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2009年10月

人生の目的

人生の目的 --- そのことについて、どう考えるか・何を思うかは人によってさまざま。

生きる目的が見出せず、その見出せない状況を自分の重荷にして苦しむこともありますね。人生の目的をもたなければ・・・そんな強迫観念みたいなものに縛られ、笑顔がなくなってしまうのならむしろそんなこと考えずにのんびり過ごしたほうがよっぽど楽しいのかもしれません。

私が『人生の目的』思考のスパイラルに初めて陥ったのは17歳のころでした。ちょうど大学受験を控えた、最も勉強に集中しなければならないときにまぁ、皮肉なものです。進路相談のための先生・親との三者面談の場で、受験校の話に入る前に「ワタシ、なんで生きてるのかわからないんです・・・」と泣きだしたっけ。。。でもその時の担任の先生は、私のその姿に「今は勉強しろ」とは言いませんでした。「お前、悩む時期が今来ちゃったんだなあ」としみじみ見つめられたのを覚えています。

あれから随分月日が経ちました。学生を終え、社会人生活を始め、そしてタロットの世界を知って・・・まだまだ未熟ですが、そうした様々な経験を通して今感じる「人生の目的」は、

『日常からの気づきで学ぶこと、成長してゆくこと』が、人生の目的であり、人生そのものだなあと感じています。

○○になりたい、というある一つのゴールに向かうことでなく、むしろそのプロセスで気づきを得て、それによって成長する・・・自分は大海を旅する船の操縦士であり、荒波でも嵐がきてもそれを上手に乗り越えながら、航海の知恵=生きる術をつけてゆく・・・ そんなイメージです。

ですので、非日常や今自分がいる場所以外に特別なものがあるわけでなく、夢があるわけでなく、自分の置かれたその時、その場所で何を気づいて学んでゆけるか、が人生の醍醐味なのではないでしょうか。

そう考えると、無理に体に力を入れて眉にしわを寄せて、人生の目的を考え込む必要はないわけですね・・・目の前のことに心をこめてゆけばそれで何かが変わってゆくのです。ま、あの悩みは若気のいたりだったかなあ・・・。

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活人剣

先日、剣と私と題し、剣からの気づきを綴りましたが、

その後、実に面白いルートで下記の本に出会いました。

新陰流 活人剣 (斎藤光顕 著)

自分が剣術家を主人公にした歴史小説を読むとは。剣というシンボルの導きがなければ手に取らなかった本です。

じっくり、そして一気に読み終えました。

勝つための剣ではなく、ましてや人を斬るための剣でもない。負けぬ剣、さらには争わぬ剣、そして 最終的に 『人を活かす剣』 を目指した 上泉信綱 ---。

これからも折に触れて、何度も読み直したい本です。

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母系のルーツ

「ねえ。・・・あの蝶、おばあちゃんかしらね」

母がそう言ったとき、私自身は蝶は確かに祖母である、と気づいていましたが、母からその言葉が飛び出したことのほうにびっくりしました。

土曜日のこと。亡くなった祖母が、幼いころよく母親と訪ねたという青梅の観音寺に出かけました。母とともに。そのお寺周辺の土地一帯は私の曾祖母が生まれ育った場所なのでした。

母娘そろって、『母の母、そのまた母のゆかりの地を訪ねる』ということは、私にはとても意味のあることです。個人的な意見ですが、母系のルーツを実際に訪ねたり、それについて瞑想などを通し霊的に辿ってゆくことは、自分の霊性の向上に大きな助力となると考えています。そのお寺に一緒に行こうと母を誘ったのも、母とその土地へ行くことで、そのまた母・そしてそのまた母、と母系のエネルギーラインを自分がより強く感じられるのではと思ったからです。

母と立川駅で落ち合い、青梅線に乗ってまもなくのこと。

いくつめの駅からでしょうか、車内に黄色い蝶が舞いこんできました。

「あ、これはおばあちゃんだ」

理屈抜き、直観でそう思いました。ですが、母とは「蝶だね、電車の中にめずらしいね」と交わしただけ。会話は引き続き雑談へ。列車が駅に停車しドアが開くたびに、私は蝶の行方を目で追うのですが、外へ出て行きません。結局私たちが降りる終点までその蝶は車内にとどまっていました。

バスに乗り換え、停留所から歩くこと数分。やっと念願の観音寺に到着。そこはつつじで有名なお寺ですが、今は愛でる花もないからか誰もいませんでした。

静まり返った神社・仏閣は心が落ち着きます。おかげで本殿の拝観も、二人きりで観音様としずかに向き合うことができました。

本殿の次に鐘楼へ向かう際、そこであらわれたのです。黄色い蝶が、ふたたび。そして私たちの行くほうへ ひらひらと ついてくるのでした。

お寺で見かける蝶だけならば、特に自然のひとつとしてとりわけ気にとめないでしょうが、電車に舞い込んできた蝶と色も大きさもそっくりなその姿に、母が思わず

「おばあちゃんかしらね」

とつぶやいたのでした。

私はシンボルには人一倍敏感なのですが、母親とはその類の会話はめったにしたことがなかったのです。なので驚いてしまったわけで。どうやら母も電車で蝶を見かけたときからそう思っていたようなのです。

「蝶ってよく亡くなった人の化身になることがあるっていうよね。おばあちゃんだといいね。」

本当はめいっぱいトークしたい気持ちを抑えて、そう言葉を返した私。

母系の繋がりは何かと得るものがあるのです。意識には上がってきませんが、私の魂は大きな気づきを得ているはずです。この土曜日のルーツの辿りによって。

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忙しさを味方に

私はヒマになるほど能率、効率が落ちます。あきれるくらいに。

「今度の週末はあれもしよう、これもしよう。時間ができたらこんなことしよう」

なんて思っているくせに、さて、いざ週末の自由時間を迎えると・・・時間があればあるほど自分が時間泥棒になります。やることをこなすペースが格段に落ちてゆく。情けない。

その逆に、タイムリミットが迫った場合などはエンジン全開。図書館で借りた本の期日が翌日にせまると、朝の通勤電車の数十分、オフィスでの昼休みの時間で自分でも信じられないほどの集中力で読めてしまう。なんだやればできるじゃない。

時間制限があるって実はありがたい・・・そして忙しさは自分の味方なんだな・・・そう思えます。まぁ、限度はありますが。

思えば人生もタイムリミット付ですね。死ぬまでにタロットをどこまで深く理解できるだろう・・・ああ、時間がないっ。急げ急げ♪

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夢の扉

私はよく夢をみます。

印象的な夢は書き留めています。とはいっても、多くの夢は

「だから結局その夢がどうなの?」

というところでとどまったままです。

ですが、ここ最近、ほんの少し・・・徐々に・・・、ゆっくりとですが、タロットから得た多くの気づきとそれと平行して学んできたシンボル、そして自分の経験が夢の解釈を助け始めています。

半年前に作成したこのページ。自分の中でまとまらなかったのでこれ以上書けないでいましたが、

<http://homepage3.nifty.com/inohanae/Dream_Reading.html>

今後は充実させることができそうです。私の『夢の扉』が開きはじめましたから。

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剣と私 4

私にとって「朝」と「歩くこと」は、内的な気づきに欠かせない時間であり行為です。

よって、電車を降りた後の徒歩通勤の15分は、ハッとするインスピレーションを得る機会も多く、私にとってまさにゴールデンタイム。

神社で剣を眺めた翌日の月曜日。いつもの道を朝日を浴びながら歩いていると、昨日の剣が記憶に蘇ってきました。すると次の瞬間、ほとんど同時に下記の事柄(記憶・思考・出来事)が私の前に提示されたのです。

・剣は男性(男性性)の象徴であり、それはすなわち「陽」であること
・自分が人一倍、刃物に対して苦手意識(恐怖・嫌悪)を抱いていること
・過去に3回、刃物によって傷を受けている(怪我あるいは手術)が、それがすべて左手であること

あまりに驚いて、歩みがとまりそうになったほど。

なぜ今、剣が自分の前に現れていたのかを、そのとき一瞬にして悟ったのでした。それは、本を読んで知識として理解する、というものではなく、まさに心身と魂でしっかり受け止めた、という感触でした。

今、私にとって必要なのは、『剣』の表す真の意味を理解すること--- つまり、剣が表す象意のすべて--- 男性性、知識、英断など、とりあげるときりがありませんが、もっと掘り下げると、剣が属する「陽」の世界を理解し受け止めよ、ということだと。

自分がただ剣を「斬って(切って)傷つけるもの、裂くもの、そして痛みを伴うもの」、もしくは「力(武力)として振りかざし、支配するもの」と、むやみに嫌いそして怖がっているその誤った理解を正すこと、それが必要なのだと気がついたのです。

この世は陰と陽がどちらも正しく働いてこそ、動きそして栄えます。私は女性ですから、陰の世界に属するものの、私の中には陽もあります。誰もがそうです。私は、自分の中の陽の働き具合も含め、『陽』について、考え直す機会なのだと思いました。

自分の左手にある3つの傷についての気づきには本当に驚かされました。今まで考えたこともなかったのです。その傷は、10代・20代・30代で1回ずつ受けたものです。

体の左半身は、女性性を表します。つまり「陰」です。その陰が刃物(=陽)によって傷つくということは、自分の中での陽の用い方(つまり理解)に問題があるということです。そして、陽を理解していないから女性(陰)として陽の受け入れ方にも問題があるのではないかと。剣(陽)がおさまるべき鞘(陰)におさまらない=怪我をする といった現象です。このことは、パートナーシップの問題にも深い関係がある・・・とおのずと理解できたのでした。

この気づきは、内的にかなり痛みを伴っています。ここに書くのも辛く・・・あまり筆が進まず(キーボードが叩けず)・・・でしたが、こうして書くことによって、この気づきを問題解決へもってゆけるはずだから、と思いました。と同時に、自分で気づいてしまったので、痛みはあっても不思議と抵抗がありません。素直に受け入れられたことがむしろ嬉しく思っています。

剣とどう向き合うか・・・どのようにしたら剣の象意を本当の意味で理解できるか・・・これからの課題ができました。でも未来は明るいです。なぜって、自分でここまで気づくことができたから、この先も解決法はシンボルを通して見つかると確信しているからです。

私が剣を本当に理解したとき・・・私の刃物恐怖症は克服できるはずです。そしてパートナーシップにも変化がくるでしょう。

タロットや日常を通じて、自分で気づくシンボルからのメッセージは非常に大きいです。

そうそう。今朝いつもの氏神様へご挨拶に行くと、境内が妙に騒がしく、なにかしら?と鳥居をくぐると・・・。

なんと、大勢の子どもたちが『剣道』の稽古をしていました。・・・また「剣」が出た。ここ4年近く毎週お参りに行っていますが、その光景は今日が初めてで・・・氏神様からの激励ですね、きっと。

人生は「気づき」を増やせば実に面白いことだらけです。

というわけで 剣と私。長々綴りました。

おわり。

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剣と私 3

大きなガラスケースの中に納められ、私の目の前に広がる・・・、まさに"広がる"と表現してもよいぐらい、長く・大きな剣- 国宝にも指定されている、日本最古・最大の直刀がそこにありました。

ただでさえ、刃物嫌いの私。目をそむけ、その場から逃げだすかと思いきや、自分でも不思議なほど見入ってしまい・・・しばらくじっと動けずにいました。

その神社に祀られている神は、神代の昔に出雲国・大国主命との話し合いにより、乱れた世をひとつにまとめ国を平定した、と伝えられています。その話し合いの場に持参した剣が、韴霊剣(読み:ふつみたまのつるぎ 「布都御魂剣」と書かれることも)であり、その国宝の直刀も神宝としてその名で称されているそうです。

神話がどこまで「真実」なのかは誰ぞ知る、ではありますが、その場で私が感じようとしていたのは、古代の人々が剣に込めた想いです。

ご神体とするほど、剣という象徴に込めたもの・・・。

この神社に興味を持たせてくれたその人は著書の中で、剣は男性の象徴(男根)そのものだといっています。

古代の人々が信仰の対象にしたものは、すべて男性と女性を模倣したもの・・・それらは生命を生み出す元であるから・・・というわけです。ですから、そういう視点で神社の細部を観察すると、いたるところにそれらを見つけることができます。

ただ、なぜ今、自分の意識に「剣」がシンボルとして集まってきているのか。そのことが解けずにいました。結局、朝4時に起きて東のはずれ近くまで来てはみたものの、「剣」が発する自分へのメッセージについてはわからずじまいでした。

そして、翌月曜日。電車を降りた後の徒歩15分の間に、私に気づきのシャワーが降りだします。

・・・つづく。

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剣と私 2

友人とのタロット・リーディングは、腕を上げるための練習として、だったのですが、私の意識の矛先はそのリーディングによってますます「剣」に向けられました。

翌日曜日。私はある場所を訪れていました。そこは日本の東に位置する、由緒ある神社です。そこに祀られている神様の象徴-それは『剣』。

九州の旅から戻った私は、暦の勉強をしているうちに非常に興味深い本に出会ったのですが、著者が度々取り上げていたのがその神社です。

「今度訪ねてみようかな」 本を読んだとき、私がその神社に興味を抱いた理由は、綿密に計画されてその場所に建てられたのだ、という「位置」であって、剣には特に注目していませんでした。

ですが、そのうちに自分の周囲にどんどん剣が集まってくるのを感じ、土曜日のリーディングでますます剣を意識したその晩、

「よし、明日行ってみよう」

と決めたのでした。こういう決断も「縁」だと思ったからです。

東京からバスで90分。緑豊かな広大な敷地には、すがすがしい空気が流れていました。

境内を巡り、参拝を終えた私は宝物館に入りました。そこで、大きな大きな『剣』の実物を前にします。

・・・つづく。

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剣と私

子供のころから『刃物』が極端に苦手な私。包丁は人並みに使えますが、カッターは握るだけで結構アブラ汗をかきますし、斬り合いシーンが多い時代劇などは見ることさえ苦痛です。昔、映画館で主人公が指を切られる場面に遭遇した際はその場でうずくまってしまい、失神寸前でした。観客の中でそんなリアクションは私だけ。あのときは周囲にメイワクかけました・・・。

そういえば今年の春、外国の友人がどうしても鍛冶屋(昔は剣、今は包丁など刃物を扱っている店)の現場(作業場)を見学したいと言うので連れて行ったときも辛かったなあ。なんで見たいのかちっとも理解できない。あの渋く光る鋭利な物体を見ただけで・・・悪い意味でドキドキしました。感情的にも乱され、イライラしたのを覚えています。

実はこの恐怖症、かなりハードルの高い精神的障害物なのだということを昨日になってやっと自覚したのでした。

そのことに気づかせてくれたのが、『剣』の存在です。

実はここしばらく、私の周囲に『剣』にまつわる言葉、画像、しかも最後は実物まで集まってきました。そのピークがこの週末だったのです。

剣はタロットカードにも随所に登場します。剣の象意は様々ですが、四大元素の地水火風では「風」にあたります。大アルカナカードの中で剣と結び付く代表的なカードは、8番の『正義』。右手に大きな剣を持ち、正面を見据えています。

<http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/dd/Jean_Dodal_Tarot_trump_08.jpg>

また、小アルカナカードは4種で構成されていますが、そのうちの1つは「剣」です。

週末にタロットを通して知り合った友人とお互いリーディングをしました。その際も、剣がとても意味ありげにカードに出てきました。友人は私の質問に対し、大・小アルカナ78枚を使用してリーディングしてくれたのですが、地水火風4種すべてのカードがでてきたものの、「剣」のみ逆位置(逆位置ででるとそこに問題アリ)であらわれました。

また、非常に興味深いことに、私が友人の質問に対しリーディングしたときも、剣はしっかりと登場しました。カードは友人の質問に対しメッセージを送っているはずなのですが、同時にリーダーの私に対しても『モノ申す』的な展開ぶりでした。

世の中に何一つ偶然などないのです。すべては因果応報であり、縁で繋がっています。その日その場で、出会った人、交わした言葉、起こった出来事の中には、関わった人にとってそれぞれの『何か』が潜んでいると思えます。   

・・・つづく。

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