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2009年4月

コトバでの表現

今週はたてつづけになつかしい友人と会う機会に恵まれました。

月曜日は8年ほど前に色彩心理学を共に学んだ仲間二人と数年ぶりの再会、そして昨日は以前勤めていた会社の後輩とでした。

偶然ですが、3人ともそれぞれのアプローチで「心理」を学び、日常にいかしています。そして私もタロットという媒体を通して人の心に触れています。

久しぶりの再会を果たし、思い出話から今想うことまで、とにかくしゃべりっぱなし。あっという間の時間でした。面白いことに、月曜と昨日に共通して体験したことなのですが、

・自分が昔言ったことを覚えていない。聞いた側はしっかり覚えている
・同じ体験をシェアしたはずなのに、思い出の景色(もしくはそれをどう言葉に表現するか)が人によって違う

これをひしひしと感じました。ひしひしと感じた・・・というのは、もっと突き詰めて言うと、

『言葉がもたらすものは 事実そのものではない』--- コトバには悲しいけれど、限界がある  ということです。

最近、自分のブログのペースが落ちてきた理由と重なったのでこうして書いてみました。タロットを学び、そのことを通して日常から感じとるものは劇的に増えたものの、増えれば増えるほど、内側に積み上がったそれを言葉として表現することが難しくなっています。

自分の文章能力の問題なのか・・・とも思いましたが(それもおおいにありますが)、それだけではない、自分の気づきを「言葉で表現する」ということにおいて、限界のようなものを感じているのです。気づいたというその事実と、それを言葉に置き換える作業の間に『溝』のようなものがでてきているのです。

反面、何かを伝えたい気持ちは高まってゆきます。・・・ではどうしたらよいか。これからの課題です。

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穀雨のとき

日曜こそ晴れましたが、金・土は冬に逆戻りしたような寒さ、そしてしっとりした雨でしたね。

二十四節気でいうと、いまは『穀雨(こくう)』の時期。その言葉どおり、この季節の雨は乾いた田畑や大地にとっては欠かせない恵みの水。そして雨が降るたびに木々の緑も濃くなってゆきます。

天も地もちゃんとそのときどきに必要な「お仕事」してますねえ。晴れて乾いて雨降って湿って風吹いて・・・必要なことなんですね。

マイライフの中でもきっと同じことが言えるんだろうなあ。長い目で見れば、ずっと晴れが良し!というわけでもないんですね。

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運も実力

WBC決勝戦の延長戦で決定打を放ったマリナーズのイチロー選手が発したコメント。

「オレ、何か持ってますね~」

これをさらに証明するように、先日、日米通算安打の日本記録に並ぶヒットは「満塁打」。コメンテーターが言いました。

「こういう星の下に生まれた人っているんですよねえ」

この「星の下」ってまさしく『占星術』のことですね(笑)。たしかに人生、運の強い人・そうでない人がいる気がします。

ですが、イチローが『何か持っている』ことを証明するには、彼の日々の努力なくしては見られなかったわけで。別にタナボタでもなんでもないんですね。

本人が積み重ねてきたレンガの上に、神のエナが降りてきて爆発する・・・まるでタロットカード16番の「神の家」のようです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Jean_Dodal_Tarot_trump_16.jpg

神の家は、あまりの強い衝撃に耐えられず人がひっくり返っていますが、決して悪い意味だけでとらえることはありません。また、レンガで積み上げられた塔は「努力の賜物」と読める場合もあります。まさにこれがイチロー選手のような感じです。

私もあきらめずに日々レンガを積み上げる努力をしてゆこうと思います。自分が「何か持っている」星の下に生まれているかどうかはさておき・・・

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料理上手は生き方上手?

「ありあわせのものだけれど・・・」

そう言いながら、いま冷蔵庫にあるものだけでパパっと美味しい料理を作れる人、最高ですね。

ここに生き方上手な人に共通するヒントがあるように思います。

冷蔵庫の中身は今自分が持っているすべて。それを使っていかに食卓へ美味しい形でもってゆけるか・・・食卓は人生劇場の舞台。

ないものねだりより、今自分が持てるすべてのもので楽しく勝負する・・・これが何より大事ですね。

あ、もっと大事なことに気がついた・・・。

もともと冷蔵庫がカラッポだったら、こりゃ大変!

普段から、欠かせない必須アイテムを仕入れておくことと、継続的に自炊を続けることが前提ですね。つまり、普段料理してないのに急には美味しいもの作れないってことです・・・。

さ、料理上手になりましょう。生き方上手に繋がるやもしれません★

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朝は金デアル

日の出時刻がますます早くなり、朝型の私としては嬉しい限り。

景色も桜の時期から新緑の時期へとシフトしますね。

個人的にはこの時期のエネルギーが一番好きです。木々が新しい葉を広げるように、私の内側からも新緑に似た生まれたての何かを生み出せそうな気がするからです。

特に朝の時間は最高です。TVやラジオの音はNG、ただただ窓の外からの自然音だけで朝の空気を味わうとそれだけで幸せ感いっぱいです。

朝は金なのです。早起きが苦手な方でもこの時期にぜひ一度、ダマサレタと思って一度やってみていただきたいと思います。

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ここ数年、私の中で大きな興味となっているのが

『母系のルーツ』です。

母の母、そのまた母、さらにその母の母・・・これをたどるのは至難のわざです。私は、母の母の母がどのあたりに住んでいたのか(どのあたりの家の出なのか)というところまでしか、今のところ辿れていません。

ミトコンドリア・イブという言葉がありますね。人類のルーツを遡ると、最終的にはアフリカ大陸にいた、何人かの(ひとりという説もあり)お母さんになるそうです。

通常は、女性が結婚すると男性の家へ「嫁ぐ」ことになっていますので、母系を追うのは非常に難しいのです。

どんなに偉人でも、どんなに聖人でも、私たち人間は母親の体内で命を得て、そして生まれてきます。それを考えると、『母から子へ』のルートが一回たりとも途切れることなく私まで届いているからこそ、今こうしてここに『私』がいるわけです。

家長がなぜ男性、となっているのかよくわかりません。。。いつからなんでしょうか。別にそれを否定して『女性万歳』をするつもりで書いているわけではありませんが、

命のリレーを思ったときに、『母系』の尊さを感じたわけです。

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夢が教えてくれること

「家の夢」をよく見ます。しかも、「昔、いた家」の夢です。

そして、夢によって若干ストーリーは違うものの、おおまかに次の2パターンを見るのです。

1.家の外から見知らぬ人が入ってくる。私はそれを不快、または恐怖に感じ、抵抗している。

2.家の間取りが変わっている。実際に住んでいた家より部屋または入り口が増えている。それを喜んでいるのか、気分よく思っていないのかはケースバイケース。

これはあくまでも自己分析なのですが、家というのは「自分を取り囲んでいる価値観という枠」と考えます。そして『昔住んでいた家』というのがクセモノでして、おそらく小さい頃、親や周囲の環境によって作り上げられた価値観を指しているのではなかろうかと思います。

1の夢を見るときは、慣れ親しんだ居心地のよい価値観の枠に新しいものが入ってくることへの恐怖を感じているのでしょう。

2の場合は、価値観の枠がすでに広がった状態を表しています。それに対し、喜んでいるのかとまどっているのかは、その夢の中で味わっている感情でわかります。

夢はほんとうに不思議です。日常の諸々が雑多に混じっただけの夢ももちろんありますけれど、ときに自分でも気づいていない潜在意識まで到達できたりします。さらに、もっと未知なる・・・いわゆる予知夢やその他お告げのような夢の存在も私は否定しません。

夢について、もっといろいろ分かってくるといいなと思っています。タロットと同じく、夢も自分の内側を反映しているのですから。

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山あり谷あり

ブログ更新が少し滞っていました。

桜の季節ですが、まだまだ寒かったり、急に暖かい日が1日だけあったり、強風にあおられたり・・・山あり、谷ありな空模様ですね。

そんなお天気と呼応しているのかしら・・・私のこの頃も山あり、谷ありです。

それでも、それを「楽しむ」余裕を持っていたいけれど・・・。なかなか難しいものですね。

こんなときは自然が一番です。桜の花が ひとひら 舞い降りるのを見ただけで嬉しくなります。今年は桜が長く楽しめそうですね。

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