コトバでの表現
今週はたてつづけになつかしい友人と会う機会に恵まれました。
月曜日は8年ほど前に色彩心理学を共に学んだ仲間二人と数年ぶりの再会、そして昨日は以前勤めていた会社の後輩とでした。
偶然ですが、3人ともそれぞれのアプローチで「心理」を学び、日常にいかしています。そして私もタロットという媒体を通して人の心に触れています。
久しぶりの再会を果たし、思い出話から今想うことまで、とにかくしゃべりっぱなし。あっという間の時間でした。面白いことに、月曜と昨日に共通して体験したことなのですが、
・自分が昔言ったことを覚えていない。聞いた側はしっかり覚えている
・同じ体験をシェアしたはずなのに、思い出の景色(もしくはそれをどう言葉に表現するか)が人によって違う
これをひしひしと感じました。ひしひしと感じた・・・というのは、もっと突き詰めて言うと、
『言葉がもたらすものは 事実そのものではない』--- コトバには悲しいけれど、限界がある ということです。
最近、自分のブログのペースが落ちてきた理由と重なったのでこうして書いてみました。タロットを学び、そのことを通して日常から感じとるものは劇的に増えたものの、増えれば増えるほど、内側に積み上がったそれを言葉として表現することが難しくなっています。
自分の文章能力の問題なのか・・・とも思いましたが(それもおおいにありますが)、それだけではない、自分の気づきを「言葉で表現する」ということにおいて、限界のようなものを感じているのです。気づいたというその事実と、それを言葉に置き換える作業の間に『溝』のようなものがでてきているのです。
反面、何かを伝えたい気持ちは高まってゆきます。・・・ではどうしたらよいか。これからの課題です。
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