を観に行った。ものすごく混んでいるだろうと思ったらその逆。ガラガラで・・・みんな興味ないんだな、こういうの・・・おかげでゆったり映画の世界に浸れた。

冒頭、主人公の一人が滞在先で大津波にのまれるシーンがある。彼女はそこで臨死体験をするわけだが・・・まさかその2日後、この日本が大津波の猛威に襲われるとは想像すらしなかった。

金曜の午後はいつもと変わらない日常の午後のはずだった。

14時46分の出来事はそれ以前とそれ以降の思考回路を全く変えてしまった。通常は意識の外にほったらかしにされている、一番大事なものが明瞭に意識化される。危機とはそういうことを目の当たりにさせられる。

都心の鉄道はほぼ麻痺していたので、泊まり覚悟でオフィスにいたが、23時ごろようやく帰宅のめどがついた。自宅の隣駅まで地下鉄で向かい、そこから小一時間かけて徒歩で帰宅した。・・・被災地の人たちの状況を思えば、こんなの、自分は蚊に刺された以下ぐらいのもんだ。

被災地への救助ができない立場の場合、今自分にできることは何かを考えることは、自分を見直すことにも繋がる。大切な人たちとの繋がりの確認、普段の生活・環境の見直し、そして自分自身の意識への責任。

救済に直接貢献できなくとも、自分の立場で自らを改めることは沢山ある。恐れ、心配、悲しみで自分をいっぱいしないで、冷静に、淡々と自分の立場でやるべきことをやっていきたいと思う。それが、犠牲になった多くの魂への供養にもなることを信じている。

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自分の意識に責任を持つ

今朝はテンションが一段と高い・・・私。テンションが高いというのは、意識が上に突き抜けるような感覚。新月の数日後ってそういえばいつもこんな感じかな。

体をストレッチしながら、

「新しい1カ月(次の新月まで)は、より自分を客観的に見つめることに注力する」

と、ポンと降ってきた。そう、降ってくる感じの言葉だった。

笑って泣いて怒って悲しんで・・・の自分をもうひとりの自分が見つめる風景。

客観視につとめることは、自分の意識に責任を持つことに繋がる。

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夢日記

久しぶりに過去の夢日記をざっと読み返した。我ながら自分の夢物語は面白い。

夢は毎日観るわけではないが、観るときは立て続け。ストーリーに連続性はないものの、頻繁に登場する人物や場所はある。私の夢の場合、非日常的な存在は少ない。例えば天使とかそういう類のものは出てこない。身近な存在(家族、職場の人々、友人etc.)が圧倒的多数。ごく稀にに「誰?」という存在(十二単のおばさんとかインド人の子供とか)もその中に混じって登場する。

また、面白いのが、結構な頻度で外国人が登場するが、彼らと話が通じるときと通じないときがある。場面によって日本語な場合と英語の場合がある。話が通じるといえば、電話もよくでてくるなあ。通じるときと通じない時と。これらの場面は自分の深い部分にある潜在意識と繋がりやすくなっているかそうでないかの判断材料にしている。

夢の中に登場する人物は基本的にすべて自分の中のある部分、または自分自身の投影だと思って解釈すると、ああと思い当たることが多い。私の夢にはよく母親が登場する。彼女の行動、様子は特に興味深い。体のある部分が特殊になっていたり、料理をしていたり、どこかに行きたがっていたり。すべて私の中の女性性の表れとして観ている。

単発性の夢ばかりと思っていたが、まとめて日記を読み返してみるとそこには大きな流れがあるものだな、と思う。ショッキングな出来事が訪れる数日前には不思議と強烈な夢を観ている。観たときは何のことかさっぱりわからないので起こる出来事は予測できない。ただ、後になって、その出来事は夢でああやって「象徴」としてあらわれるのだ、と感心する。

夢の世界も人の数だけあるのだと思う。夢事典や象徴事典が大いに参考になるときもあるが、あくまでも参考程度。夢は自分の内的世界が創り出しているものだから。その世界を冒険し、どう解釈してゆくか、こんな楽しいこと・・・みんなにもぜひやってほしいなあ。

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